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しおり市長の市政報告書 vol.12

   1年10ヶ月前2月3日午前11時47分

 しおり市長の危機から、1年10ヶ月前。
 激しい市長選挙の末、しおり市長が天童市長になった2ヶ月後だった。
 その年の冬は、記録的な大雪に見舞われた。
 天童市は、山形県でも雪が少ない市だ。それでも12月から3月まで降雪があり、一面の雪景色にはなる。ただ、都会の人が想像するような「豪雪地帯」ではない(暖かい地域の人には、東北は冬になると二階から出入りすると思っている人がいるようだ)。天童は、せいぜい積もっても膝下くらいまでの雪だ。
 しかし、この年は違った。
 一月末ぐらいから集中的な降雪があり、除雪車がフル稼動で街中を走っていた。天童では市道に10㎝以上の降雪があると除雪車が出動する。雪が少ないければ出動がほとんどないが、雪の少ない天童市にして、すでに一月だけで五回ほどの出動があった。これだけでも大雪と称していい事態だ。
 そして、決定的な雪が降ったのが二月のはじめ。
 その日私は、天童高原にいた。天童高原で毎年行われる「スノーパークフェスタ」の手伝いをするためだ。
 天童高原は、夏はキャンプ場、冬はスキー場になる。このスキー場は、山形が世界に誇る蔵王ほどの規模ではないが、斜面はなだらかでギャップなどもないため、初心者が楽しむにはちょうどいいゲレンデだ。そりを楽しむスペースもあり、ファミリーゲレンデとして人気は根強い。
 この天童高原で、2月第1週の土日に、スノーパークフェスタが行われている。
 チューブスライダーやスノーモービル、雪に埋まった宝探しなど、いつもはない雪遊びができる。しかも、自衛隊が巨大なカマクラ(天童高原は自衛隊の雪中訓練の場所となっているため協力してくれるのだ)をつくってくれて、鍋やあったかいそばなどをその中で食べられる、という楽しみもある。
 私は所属している商工会議所青年部で出している鍋販売の手伝いに来ていた。
 しかし、その日は、この冬最大の積雪に見舞われた。
 朝に車で天童高原に行った時には、そんなに大雪でもなかったのだ。しかし、開会式の一時間ぐらい前から吹雪になり始め、5分後には数メートル先までも見えないほどの悪天候となった。
 天童高原へと通じる山道は、イベントのために登ろうとする車とあきらめて引き返す車が雪ですれ違えず、大渋滞。本来ならばイベントの開会式に出席するはずだったしおり市長も、開会式には間に合わず、引き返したという。
 とてもじゃないがイベントどころではない。イベントに人っ子一人来ないのだ。
 誰も来ないんだったらスタッフで楽しんでやる、と、やけくそになってスノーチューブに乗ってみたが、山の斜面を登るだけで遭難しそうになり、滑り降りる時は眼と口に大量の雪が飛び込んで窒息しそうになった。
 あきらめて暖かいロッジの中で、自分たちのつくった鍋を自分たちで食べる。となりのブースでもスタッフが自分たちのそばを食べており、鍋とそばを交換して食べる。それ以外にすることがない。イベントを主催した会長がさじを投げ、イベントの早めの打ち切りを決定した。私たちは大量に余った食材を車につけ、下山するしかなかった。(ラッキーだったのは、道の封鎖もなく、山に閉じ込められることなく下山できたことだ)
 私は命からがら下山して、「水車そば」へと向かったのは昼過ぎだ。
 天童のそばの名店、水車そば。十割の田舎そばが味わえる、地元民も県外客も多く押し寄せるそば屋さんだ。
 二階の個室にあがると、市長と副市長が私を迎えた。
「山に閉じ込められて、死ななくてよかったですわね」
 私がふすまを開けた瞬間に、くすくすと笑うしおり市長。ちくしょう、可憐な笑顔と台詞の毒があってないんだよ。副市長が同席してなかったら、もっと山形弁でゲラゲラ笑ったんだろうが、こら。
「あいにく、この若さで結婚もしてないのに死にたくないですから」
「あら、結婚する気がありましたの?では、天童創生のためにも、子どもをたくさん作れるうちに結婚して下さいね」
「はあ、なるべくそうします」
 くそっ、ちょっとドキドキする台詞だ。
「大変な思いをしたあとに、わざわざご足労頂くなんて、気の毒ですわ」
 まったく、この女はぬけぬけと。お前が、水車そばで待ってるから来いって言ったんだろうが。「来ねど(来ないと)殺す」とか言って。
「ご命令とあれば、伺いますよ。はい、これご所望のもの」
 私は、ビニール袋を市長に手渡した。中には新聞紙に包まれた石焼き芋が、五本入っている。寒い天童高原のロッジの熱いストーブでつくる名物。しおり市長はこの石焼き芋に眼がない。
 「あらなんですの?」などと受け取るしおり市長。とぼけんな、このやろう!
 副市長!この中には、石焼き芋が五本も入ってるんですよ、五本も。しかもこいつは一人で全部食べるつもりなんです!
 この石焼き芋が欲しいってだけで、呼び出しやがって。しかも殺すって脅し付きで。まったく、大雪で帰ってこられるか心配だから顔を見せて、なんて言うんならかわいいのに!(はあ…空しくなってきた)
 心の叫びを押し殺して席に着くと、しおり市長は「あら、もう帰っていいのに」などとつぶやいたが、冗談じゃない。寒いところたどり着いたんだ、せめて暖かいものでもすすらせてもらう、市長のおごりで。
「羽柴議員、大変でしたな。天童高原の方の状況はどうでした?」
 ああ、やっとまともな会話ができる。そう、行政をあずかる人間のまともな対応とはこういうもんだ。
 そう思いながら、私は副市長に状況の報告をした。
 森次郎副市長。
 天童市役所一筋の職員で、出世コースの頂点である総務部長をつとめた有能な方だ。しおり市長が誕生するとともに、副市長へと就任した。(ちなみに天童市は副市長一人体制。副市長は市長と同じく特別職なので、一度職員を辞めて、市長の任命と議会の承認により副市長に就任する。結構勇気がいる決断なのです)
 非常に小柄ながら、白髪交じりの頭部には天童市と市役所職員の情報が無数におさめられており、その手には天童の行政を動かしてきたノウハウが握られている。温和な表情と温和な口ぶりが特徴の副市長だが、丸眼鏡の奥の眼は、ときおり鋭い。実は学生時代からの趣味で、マラソンが得意だったりする。
 就任わずかのしおり市長を支えているのは、間違いなくこのお方だ。
 そしてそれは、その後もずっとそうだった。適当でめんどくさがりのしおり市長のこと、地道で確実を求められる行政運営は、森副市長がいなければ一日とて維持できないだろう。
 この人が副市長を引き受けてくれて本当によかった。
 それというのも、やはり織田ケンイチ代議士の影響が大きい。市役所時代、国への要望や折衝で、国会議員であったケンイチ代議士にだいぶ世話になったらしい。その縁で副市長を受けてくれたのだから、そして若年のしおり市長を支えてくれているのだから、二世の政治家というのも頭から否定するものではない(「織田ケンイチ代議士の娘」というのは、その後も国との関係の中で役に立っていくことになる)。
「そうでしたか、皆さん無事に下山できたならよかった。なにか、暖かいものでも注文しますか?」
 天童高原の様子を伝えた私に、副市長は勧めてくれた。正直、鍋とそばを食べてそれほど空腹ではなかったが、これも市長の懐を寒くするためだ。しかも、市長が食べている「とり中華」がうまそうで羨ましい。
 水車そば特製の元祖とり中華。そばつゆ風味の暖かいスープに中華麺、鶏肉と海苔とネギを浮かべた非常にシンプルかつ至高の一品。水車そばに来たらこれを食べない手はない。ついでに山形名産米「つや姫」でつくった米焼酎も注文し、そば湯で割って一杯やろう。昼だけど、土曜日だし、あんなに寒い思いをしたのだから、罰は当たるまい。
「それにしても、数年ぶりの豪雪です。頭が痛いですな」
「そうですね、除雪費の追加補正も急がなくてはならないでしょう」
「専決処分で対応するつもりです。あまり額が大きくなるなら、臨時議会を招集してもらわなくてはなりません。羽柴議員にもご承知おき下さい」
「それはもちろん。去年は雪が少なかったから、除雪費は確か1億5千万円くらいですみましたけど、今年はかなりかかりそうですね」
「はい、ここ数年で最大規模かもしれません。4億円は超えるかと」
「それは、つらい。受注する建設業者さんの収入になるのがせめてもの救いですが。しかし除雪作業はてんてこ舞いでしょう」
「はい、もう不眠不休の総動員体制のようです。市役所としても市長の指示で、豪雪対策緊急本部を設置しました」
 ほう。さすがにしおり市長。めんどくさがりのくせに、そういうところのリーダーシップははずさない。除雪の指示や緊急時体制の確立、苦情の受付から場合によっては国から災害支援を受けるためにも、対策本部の設置は不可欠だ。もちろん「市長の指示」ではなく「副市長の判断」かもしれないが。(あとでわかったことだが、本当に市長の指示だったらしい。しおり市長、疑ってすみません)
「対策本部設置にあたって、関係職員に非常招集もかけています。これから市長と市役所に向かいますが、その前に腹ごしらえ、ということで水車そばに」
「ああ、そうでしたか。ご苦労樣です」
 これは、非常にばつが悪い。
 しおり市長は天童高原に登らないで、私を使って石焼き芋だけ手に入れたと思っていたが、立場逆転。仲居さんがもってきてくれたとり中華と米焼酎が、妙に間が悪い。
「あら、羽柴議員はごゆっくり昼間からのお酒をお楽しみになって。私たちは忙しい(強調!)ので失礼しますけど」
「あ、そんな言い方はないでしょう。せっかく私がいしやき…」
 芋を届けてあげたのに、とまで暴露しようとした瞬間、箸置きが飛んできた。
 シュピムッ!
 という妙な音とともに、見事なコントロールで私の眉間にヒットした。
 おい、こら。瀬戸もの製の箸置きだぞ。痛すぎるだろ。ってか危険すぎるだろ?
 しかも副市長が目線をそらした瞬間で、副市長は気付いていない。痛みに悶絶する私に、何が起こったのかといぶかしげな表情。
 副市長!この女の正体を直視すべきです!こういう暴力的な女で、しかも食いもんのためには手段を選ばない女なのです。私としては、五本の石焼き芋は職員達への差し入れなんかじゃないと確信いたします。この女は、一人で食べるつもりなんですよ。それを隠すために殺人未遂まで犯すのです。
 私はやけになり、とり中華をすすり、焼酎をあおった。
 どうせ私もこれから帰って雪かきだ。
 現状では、他地域のことを心配する余裕はない。まずは自宅の雪かきをして、生活できるようにしなければ。そして近所の困っているところの雪かき。議員として市全体のことを考えるのは明日からだ。
 災害への対応の基本は、まずは自助、次に共助、最後が公助だ。
 大雪は災害なのだから。
 今はせいぜい、雪かきのためのパワーを身体に注入しよう。
 さすがに「おごってくれ」ってのは言いづらくなってしまったが。

vol.13に続く ※このお話はフィクションです

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