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しおり市長の市政報告書 vol.19

   1年半前8月12日午後1時37分

 私が市長に叩かれない、という珍事のせいか、次の日雨が降った。
 そんな軽口が不謹慎なぐらいの、大雨だった。
 まさに集中豪雨、時間雨量100㎜を超える雨が山形県内陸部をおそった。天童市もその被害を受け、中心部では道路が冠水してしまうほどだった。
 私は、たまたま家にいたのだが、地元の消防団に要請がかかり、すぐ活動服に着替えて出動した(一応私も消防団に入っている)。ポンプ車が置いてある公民館のポンプ小屋に集合すると、我が消防団の管内で、冠水した道路から店内や床下に水が流れ込んでいる店舗家屋が出ているという。その浸水を防ぐために土嚢を積んでくれ、という話だった。
 消防団は、火事が起これば仕事をなげうって消火に当たるが、水害への出動というのは天童では珍しい。土砂降りの雨の中、放水するときの全身防水服を着込み、サイレンを鳴らしてポンプ車で現場に急行した。火事の時さながらだった。
 まるで道路は河と化し、私たちは必死で土嚢を積んで、住宅に流れ込む水を防ぐ。
 雨音がドラム音のようにうるさくて、その音に負けないように怒号が飛び交う。
 川の氾濫ではないから、それほど大規模な洪水というわけではない。しかし、水が家屋に流れ込めば、被害はバカにならないだろう。道路よりも低く位置する家や店舗もあり、門や店頭に土嚢を積んでいく。
 走り回って、雨と汗でびしょびしょになりながら、なんとか被害を防いでいると、やっと小雨になってきた。
 道路を流れる水の水位も少しずつ下がっている。
 何とか乗り切ったと、ほっとしたところへ、
「おい!ケイスケ!津山の方、大変なごどなってんぞ!」
 と怒鳴られた。
 見ると、三宝寺の武田住職が、墨染めの僧形のまま車で走ってきた。
「住職、どうしたんですか?ずぶ濡れじゃないですか!」
「ああ、お盆の棚経まわりしてで、この雨に当たった。そんなことより、津山で土砂崩れだ!消防団さ(に)、連絡ないのが?」
「土砂崩れ!どの辺ですか?」
「若松寺の下のどごだ。ほれ、いぐぞ!」
 一大事だ。
 こちらの道路の冠水はおさまってきている。ここからは、地元の消防団員から市議会議員の顔にかえて、津山に向かわなければならないだろう。
 私は、他の団員に後を頼んで住職の車に飛び乗った。
「住職、いいんですか?棚経の途中だったんでしょう?」
「こんなときにお経まわりな(なんか)してられっか。帰ってきたご先祖さんも、山の心配しろって言うべな」
 住職も元消防団員だ。こういうときには異常に燃える質だ。
 濡れた僧服を気にもせずに、やけにスピードを出す住職の車で、私は津山へと向かった。
 鈴立山若松寺は、天童の名刹である。
 縁結びの寺として有名で、ここの住職と握手をすると結婚できるというジンクスがある。吉本の有名女芸人が、握手したあとに結婚が決まったということで話題になった。現世利益を約束する寺でもあり、参詣者が絶えない。
 天童の東部、津山地域という場所にあるが、開山1300年の古刹で、山深い場所に建っている(山深いといっても、中心部から車で10分足らず、坂道を楽しみながら歩いてでも参拝できる場所ではある)。その参道は曲がりくねった道であり、その道の脇には急峻な斜面がせまっている。
 その斜面の一角が、土砂崩れを起こしていた。
「恐ろしいな、こりゃ!道路が半分、埋まってんぞ!」
 住職の言葉通り、大きく崩落した土砂と木で、道路がふさがれていた。かろうじて片側通行はできるほどの小規模と言っていい土砂崩れだが、近づいて見てみると、その土砂の物量となぎ倒された巨木の迫力は圧倒的だった。
 すでに地元の消防団が駆けつけていたが、なすすべもなく呆然と眺めるしかない。なんとか警察が交通規制を開始した程度だ。
 私としても駆けつけてはみたものの、ただただ立ち尽くすだけだった。
「こんなときに市長はなにをやってるんだ!緊急時に現場にいないとは!」
 見ると、伊達よしき議員がわめいている。
 あいかわらずしっかりとスーツを着込んで、きっちりと整髪料で髪をセットしている。いつものように芝居がかった調子で、市長の不在を声高になじっていた。同時に、「私は来てますよ」とばかりに、手当たり次第に握手をして回っている。節操ないことこの上ない。こんな事態でも自分の人気とりや市長批判に利用するのかと、私はカッとなった。
 大体、議員などは災害現場ではなんの役にも立たない。それなのに災害現場に顔を出して心配ヅラをするのは、私にも違和感がある。しかし、災害復旧と今後の防災計画に資する情報収集という意義があるし、おこがましいながら地元の人たちに議員が顔を出したことで安心感を与えられるなら無意味ではないだろう。やはり、地元の危機に対して現場に向かうのは、議員の責務だろう。
 が、伊達のように露骨に人気とりのためとなると、邪魔でしかない。いつぞやの総理のように、原発事故にかけつけて現場を混乱させるとなれば、百害あって一利なしだ。
 と、そこに、しおり市長が公用車で到着した。
 降りてきた市長は、天童市公用の防災服に身を包んでいた。薄い紺色の上下に胸と背中にオレンジが入った作業着のようなセンスのない服だが、市長が着ると消防団員募集のポスターのようにかわいい。
 しかし、その防災服も市長の黒髪も、びしょびしょだった。
 頬に濡れた髪がまとわりついた市長は妙に艶っぽかったが、それは他の洪水箇所を見て回ってきたことを証明していた。
 それを見た瞬間、伊達は小さく、
「ふん、私は仕事中のところ駆けつけたんだ。防災服に着替える時間も惜しむのが、公職にある者のつとめだろう?」
 などと吐き捨てた。
 それは一面真実を含んでいるが、市長がすでに伊達よりもずっと前から出動していたのは一目瞭然だったから、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。ましてスーツ姿で革靴を履いていては、現場に近寄れもしない。市長と伊達とのコントラストは際立つばかりだった。
 伊達はぶつぶつと市長の文句を呟いていたが、地域住民の冷ややかな目にさらされて、すごすごと姿を消した。
 市長はそんな伊達を一瞥することもなく、土砂崩れの現場に見入っていた。
「けが人はでねっけの(でなかったの)?」
 私が近づくと、市長は真っ先にそう口にした。
「はい、通行人や車輌はなかったようで、まきこまれた人はいませんでした。この大雨で若松寺に参拝する人は稀でしょう。お寺の人たちも雨の対応にあたっていたので、坂道を下って来なかったようです」
「それはよかった…」
 市長は心底ほっとした表情を浮かべた。
 市民の生命と財産を守る。これが政治行政の最大の使命だ。その中でも、生命がなによりも大事だ。今回は幸い人的被害は避けられたが、道路という「財産」に被害が出ている。
「早く復旧作業に入らないと…」
「そりゃあ、すぐには無理だべ、しーちゃん。いづまだ二次災害があるがわがらねえがら(わからないから))、危なくて現場さ(に)入らんねべよ」
「住職、来てだっけのっす(来てたんですか)?棚経の真っ最中だべに(でしょうに)。道服がそんなに濡れちゃって」
「水もしたたるいい男だべ?さっき最上社長さ聞いだら、まずは応急処置だげして、被害の拡大ば(を)防ぐぐらいしかでぎねってよ。復旧作業は、水気がひいでがらだな。まずは片側通行はでぎそうだし、若松寺は孤立しねのば(しないことを)、よしとさんなねべな(よしとしなければならないだろうな)。起ごってしまったがらには、しかだねえ(仕方ない)。じっくりとやれ、しーちゃん」
 はい、と力なく笑った市長だったが、一刻も早く復旧作業にとりかかりたい、と顔に書いてあった。こうした表情は珍しい。
 空を見上げると、すでに晴れ間が見えていた。
 まさしく集中豪雨。一気に集中して雨が降る。
 温暖化だ、異常気象だと陳腐なことを言うのは好きではないが、そう愚痴るしか方法がなかった。

vol.20に続く ※このお話はフィクションです

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