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しおり市長の市政報告書 vol.14

   1年10ヶ月前2月6日午前8時3分

 次の日、私と上杉さんは、完全武装の雪対策装備で、スコップを握っていた。
 目の前には、コンパネ四枚を垂直に四辺に立て、外周をひもでぐるぐる巻きにした、小さな壁のようなもの。
 温泉街の駅からの通り、上杉組合長のホテルの前で、このコンパネを仕込んだあとは、道を占拠する雪を、そのコンパネの中の空洞に放り込んでいく。ある程度内部に雪が詰まったら、一人が入って雪を踏み固める。そうやって踏み固められて空いたスペースに、さらに雪を放り込み、踏み固める。これをひたすら繰り返す。
 汗だくになった30分後。
 横180㎝、縦180㎝、奥行き90㎝ほどの四角い雪のかたまりができた。
 人の背丈ほどの高さの平べったい、雪の壁だ。
 これから、余分な部分をスコップなどで削り落とし、左官さんが使う壁塗りの道具で表面を平らにしていく。
 作業を始めて1時間半で、そこには巨大な将棋駒型の雪像ができあがっていた。
「できましたわね!綺麗ですぅ!」
 子どものようにはしゃぐしおり市長。
 着ぶくれするようなスノーウェアもまた可愛い。
 市長は完全武装でコンパネ内部に入り、雪を踏み固める役をつとめていた。どんどん放り込まれる雪を浴びる、相当ハードな役回りだが、市長は喜々としてその仕事をやっていた。本当に「雪遊び」が好きなのだ。
 これが、しおり市長の思いついた「いい事業(こと)」だった。
 発想の原点は、米沢市の「雪灯籠まつり」。
 米沢では、冬の風物詩として、市内の上杉神社周辺に、300基の雪灯籠と1000基もの雪洞をつくり、それに光をともして、鎮魂祭が行われる。もともとは、雪の多い米沢で、地元の青年が雪で何かつくろうということになり、雪を高く積んで灯をともし、十基ほどの灯籠をつくったのが始まりだという。これを眺めながら雪見酒と洒落込んだところ、これは綺麗だからもっとつくろうと広まって早40年。市内の行政・企業や学校までが協力して雪灯籠を作成し、今では観光客が20万人も訪れる祭りへと成長した。
 これを、天童でやるならば、
「やっぱり将棋駒の形だべ(市長談)」
 ということで、私が大雪で大渋滞する米沢に派遣されることになったわけだ。
 大雪の中、先方の観光協会の事務局が思いの外あたたかく迎えてくれ、快く雪灯籠の作り方を教えてくれた。コンパネで四方を囲って雪をつめ、踏み固めて雪の柱をつくる。そこから雪灯籠の形を切り出していく。
 これをまるきり真似させてもらった。雪の柱を壁にする工夫くらいで、灯籠をつくるよりも将棋駒の形にするにはそれほど苦労がなかった。
 まあ、これを次の日にはつくってしまおう、というのがしーちゃんらしいのだが。
「だって雪がなくなったら、意味ないべした」
 それはそうなのだが、俺の都合はまたも関係ないのね。思った以上に楽しかったし、できあがった雪の将棋駒は、想像以上にいい出来映えだったから、いいげんともよ(いいけどもさ)。
 だが、そこからが大変だった。
「あとはケーちゃん、上杉さん、頼みましたわ」
 そう言ってしおり市長は、あっさりと市役所に引き上げていった。
 一つつくって満足して、飽きたんだ、絶対!
 市長の構想では、これを数10基つくって、駅から温泉街まで並べる、というものだった。確かにそうなれば、一つの観光資源になる。
 でも言うのとやるのは違うだろう。三人で1時間半でできたとはいえ、私と上杉さん二人で全部つくるわけにもいかない。24時間、これをやっているわけにはいかないのだ。ホテルの社長の上杉さんは忙しい。もちろん私も暇なわけではない。
 しかし、一個できて、形が見えた。その作り方もスマホ動画で撮っていた。過程と結果が見えると、人は意外と話にのってくれるものだ。
 温泉組合の若手が、できた駒型雪像を見て、まず反応してくれた。
 社員と一緒に、雪かきがてら駒型雪像をつくってくれて、旅館ホテルの前に数基の雪像が建った。これには温泉組合長の上杉さんの声がけの効果が大きい。
 温泉街に雪像が建つと、これを観光客が写真で撮っていく。
 やはり天童で将棋駒の雪像が建っていれば、話題性があるだろう。
 こうなると、駅前通りの商店さんなどが反応してくる。私も「雪像を建ててみませんか」と各店舗を口説いてまわった。すると、自分の店の前に雪像をつくりたいと言ってくれる人が増えてきた。
 しかし、ここで問題になったのが、歩道を雪像が占有してしまうことだ。しかも市道も県道もあるので、天童市と山形県の許可が要るということになった。
 あわててまずは市と県の道路管理の担当課に赴いた。
 最初、市と県の職員は非常に冷ややかだった。「通行人の妨げにならないのか」とか「雪像が倒れて通行人が怪我をしたらどうするのか」とマイナスの見解が相次ぎ、迷惑そうな対応だった。除排雪への対応だけでも大変なのに、雪像などが建ってしまえば、これを壊さないように気をつけなきゃならないじゃないか、というようなことも言われた。
 とくに市では、しおり市長の発案だということがわかっていたはずだが、前向きではなかった。まだまだ就任二ヶ月の、しかも20代女性のしおり市長に対しての信頼が確立されていなかったからに他ならない。
 ここで救世主となってくれたのは、森副市長だった。
「せっかく市民がやる気になっているものを、行政がとめるものじゃない。問題点が出てきたら、その都度、解決すればいい。責任は私がとる」
 そう言ってくれたことで渋々ながら市が前向きになってくれた。天童の地元が認めているものを県道でできないとも県は言えないから、県道市道ともに雪像製作の許可が下りた。植栽を傷つけるなとか、申請書を出せとか、かなり細かく指示は受けたが。
 さらに、これは道路を占有するのだから、規定の占有料を払ってもらわなければならないのではないか、ということも言われたが、これにも森副市長が、
「雪は個人の所有物ではなくて、天から降ってきたものだろう?それがどんな形をしていたって、普通に雪が積んであるのと変わりがあるのか?」
 と言って、占有料も免除してくれた(法律に照らし合わせたら、正確にはどうかわからない。でも市が減免処置してくれれば、誰かが訴えない限り大丈夫だろう)。
 そんなこんなで、天童駅から温泉街にかけて、わずか2週間で、予想を超える50基以上の将棋駒雪像が出現した。そのころには雪が落ち着いていたから、晴れた冬空の下に白い将棋駒が立ち並ぶ様は壮観だった。新聞の取材も随分訪れ、話題となっていく。
 頭にきたのは、市長選挙に負けたばかりの伊達よしきが、当初腹いせに雪像を危険だとか、邪魔だとか、そんなことより除雪を優先しろ、などとSNSにアップしていたくせに、話題になった瞬間、「私も市民と一緒に雪像作製中」などという写真をアップしていたことだ。まあ、負け犬の遠吠えということで我慢したが。
 いずれにしても、邪魔な雪が、観光資源になった瞬間だった。

 もう一つ、しおり市長が思いついた「いい事業(こと)」があった。
 だがこれは「いい事業」かどうかわからない。
 それは、「売るほど雪があるなら、売っちゃえばいいべした」というものだった。
「市長、ただの雪を誰が買ってくれるっていうんです?」
「あら、だって氷は売ってるべした」
「氷は使うでしょ!雪なんか使いようがないでしょうが!」
「だから、使えるようにして売るの。雪とハサミは使いよう。ケーちゃん、付加価値って言葉、しゃねの(知らないの)?」
 そう言って生まれた商品が、「天雪シリーズ」だった。
 綺麗に包装された発泡スチロールの中に、雪で小さなカマクラやジオラマをつくって、小物で飾り付けをする。これをネットで通信販売したのだ。
 こんなもの売れるか?
 と心底疑問だったが、なんとこれが当たった。
 本物の雪をプレゼントする、というのは意外とロマンチックらしい。
 バレンタインのプレゼントなどに、非常にぴったりはまったようだ。あるいは指輪を贈るにしても、この「天雪」の中に仕込んで送ったり。もらった方も、フタを明けた瞬間、白い冷気が溢れて雪景色、というのは嬉しい。
 なるほど、使いにようによっては、雪を買ってみてもいいと思わせる。
 まあ雪なんかは製造器でいくらでもつくれる。わざわざ山形から本物の雪を運ぶより、都会でつくってしまった方が安上がりだろう。そこは、「本物の雪」というところに価値があるのかもしれない。しかし、ただ本物の雪というだけでは、話題性がなくて買いたいと思う付加価値には繋がらなかったろう。
 だが、このとき、「しおり市長」は、「美人過ぎる市長」とやらで全国でかなりの話題を呼んでいた。まさに、「しおり市長」こそ付加価値だったのだ。
 信じられないことに、各地に「しおり市長ファン」的な人間が増殖しており(応援隊組織すら存在する。アンビリーバブル!)、彼らもこぞってしおり市長からのプレゼントとして「天雪」を買ったようだ。こっちは恋人へのプレゼント用ではなく、自分へのプレゼント用という使途だ。なんてったって、白い毛糸の帽子と手袋をつけたしおり市長の写真付き。まったくもってバカバカしい。
 ネット上では賛否両論で、特に女性からは「市長の自己アピール強すぎ」とか「あざとい」とか「これは市長の立場でやることなのか?」(伊達談)とかいった批判もされたが、アンチ巨人は巨人ファン、である。要は話題性なのだ。
 地元の産物を有名な行政トップが売り込んでなにが悪い。もと宮崎県知事なんか「そのまんま」やってたじゃないか。
 販売に当たったのは、地元の佐竹氷屋の息子だ。
 ふわふわかき氷で、行列ができる店を作り上げ、いまや天童名物だ。私が(半信半疑で)この企画をもっていくとノリノリで応えてくれて、商品化へ向けた構想、デザイン、写真撮影からパッケージづくり、流通経路まで1ヶ月で確立し、販売に結びつけてくれた。
 氷屋だから、冷たいものの扱いはお手の物。今や売れに売れて笑いが止まらないようだ。模倣商品が他市町村からも売られて、「天雪」は商標登録するらしい。

 さて、英邁なる市民の皆様はもうお気づきでしょう。
 これらの事業がうまくいったからといって、雪そのものの問題は片付かないだろうことを。
 その通りであります。
 将棋駒型の雪像が建ったからといって、それは一地域だけのこと。市内全域では相変わらず除排雪で大変だし、駅前と温泉街でも、それは同じことだ。
 また、雪を売ると言ったって、そんなものは微々たる量に過ぎない。天童に降る雪を全て販売するなど不可能だ。まして道路に降って除雪した雪など、茶色になって売れたものではない。
 つまりは、根本的に雪の問題を解決したわけではない。
 しかし、そんなことは承知の上だ。
 雪を活用するというが、これを資源とするのは困難を極める。
 雪氷熱の利用、という言葉がこのごろ語られる。雪の冷気をクーラーや冷却のエネルギーとして利用できないかということだ。雪をエネルギー資源と捉えるわけだが、イニシャルコストが莫大なわりに得られるエネルギーが少ない。体育館ほどの雪を夏まで貯めておいても、一部屋を一夏冷やせる程度だ。エネルギー効率と経済効率が悪すぎる。これからの技術革新が待たれる。
 つまりは、雪はまだ資源たりえず、邪魔者だということだ。
 除排雪の苦労は、しばらく抜本的に解決するということはない。
 そんな中で、今回の事業の要諦は、どうやって雪というマイナスイメージのものをプラスにしていくかということにある。
 雪をモニュメントに、そして、雪をプレゼントに。
 これによって、歩道に雪が積もって苦情を言っていた観光客が、その雪を写真撮影するようになった。道路ですべって転んだら道路管理者に苦情を言うが、スキーで転んでもスキー場に苦情を言う人はいない。道路を観光地にしてしまえばいいのだ。
 また、そこにある雪を商品の原材料として市民が捉え、全国に天童を発信することができた。雪をロマンチック(恥ず!)だと市民も再確認したし、県外からの来客も呼ぶだろう。
 雪に対する発想の転換、これがしおり市長のやったことだ。
 それも、雪像やプレゼントのアイディアを、具体的に現実的に示したところにしおり市長のすごみがある。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
 山本五十六の名言が頭に浮かぶが、まずは自分でやってみせること。それがなければ人は動かない。言って聞かせて、させてみて、からは私がやったが、そもそもの「やること」の提示がなければ、ことは始まらないのだ。まあ、私はほめられていないが。
 そんなことは市長がやることではない、という批判をよく耳にする。
 しかし、じゃあ政治家のやるべきこととはなんなのだ。徳川吉宗は、隅田川の堤防に桜を植えて観光名所にしたが、これは堤防を人が踏み固めることを目的としたものだったという。
 本来の目的を果たすために楽しいアイディアを考え、それが様々な副次効果を生んで、市民の意識改革まで促してしまう。それこそが「いい事業」だろう。それを考え、実行するのは立派な政治家の仕事だ。
「だって、将棋駒の雪像も、雪のプレゼントも、おもしゃいべした(面白いでしょ)?」
 それが、しおり市長の最初の言葉だった。

 将棋駒の雪像は、それから毎年つくられるようになり、「雪駒街道」事業と呼ばれ、お祭りも開かれるようになっていく。
 市としても予算化が行われ、雪駒をつくるためのコンパネ機材も作成された。四枚のコンパネの板を立てて、四つ角を接合した、雪駒専用製作道具だ。コンパネの面には将棋駒の絵入りである。
 天童では常に雪が降るわけではないから、雪が降りそうな季節になると、これが駅前通りに並べられた。雪が降ると、この機材の中に雪かきがてら住民が雪を投げ込むのだ。雪像ができると機材は外されるが、この機材そのものが風物詩となっていった。雪がない年には、予算をかけて天童高原から雪を運ぶ、ということにまでなった。
 そのうち、「汗の一かき運動」というものもしおり市長が提唱した(これは1988年に新潟市ではじまって全国に広がったものを真似たものだ)。スコップを道に置いておいて、通りがけの人や観光客、他地域の人が雪駒づくりに協力するというものだ。健康のために、ボランティアのために、「一汗かいて、雪かきしませんか?」ということで、これが始まってから、これが天童市内全域に広がっていく。
 雪が降れば、天童には全域に白い将棋駒が建つようになる。
 「天雪」も相変わらずに人気で、いろいろなバージョンを生んでいく。自分で造形したいから雪そのものを買いたい、という客もいて、大量に雪を送ってくれ、という注文も入ったらしい。
 そこにはやはり「あの、しおり市長の雪」というネームバリューがあることは否めない。それはやはり、信じがたいことだが。
 こうしてこれらの事業は色んな方向に拡大していくのだが、それはまだ先の話。

vol.15に続く ※このお話はフィクションです

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