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しおり市長の市政報告書 vol.9(第二章)

 しおり市長の危機から、少し前。
 織田市政がはじまって二年、私がどれだけあの小悪魔に振りまわされてきたか、市民の皆様に報告したいと思います。

  第二章 2月閉会中~4月閉会中

   4月22日午前8時31分

 しおり市長の危機から、半年前。
 その日は、天童最大のイベント「人間将棋」の日だった。
 4月末の土曜日。寒かった冬を越えて、ワクワクするような春の陽気だった。私は、春になるとテンションが上がるタイプだ(そういう人間は、躁鬱の気があると言われたことがある)。いい気分で、舞鶴山を歩いて登っていった。
 人間将棋は、舞鶴山の頂上で行われる。
 舞鶴山は市内の中心にある、市民が愛着をもつ山だ。およそ四百年前、この山には中世の山城が建っていた。室町時代から戦国まで天童を支配した天童氏の城で、最上義光に敗れるまで、この舞鶴山を本拠地としていた。その城館があった名残で、舞鶴山の山頂は平らになっており、今では公園として整備されている。
 そこに大きな将棋盤が設置され、そこに武者に扮した人々が並ぶ。文字通り人間が将棋の駒になって対局が行われるイベントが、ご存じ「人間将棋」だ。対局はちゃんとプロ棋士が行う本格的なもので、イベントの中にはプロ棋士による百面差しの指導対局などもあって、全国から将棋好きが集まってくる。すでに60回を超える伝統行事だ。
 その昔、豊臣秀吉が伏見城の花見の宴で、小姓たちを将棋の駒に見たて、「将棋野試合」を行ったという故事がもととなっているため、故事通り、人間将棋は天童桜まつりのメインイベントである。
 今年はちょうど、桜が満開の時期にあたった。
 昭和初期に、地元の人たちが舞鶴山に桜を植樹したこともあって、この時期、舞鶴山は全山桜に包まれる。
 私が登る山道も、沿道すべてが満開の桜で、桜のトンネルと化していた。
 桜が散り始めれば、この坂道には桜の花びらが絨毯のように敷き詰められるだろう。昔しーちゃんと、自転車でこの坂道を一気に走り下ったことを思い出す。桜の花びらが舞い上がり、上から下からシャワーのように花びらがかかって、最高の気分だった。
 頂上に行くと、開会前の準備が行われていた。
 私は、自由対局スペースの運営を手伝うことになっていた。
「ケーちゃん、遅いず」
 対局スペースに向かうと、なぜかしおり市長が座っていた。
 周りには、地元の若手の顔なじみがそろっていた。このスペースは地元の商店街などの若手が運営している。天童の地元に根付いた同年代であれば、それはすなわち、しーちゃんと小さな頃から遊んできた仲間たちということだ。
 みんなからここで休んでいくよう勧められた、というところだろう。本番がはじまれば振る舞われる「冷たい肉そば」が、市長の前に供されている。
「そんなに遅れてないですよ。市長こそ、そばなんか食べてて大丈夫ですか?開会行事に出るんでしょう?」
「だって、みんながそばの味見してってくれって言うんだもん」
「冷たい肉そばですか。いいっすね」
「最高!ケーちゃんには、けねがらね(あげないからね)」
「いらないっすよ。あとで自分で買います」
 相変わらず、食い物に関してはケチだ。
 今日は暑いぐらいだから、冷たい肉そばはうまいだろう。山形のそばは日本一だと県民は誇りに思っているが、その中でも冷たい肉そばは絶品だ。お隣の河北町発祥のそばで、冷たい上品なつゆに冷たいそばを入れ、鶏肉とネギがのっている。シンプルに思えるが、鶏ダシの冷たいつゆに鶏の脂が白く浮かないようにする技術が秀逸だ。
 絶対にあとで食べよう、と決意した私だった。
「おう、羽柴さんだどれ(じゃないか)。この前の件、どうなった?」
 大きな声で、後ろから声をかけられた。
 振り返ると、果樹農家の黒田さんだった。年のわりにしっかりとした体型で、頭も黒々としており、日に焼けた顔が精悍だ。私の地元ではないが、昔から懇意(実は、しーちゃんと一緒に果樹泥棒しようとして怒られたときの縁)にしてくれている。
「黒田さん、どうもっす。農協の手伝いだがっす(ですか)?」
「んだのよ、農協で直売所すっべってなってよ(しようってことになってな)。まだ春先で売るもんな(売る物なんか)ねえんだげど、まあ、農協フーズのジュースなんかば売るべってな」
「ご苦労樣だなっす」
「いや、ほんでよ(それでな)。この前話した件なんだげど、困ったのよはぁ(困ってしまったんだよ)…」
 そこで、ハタと黒田さんは言葉を止めた。
 しおり市長がそこにいたことに気づいたらしい。「あ、こりゃ市長…。なんだが騒がしぐして、われにゃあ(悪いね)」などとモゴモゴと言っている。自分たちの市長ではあるが、これだけの美人に出くわすと、いくつになっても男はこういう態度になるようだ。
「いえ、気になさらないで、黒田さん。それより、困ったことってなんですの?」
「ありゃ市長、俺ばわがるんだが(俺をわかるのかい)?」
「ええ、昔お世話になったじゃないですか」
 しおり市長はにっこりと笑った。黒田さんはぽーっとしてしまっている。
 確かにしおり市長が黒田さんに最後に会ったのは、十年以上前だ。東京の高校・大学だった市長は、天童の人間はずいぶんと久しぶりの人が多い。子どもの頃に会った(果樹泥棒などという外聞の悪い)記憶など、もう忘れていると思うのが当然だった。
 しかし、しーちゃんは自分にご馳走してくれた人の顔を絶対に忘れない(名前は忘れていたかもしれないが)。
 黒田さんには、泥棒しようとして怒られた後、畑の手伝いをして、いろんな果物を食べさせてもらった。今、しおり市長の口では、あのときのサクランボやらブドウやらリンゴの味が再現されていることだろう。
 単なる食いしん坊なだけなのだが、これは政治家として稀有な資質だ。
 私は人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。というよりも、普通の人レベルだろう。しかし、議員などやっていると、これは非常に大事な要素になってくる。「士は己を知る者のために死す」ではないが、あの人を知っている、あの人から知ってもらっている、というのは選挙で大きな力になる。
 とはいえ、そんなに簡単に数千人の顔など覚えられるものではない。
 まして私たちのように若ければ、交際してきた範囲も期間もベテラン議員とは比べものにならない。結婚もしていなければ、PTAの経験もないし、社会貢献団体などでのつきあいも少ない。
 そんな中で選挙をするのだ。
 相手は私の顔を知っているが、私の方はうろ覚え、なんてことは無数にある。
「俺ば誰だがわがっか(俺を誰なのかわかっているのか)?」
 という質問ほど苦痛なものはない。否は私にあるのだが。
 その点、しおり市長は(味の記憶とともにという条件付きで)、人の顔を忘れないという特技を持つ。
「昔、いろんな果物を食べさせていただきましたわね。その節はありがとうございました」
「いや、ほだな(そんな)、たいしたもの、かせでねげっと(食べさせてないけど)。こっちごそ恐縮だちゃあ(しちゃうよ)」
 相手がバリバリの山形弁でしゃべってるのに、またしてもこの女は令嬢トークしやがって。さっきまでのなまった山形弁(?)をしゃべればいいのに。
「ところで、その困ったことというのは?」
「ああ、それは私から説明しましょう」
 少し前から、黒田さんに相談されていたことを、私は市長に説明した。

 黒田さんの地元には、天童の北を流れる乱川がある。
 近年、その河川敷が荒れている、というのだ。
 昔、理科や社会で習ったとおり、川には土砂が堆積する。放っておけば川底に土砂がたまって、十分な水の流量が確保できなくなる。中洲ができたりしてしまうのだが、ここに木が生えてきたりすると、これは支障木となって、流れを阻害してしまうことになる。
 川の中だけではなく河川敷においても、草木が繁茂すれば大水の時などに洪水の原因となったり、木が流されて下流域で被害を及ぼしたりする。
 だから、定期的に浚渫をして土砂を取り除いたり、支障木を伐採しなければならない。
 これは一級河川であれば国の仕事だし、二級河川以下は県の仕事である。つまりは行政の仕事だ。
 しかし近年、この川の維持管理に関する予算は極端に少ない。
 いくら国や県の仕事とはいえ、財政難の地方としては、国からの交付金がなければどんな公共工事も行えない。その国からの交付金が、全盛期の三分の一ほどになっているのだ。一時期の「コンクリートから人へ」という公共事業嫌いの風潮も影響しているだろうが、いくら震災以降に「国土強靱化」などと叫ばれても、医療福祉予算が雪だるま式にふくれあがる中で、河川維持にまわせる予算は回復しない。
「治山治水は国の基(もとい)」
 というのは、中国の伝説の帝「禹」以来の政治の基本のはずだが、なかなかそうもいかないのが現実だ。
 そのため、地元の川を守るために、地元の方々が尽力することになる。
 黒田さんの地域でも、乱川の堤防の内側またはその周辺で、生えてくる雑草を地元総出で毎年刈ってくれている。
 こうした地元の尽力に対し、「河川アダプト組織」として登録してくれれば、県が幾ばくかの予算を出してはいるが、せいぜい消耗品費くらいにしかならない。みんなボランティアで草刈りや木の伐採をしてくれているのだ。
 しかし、地元の川を守る、という地域活動は、年々廃れてきている。
 若い世代が同居せず都会に出たり、天童にいても他の地域に住んでいるというケースが多いため、天童の周辺地域は高齢化が著しいからだ。また、川を守らなければ、という意識そのものも薄れてきているのも要因の一つだろう。
「そんなこんなで、乱川が草や木で荒れてるのを、なんとかして欲しいと相談されたわけです」
 黒田さんをはじめ気持ちある地元民によって草刈りは続けているものの、年に一度で人の手でやるには限界がある。アカシアなどの木は成長が早いために、ちょっと放っておくとすぐに人の手に負えなくなる。草木の繁茂のペースに、減っていくマンパワーが追いつかなくなってきているのだ。
「私もなんとか予算化できないか、県にも問い合わせたんですが…」
 答えは予想通り、予算がない、であった。
 県内の川は、どこでも同じような状況だ。各地から同様の要望は無数に上がっているだろう。全部に答えて公共事業にするだけの余裕はない。
「危険度合いから判断して、優先順位をつけて対応させていただきますので…」
 という決まり文句で誤魔化されるしかなかった。
 つまりは、いつやってくれるかわからない、ということだ。
 そうしているうちに、ますます草木は繁茂して、ますます人の手に負えなくなる。重機を入れるしかなくなるだろう。そうすれば予算がかえってかかると思うのだが。しかも、大がかりな工事をして草木を一掃したとしても、数年たてば元の木阿弥になってしまう。
 軽度なうちに頻繁に手を入れるのがベストなはずなのに。
 そうはいっても、現実的に予算化ができない以上、手も足も出ない。
 黒田さんからの相談に、私は応えられていなかった。
「そういうことですの。それは困りましたわね」
 事情を聞いたしおり市長は、指を唇に当てて小首をかしげた。
 そんな物憂げな仕草も、愛くるしい。
「草木を刈る人も意識も減っている。予算はない。たとえ工事ができても、数年後にはまた同じになる。放っておけば、いざというとき地域に危険が及ぶ。そういうことですわね」
 いつもながら、この市長は要点をとらえるのがうまい。
 数瞬、考えてしおり市長は、黒田さんに笑いかけた。
「でしたら、今日、その現場に行ってみましょう!」
「えっ?今日だがっす(ですか)?」
「ええ、だってお困りなのでしょう?大変な問題じゃないですか。現場を見てみないことには、判断できませんし」
「んだげど、今日って…」
「あっ、黒田さん、ご都合わるいですか?」
「いや、んだって、市長こそ人間将棋、大丈夫なんだが?」
「ああ、そうでしたわね。なら私の出番が終わってからでよろしいですか?じゃあ、柴田議員、それまでに車まわしてくださる?」
 ああ、やっぱり俺の車で行くのね。そんで、俺の都合は聞かないのね。
 そうは思ったが、私は黙ってうなづいた。
 どうせこうなるだろうと思っていた。しーちゃんは、小さい時から即断即行だ。そして、人の都合は(いや、私の都合は)、考えない。
 人間将棋期間中は、舞鶴山に車の乗り入れ規制がかかっているから、私の車を回すにはまた歩いて下山して車をとってこなければならないことも、その交通規制を突破するのに、市長を迎えに行くからとスタッフを説得しなければならないことも、考えてくれるわけがない。
 まあ、仕方ない。
 黒田さん、つまりは市民が困っているのだ。それぐらいは振りまわされてもいいだろう。
「それじゃ、後ほど」
 ご機嫌よう、とまではさすがに言わなかったが、令嬢のようにお辞儀をすると、しおり市長は、軽い足取りで開会式のステージへと去って行った。
 黒田さんは、口を開けてそれを見送っていた。

vol.10に続く ※このお話はフィクションです

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