しおり市長の市政報告書 vol.32

   1月29日午前11時22分

 私は、舞鶴山の頂上にむかっていた。
 春の人間将棋以来、久しぶりに山頂へと登る。冬まっただ中の舞鶴山は真っ白で、静謐に包まれていた。
 除雪はされているものの、雪深いこの時期、なかなか山頂まで登る人はいない。麓にある愛宕沼周辺は、散歩している人がまばらにいたが、曲がりくねる登山道をぼろ車で登るうち、人の気配はなくなった。しかし山頂に着くと、人気のなさがかえって雪景色の精妙さを際立たせるようだった。
 あのあと、市長室に駆け込むと、市長は不在だった。
 秘書係の山内さんに行き先を聞いたが、不明とのことだった。居留守を決め込んでいるかと思えば、そうでもないらしい。今日は早々に退庁したが、どうやら帰宅もしていない。
 私には予感があった。
 長いつきあいだ。怒っているとき、落ち込んでいるとき、決まってしーちゃんはあの場所に行く。こんなに雪があるときに、とも思ったが、やはりあそこだろう。
 人間将棋をする巨大将棋盤も雪に埋まっていた。石造りの「王将」のオブジェも噴水が止められている。その背後にある花壇も、もちろん一面の雪だ。長靴をはいて、新雪をさくさくと踏んで歩いて行く。案の定、私の前に小さな一人分の足跡があった。
 雪道を上りきると、視界が一気に開けた。
 天童のまちを一望できる展望広場。ここが私としーちゃんが天童市で一番好きな場所だ。
 バスケコートぐらいの広さの平地に大ケヤキが鎮座ましましている。展望広場から北の方角へ、天童の中心街が眼下に広がる。いつもいく温泉ホテルビルが小さく見えた。今日は天気がいいから、遠く月山や葉山も見え、奥羽山脈も右手に連なり、村山盆地を手に取れるような気分になる。
 いつ来ても、ここからの景色は最高だ。
 春の桜は言うに及ばず、夏の深緑、秋の紅葉、どれも美しい木々の間から天童を見渡せる。夜景ともなると、箱庭に電飾を灯したようで、これまた綺麗だ。冬のこの時期、寒いながら、雪景色もまたオツである。木々に葉がついてないだけ、視界がいい。
「ちょっと、なにしに来たんだず?」
 頭上から、なまった山形弁(?)が聞こえた。
 見上げると、大ケヤキの高い場所に、探していた人がいた。太い枝に腰掛けて、足をブラブラさせている。おいおい、危ないだろ?ってか、濃紺のスーツのスカートから白い足が…。別の意味でも危ないっていうか…。
「市長、この年になって木登りですか?」
「だってこのケヤキに登っど(登ると)、もっと景色が綺麗なんだも(もん)」
「高いところがいいなら、展望櫓があるでしょう?それに、今はそのケヤキ、登っちゃいけません」
「んだの?なんで?」
「木を保護するために、数年前に根の部分に盛り土して、木の周辺を立ち入り禁止にしたんです。だから下りてください」
「やんだぁ(ヤダよ)。すごい気分いいも。ケーちゃんも登ってこいず」
「ダメです。市民に示しがつきません」
「ちっちゃい頃から登ってたんだし、ケヤキの木だって、私たちぐらい乗せたって文句は言わねべ」
 私はため息をついたが、ここでまずいことに気が付いた。
 たしか、昔…。記憶が呼び覚まされる。
 中学生ぐらいの時、男どもであの木に登って…。みんなで誰が好きかとかいう話になって…。私は言いたくないって言い張って…。なら木に刻めとかいう風に追い詰められて…。ハートのついた傘的なものを刻んで二人の名前を…。
 やべ。あの枝あたりかも。
 私はあわてて木に登りはじめた。木登りなんか何年ぶりだろう。雪に濡れた大木は、滑ってしょうがない。スーツを汚さないように、傷つけないように登るのは骨が折れた。
 よくアイツ、すんなり登れたな。さてはちょくちょく登ってやがるな。立ち入り禁止も知ってて、すっとぼけて登ってたんだ。
 やっとのことでしーちゃんが座る枝までたどり着く。
「木登り久しぶりだべ、ケーちゃん。やっぱこっからの景色、最高だべ?」
 目を細めながら、風に髪をなぶらせるしおり市長。その笑顔に見とれそうになったとき、しおり市長の背後の枝に、ひっかき傷のような跡を発見。やっべ、やっべ!
「か、考え事ですか、市長?」
「考え事ってわけでもないげど、ムシャクシャしてだがら」
「あ、あのぉ。そばの賞味会ではすみませんでした。かえって迷惑かけてしまって」
「あはは!ケーちゃん、カッコ悪れっけねえ!なんか松永に完敗って感じ?しかも宣言通り、マスコミに叩かれまくってりゃ世話ないよねえ」
「す、すみませんね」
「で、こっちまで飛び火して、さらに状況悪化。市役所マヒ状態。責任とって、責任」
「だから、すみませんってば」
 殊勝に謝る私にそりゃないと思う。誰のためにやったと思ってんだ?でもまあ、完敗したし、迷惑かけたし、言い返せないし。
 ふてくされて俯く私に、しーちゃんはぼそっと呟いた。
「でも…。ケンカしてくれて嬉しかったよ」
 えっ?と顔を上げると、しーちゃんはそっぽをむいていた。
 後ろ姿しか見えないが、髪の中の耳が真っ赤に染まっている。
 私は舞い上がるような気分だった。でも、やべっ。そっぽ向いた視線の先には、例のひっかき傷が…。
「し、しーちゃん!とにかく、俺も責任とっから。何でもすっから。頑張っべ。頑張って、この状況乗り切っべ。なんでも命令してけろ!」
 しおり市長と呼ぶのも、敬語と標準語を取り繕うのも忘れて、あわててまくし立てた私だったが、しーちゃんは「うん…」と声を沈ませただけだった。
「…『いい事業(ごど)』思いつきませんか?」
「のど元まで出かかってる気はすんだげどね(するんだけどね)。ケーちゃんが色々調べてくれた中にヒントもあったし。これまでやってきた事業も活用できるだろうし。長期的な事業であれば、いくつかでぎるど思う。でも課題解決に向けた施策を、一発で象徴する『いい事業』が思いつかない」
「やっぱり、天留湖の親水公園ですか?」
「親水公園と鳥獣被害対策、中山間の農業、環境問題。どれでもいいから結びつけて、市民の目に印象的な事業をしたいんだけど…」
「しかも短期間に、ですね…」
 しおり市長は、頷いたあとしばらく沈黙した。私も黙って次の言葉を待った。
 しおり市長ならできる、いや、私たちならできると信じようと決心した。私に案がない以上、しおり市長の発想を待つしかない。しおり市長は、のど元まで『いい事業』が出かかっていると言った。私もあと一歩の予感がする。
「ねえ、ケーちゃん。地方創生に必要なものって、なんだと思う?」
 ふと、しおり市長が口を開いた。
「なんですか、急に?ずいぶん難しい質問ですね」
「いいべした。いつも考えてることだべ?」
「うーん、一言で言うのは難しいっすね。私は、地方創生には特効薬はないと思ってます。定住人口も大事、交流人口も大事。そのためには農業、商業、工業、観光、建設。どの産業も大事ですし、結婚支援、子育て支援、介護なんていう福祉サービスも大事だし、上下水道とか都市計画とかの居住環境も大事ですしね」
「長い!長いず、ケーちゃん!」
「だってそうでしょう?どれか一つなんて言えませんよ?あらゆる分野に質のいい施策を行ってはじめて、住みたい、訪れたいまちになるんでしょう?『人口減少対策』なんて言ったって、すべての施策がそれにつながるんですから。何か一つをやれば人口減少に歯止めをかけられるなら、誰でももうやってますよ」
「まあ、私もケーちゃんの意見に概ね賛成。地方創生に特効薬なんてない」
「じゃあ、しおり市長が思う、地方創生に必要なものって?」
「私は、『天童ってなんかいいね』って感覚だと思う」
「はあ?またずいぶんと感情的ですね。なんか意識高い系SNSみたいに聞こえますけど」
「あはは、んだね。でも、病は気から、景気も気から、って言うべ?地方創生も気から、だど思うんだず」
「わかる気がしますけど」
「別に、『足るを知れ』とか『もうみんな幸福でしょ』とか言って、現状で満足しなさいなんて言うつもりはないよ。そんなこと言ってたら、『幸福度』なんか上がらない。人口減少は世の流れで、人口増加は不可能。でも、なにもしなければ、ジリ貧だず。攻める行政で、やっと人口維持、だと思う」
「地方創生は、攻めの一手、ですか?」
「地方創生って言葉、たまに頭さ(に)くるんだよね。なにを今さらって思う。中央偏重の考えから地方に目が向くのはいいことだげど、地方はずっと『創生』されてきたんだず。投入される予算と人口が圧倒的に違うだけで、まちを『創生』する努力は大都市でも地方でも変わらないはずだべ?」
「でも、これだけの差が出てしまった。都市への人口流出も止まらない」
「んだ。んだからこそ、『天童ってなんかいいよね』って感覚を、まずは市民に持ってもらわないと始まらねんだず」
「山形県民や天童市民ってのは、とくに自分の故郷を悪く言いますからねえ。本当は好きなのかもしれませんけど。いいものを持ってるのに、『なんにもない』とか言って。自慢するのも下手ですからねえ」
「自慢下手だからこそ、これまで知られていなかった素材の宝庫が、山形なんだと思う。んだがら、私たち行政はその素材を使って、話題性のある事業、わくわくする事業を、百個二百個と展開していくしかない。しかも、予算不足のみぎり、お金をかけずに、アイディアだけでね。そうして、市民や訪れる人に、『天童ってなんか勢いあるよね』とか『天童ってなんかこの頃面白いよね』とか言ってもらえる様になってはじめて、住みたいまち、訪れたいまちになるはずなんだず」
 しーちゃんのこれまでの事業を理解できた気がした。
 河川敷のパークゴルフ場も、駒の雪像と雪の販売も、アーモンドの育成も、チップボイラーの導入も、その他様々な事業が、困った問題を解決することを目的としながら、話題性があり、多額の予算をかけていない。せっかく事業をやっても、市民から喜ばれ、全国から注目されなければ効果がない。莫大な予算をかけて一分野を解決しても、他に手が回らなかったら意味がない。
 織田しおりの真価は、その発想と決断にある。
 私はそれをサポートするのが役目だ。
 なぜサポートするのか?それは、ワクワクするからだ。
 しおり市長の思いつく「いい事業」は、面白いじゃないか。だから、多くの人間が賛同し、協力し、注目してくれるのだろう。
「いつか、みんなが『天童ってなんかいいね』って思ってくれるといいですね」
「んだね。でも、みんなが私に賛成、なんてことはあり得ないげどね。みんなが仲良く敵もいない、なんてこと天国でもあり得ないでしょ?」
「はっ、そりゃそうだ。伊達や松永が市長に賛成なんて、天国でも浄土でもないでしょうから」
「私は神様仏様の前でも、伊達とはケンカしてやっず」
「来世でも、天童のボスザル争いですか。田麦野のサルたちも顔負けですよ」
 そう言って笑い飛ばしたとき、急にしーちゃんは黙り込んだ。
 ありゃ、ボスザルはまずかったか?また殴られるか?
 そう思って首をすくめたが、予想された衝撃が頭部に来ることはなかった。
 細い指をあごの先に当て、なにやらぶつぶつ呟いている。真剣に考え込む憂いを帯びた表情と、紅潮してきた頬のコントラストがなんとも…。
「…ちょっと無理筋?うんうん…いけるかも…」そんなことを独り言ちた。
 おっ、まさか来るのか?そのとき歴史が動くのか?敵は本能寺にありか?トラトラトラか?

「ケーちゃん、いい『事業』おもいついだっきゃ!」

 キターーーーーーーー!
 ついに来た!その台詞待ってましたーーーーーーーーーー!
 よっ、大統領ーーーーーーーーー!
「なにか思いつきましたか、市長!」
「うん!かなり無茶だし、たぶん批判も多いだろうけど、しかも問題は解決しないけど、いける!」
「はあ?」
 無茶で批判されて問題は解決しない、いい事業?なんだそれは?
 言葉に詰まった私に、しおり市長は思いついた「事業」を説明した。その内容を聞いて、私はさらに絶句した。
「いや、市長。さすがにそれは…」
「じゃあ、なんか他に案があるの?」
「そりゃ思いつきませんけど」
「なら黙って言うごど聞げ!まず副市長に説明して、総務部長や建設部長と調整…っと、それは私の仕事か。じゃあ、ケーちゃんは、山形大学の石田先生に電話!有識者としての意見を聞いて。それから県の村山総合支庁や秘書時代につながってる国の機関に連絡して、国や県と環境サイドの調整をする段取り!それと、自衛隊の第六師団にも交渉のわたりをつけて!あと、農協の松平組合長に電話して相談して!」
「そ、そんなにですか?」
「まだまだやるごどはある!時間がない!今すぐ行げ!」
 そう叫ぶと、しーちゃんは私の背中をつき押した。
 悲鳴を上げる間もなく、ケヤキの上から落下。数瞬の空中飛行の後、ズボッと新雪に膝上まで埋まる。雪がなかったらどうなったことか。ああ、助かった…じゃない!
「し、市長!危ないじゃないですか!」
「うるさい!とにかく動け!今回役に立ったら、このバカバカしい落書き、見なかったことにしてあげる!」
 うわーーーーっ!マジでーーーーっ!見られてたーーーーっ!
 動揺、混乱、自責、羞恥、猛省。
 私は、悲鳴を上げながら手足をばたつかせ、雪から足を引っこ抜いて走り出した。駆け出したのは、ひとえにその場から逃げたかったからだ。
 しかし、その疾走は、織田しおり市政再始動の先駆となった。

vol.33に続く ※このお話はフィクションです

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