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しおり市長の市政報告書 vol.10

   4月22日午後4時23分

 人間将棋のオープニングから、前座のイベント、本番の人間将棋と進んだが、しおり市長もその間、挨拶やら合戦開始の合図などの出番があり、結局、乱川の現場にむかえたのは夕方になった(まあ、私も対局スペースの手伝いがあったし、黒田さんも農協の直売所を手伝っていたから、ちょうどよかったが)。夜にはプロ棋士の接待など、市長も結構忙しい中をぬっての現場視察となるが、しおり市長は疲れた様子もない。
 山に車を乗り入れるのに予想通り苦労したあと、私はしおり市長と黒田さんを舞鶴山山頂でピックアップした。
 しおり市長を乗せて市内を走るのは、自転車に二ケツしていたころから変わらない。
 しおり市長は極端な方向音痴だ。
 まったく地図が読めないし、道路も覚えない。だから、車の免許は持っているが、車は持っていない。
「んだって、車あっても、目的地さ行げねもん(に行けないんだもん)」
 と、なぜか威張っていた。
 となれば、公用車を使えばいいのだが、公用車を使うのもしおり市長は嫌う。
 もちろん市長としての公務では、公用車を使わざるを得ない。市政のトップの安全は優先されなければならないし、市民の目や対外的なことを考えても、多少は威厳というものも気にしなければならない。市長公用車の運転手もいるのだから、その顔もつぶしてはいけない。
 しかし、しおり市長は公用車を極力使わない。
 朝の登庁も歩いてくるし、土日はたとえ公務でもタクシーを使ったりする。運転手さんを土日出勤させたくないというのもあるらしい。だが、私の見るところ、公用車を使うのはめんどくさい、というのが本音だろう。四六時中、職員や市民に接していなければならないのが市長という職だ。移動中ぐらいは一人になりたいのだろう。
 他市町村の首長や議長の中には、プライベートとの区別がないように公用車を使ってみたり、自分が偉く見える快感を味わうために公用車を使う者もいることを思えば、これはしおり市長の美点と言えるだろう。
 だが、だからこそ、必然的に私が運転手として呼び出されることが多くなる。
 土日などは特に呼び出しを食らう。そして私の都合は考慮されない。
 週末に頻繁にドライブ、となれば、周囲から恋愛関係を誤解されるはずなのだが、単なる都合のいい運転手(確かアッシーくんという死語をテレビで見た)だと思われているのだろう。誰も騒がない。助手席にしおり市長は乗るのだが。
 この日も、助手席にしおり市長、後部座席に黒田さんを乗せて、私のぼろフォレスタは乱川へと着いた。
「こごら辺(この辺)だ。ひどいびゃあ(だろ)?」
「ええ、確かにこれはひどいですわね」
 黒田さんの指さした場所には、鬱蒼と草木が生えている。
 雑草が主だが、腰くらいまで伸びていた。しかも結構広い。
 川の本流が常に流れているところは砂利や小石だが、そこから一段上がった場所、堤防までのスペースが一面の雑草だった。基本的にこのスペースは、よほどの増水がない限り水につからない。何十年かに一度の大雨に備え、高い堤防まで川幅を確保しておくのだ。
 だからこそ、広大なスペースに草木がはびこってしまっている。
 確かにこれを人の手で草刈りするのは大変だろう。
 しかも、まだ毎年少しでも手を入れているからこの程度で済んでいるのである。
「なんとが俺らも頑張ってきたんだげっともよお(きたんだけれどもさ)。これだげの広さ、少ない人手で草刈りすんの、楽でねぐなってはよお(楽じゃなくなってしまってね)」
 黒田さんはため息をついた。
「なんとがならねべがっす(なんとかならないですかね)?俺らもなんでも協力すっからよお」
「本当に、なんでも協力してくれますか?」
 と、しおり市長は黒田さんをまっすぐに見つめた。
 美人の「まっすぐ見つめる」は、大砲並みの威力がある。黒田さんはかわいそうなくらいドギマギして、やっと声を絞り出した。
「あ、ああ…協力すっず(するってば)。なんとがしてけんながっす(なんとかしてくれるんですか)?」
 しおり市長は、小さく「ええ…」とつぶやくと、私の方を振り返り、

「いい事業(こと)、思いついだっきゃ(思いついちゃった)」

 といって可憐に笑った。
 おいおい、嫌な予感がする。
 この笑顔は、悪魔のほほえみだ。
 なにかを思いつきやがった。経験上、こういうときは私が苦労するハメになる。
「黒田さん、ゴルフお好きでしょう?」
「はあっ?ま、まあ、ちょっとはやるげど」
 またわけのわからないことを言い出した。確かに、黒田さんは、左手の甲だけ日焼けしていない。ゴルフグローブによる典型的なゴルフ焼けだ。天童には天童カントリークラブというゴルフ場があるから、結構ゴルフを趣味にしている人が多い。
 しかし、どういう意味だ?
 ますます嫌な予感が大きくなる。
「それはよかった。じゃあ、ケーちゃん?協力してね?」
 予感は的中することになりそうだ。

vol.11に続く ※このお話はフィクションです

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