しおり市長の市政報告書 vol.8
12月9日~年末
次の日から、天童市役所は大混乱に陥った。
マスコミがよくやる手だ。前後の文脈を切って、失言をつくりだす。
しかし、こんなにひどいものは初めてだ。予想に反せず、松永春樹のしわざだった。悪意に充ち満ちて、市長の暴言をつくりだした。放送したテレビ局と同列の新聞も、次の日、織田市長の議員への「嘘つき」発言と、「農業軽視」「土木工事強行」を報じ、しかもなぜか「環境破壊」までおまけについていた。
しかも、やり方が巧妙だ。
議会での映像はインターネットでも配信しているから、質問と答弁の内容を見直せば、伊達にも否があることがわかるに違いない(まあ、市長にも否があることもわかることになるが。「嘘つき呼ばわり」や「議会軽視」に関しては全面否定もできないし)。
だが、わざわざネットで質問の様子を全部見てくれる人は少ない。まして高齢者は見ないだろう。傍聴者も伊達の味方、反市長派ばかりだった。
インタビューの様子については、各社のテレビカメラが撮っていたものなので、前後の内容などを確認するすべがない。
だったら、「前後の内容から、そんなに市長は暴言を吐いてませんよ」と、他のテレビ局が擁護してくれればいいようなものだが、なぜかマスコミというものは、互いの局を批判し合わない(N〇Kのことは喜んで攻撃するが)。経済の原理からいえば、同業他社への批判は自分の利益になるのだと思うのだが、自分の局が失敗した時のために危ない橋は渡らないのだろう。なにか協定でもあるのかもしれない。
ただ、それもやり過ぎな偏向報道ではあるのを自覚しているのだろう。前後を切った市長のインタビューは、あれ一回きりの放送だった。
だからこそ、市長の発言の真相は、永久に市民に伝わらないことになった。
そして、「市長の暴言」という「事実」だけが、一人歩きした。
いまだに地方では、テレビや新聞は「権威」だ。最強の「権力」と言ってもいい。特に高齢の市民達は、マスコミ報道は無条件に信じる傾向にある。マスコミは中立公正だと信じているのだ。
しかし、そんなことは幻想だ。
どのマスコミにも「思想」がある。保守だったり革新だったり。それは悪いことではない。お金を出して買う新聞は、その思想を入れて社説を書いたりすることが許されている。電源を入れれば映像が「だだ流れ」してしまうテレビでは、そうした偏った報道は慎むべきとされているが、実際はそうでないことが一目瞭然だろう。
要は、マスコミの私見が報道に入っていることを認識しつつ、視聴者が報道を冷静に見ることが必要なのだ。
これは歴史の叙述と同じだ。
歴史家が、「歴史事実」を書く、などということはありえない。
必ず歴史家の思想が文章に表れるし、「どういった歴史事象を取り上げるか」という取捨選択そのものに、歴史家の私見が入ってくる。
マスコミがどの部分を切り取って報道するか、というところに私見が入るのと全く同じだ。今回は、その「私見」が悪意に満ちていた、というのが問題なのだが。
市役所に、抗議や問合せの電話が殺到した。
通常の業務に支障をきたすほどに、市役所職員はその対応に追われた。
報道の内容は間違っている、などという言い訳は通用せず、すでに市長の暴言は事実として、謝罪を求めてまくしたてる電話がほとんどだった。
もちろん、反市長派の組織的な電話もあった。
しかし、痛かったのは、農業関係者の反発を生んだことだった。
「市長は農業ば(を)問題にしてねってが(ないというのか)?」
「鳥獣被害な(なんか)関係ないんだが(のか)?」
といった内容の抗議が、すごい数でよせられた。
やはりテレビの影響は恐ろしい。特に高齢者が多い農家を、煽動のターゲットにしたのは、松永の勝利と言うべきだった。
農家は、政治家の言動に敏感だ。
農業に多くの補助金が絡んでいるということが大きい。農業は政治に密接なのだ。
商売や観光にたずさわる人は、なかなか選挙に関わってくれない。「こっちを応援すると、あっちを敵に回すから、商売に影響が出る」と考えてしまうからだ。その点、農家はそういった懸念なく、積極的に選挙に関わってくれる。
だから、農家票というのは、選挙を大きく左右するのだ。
事実、天童市議会議員の半数が農家出身だ。これは、六万市民にしめる農業従事者の割合を考えれば、異常な数だ。私も「農業のことを考えない議員は、落選させてやる」とはっきり言われたことがある。
選挙に関わってくれる分、味方になってもらえれば非常に心強いが、敵に回れば非常に怖い。
政治家である以上、選挙のことを考えないわけにはいかない。「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればただの人」なのだ。
政治家は(とくに地方の政治家は)、農家を敵に回してはいけない。
そこを、松永にうまくつかれた。
議員に対する暴言、という話題であったはずが、いつの間にか、「市長は農業のことを考えていない」「鳥獣被害なんてどうでもいいと思っている」という話が中心となってしまったのだ。もちろん、反市長派が積極的にそういった陰口を言いふらした、という事情もある。
農家だけではなく、一般の市民にも不信感が広がっていた。
やはり、しおり市長への注目が高い分、反動が大きい。
さすがに全国ネットのマスコミなどでは大々的には報じていないが、それも時間の問題だろう。私はネットが怖いので見ていないが(エゴサーチは絶対にしない。私は批判を非常に気にしてしまうたちなので)、おそらくネット上では誹謗中傷の嵐だろう。
これを放置しておけば、しおり市長の二期目はない。
しかし、こうした逆風にいくら言い訳しても通用しない。対抗するには、市民を納得させる施策をうつしかないのだ。
だがそれは、困難極まる。
市長を支えていくべき市役所職員は、抗議の電話とマスコミ対応で大混乱だ。その職員を率いて、まずは問題の発端となったダム周辺の親水公園建設を、早期に実現させなければならない。その上で、農政にも力を入れていることを一目でわからせる事業を起こさねばならない。だが、それは議会からの反発をさけるために、多大の予算をかけてはならない。しかも、市長への支持を絶望的にしないためには、そんなに時間をかけずに火消しをしなければならない。
これらのことが、この難局を乗り切る絶対条件になる。
そんな施策があるだろうか。
私は、絶望感を覚えるしかなかった。
織田しおり市政スタート以来の危機が、こうして訪れたのだった。
第一章完 vol.9第二章に続く ※このお話はフィクションです