しおり市長の市政報告書 連載vol.1
天童市議会議員、羽柴ケイスケ。
2期目、議席番号6番、会派「天和会」所属、党派保守系無所属。
昨年12月定例会から本年9月定例会までの市政報告をいたします。
第1章 12月定例会
12月8日午後2時45分
「それは嘘をついたということでしょう、市長!」
山形県は天童市議会の議場に、伊達よしき議員の声が響き渡った。
築40年以上の狭い議場だ。
そだい(そんなに)おっきな声出さねくても聞こえでっず、まったぐ。
思わず山形弁で悪態をついた私だったが、そんな私の内心を斟酌するはずもなく、伊達はますますヒートアップしていく。
議員が市長に質問あるいは提言を行う一般質問の場。
全議員と市の行政幹部が出席し、市民が傍聴に訪れる、議員にとっては晴れ舞台だ。
12月の議会。議場は寒い。
震災以降、節電と省エネをとても気にする市役所職員は、とにかく暖房の温度を上げてくれない。それなのに伊達の周囲だけは3度ほど気温が高いようで、伊達の頬は軽く上気している。あいにく、こちらの体感気温はそれに反して下がる一方だが。
「ダム周辺公園の建設は、市長の公約だったはずでしょう。その建設が遅れているということは、約束を破ったということじゃないんですか?」
紅潮したしたり顔で、伊達はまくしたてる。
確かに、一昨年の市長選において、当選した現市長のマニフェストに、「新設された留山川ダム周辺に親水公園を建設する」ことが明記されていた。
この留山川ダムは押切川の上流、天童市の東部山岳地帯に建設された。押切川はしばしば過去に氾濫してきた歴史がある。その上流にダムを造ることで、大雨の際の水量調整を行うのだ。流域住民悲願のダム湖は「天留湖」と名づけられた。
そんな住民悲願のダムだからこそ、せっかくできたダム湖周辺を活用し、公園のようなものをつくって欲しい、できれば観光客を呼べるようなものを建設してほしい、というのが周辺住民の願いだった。天留湖の近くにある田麦野地域は、人口200人弱の天童唯一の山村で、地域活性化のためにも、このダム湖に期待するところ大なのだった。
地域住民の願いを受け、今の市長は、市長選のマニフェストに「親水公園の建設」を盛り込んだ。そして当選後、実際にこの建設計画を進めてきた。
しかし、その計画に対して議会が難色を示したのだ。
曰く、建設費が高すぎる。費用対効果に疑問がある。
確かに、想定外の予算がかかることになってしまった結果、計画の変更を余儀なくされてしまい、本年度着工の予定が大幅に遅延せざるを得なくなった。つまり、マニフェスト通りの期限までには完成できなくなった。
「つまり、嘘をついたということですね?」
伊達は、ふたたび「嘘」という部分を強調して、見たか、とばかりのキメ顔をした。私は、その顔を踏みつけたい衝動に駆られる。
嘘ってごどはないべ。だいたい誰のせいなんだず!
私はふたたび心中で悪態をつく。
建設費が高すぎると難癖をつけたのが、他の誰でもない、伊達たちの会派「新政組」だったのだ。しかも、建設費が高いのはあろうことか建設業者との癒着があって、市長がリベートをもらってるんだろう、と言い出したのだ。
まったぐいい加減にしてけろず(くれよ)。
ってか、現在の完成された行政の中で、そんな前時代的な賄賂みだいなごどができるわげないべした(だろうが)。
事実、伊達たちの監査請求に応じて外部監査を行ったが、問題はなかった。
ダム湖周辺の土地を買い上げることに関しても、土地代が高すぎると文句を言うので、不動産鑑定士も入ってもらって太鼓判をもらった。
それなのに、それでも納得がいかないと言って、伊達たちを中心とする反市長派の議員とこれまた反体制派の弁護士が組んで、今度は裁判所に訴えた。(「反体制派」という言葉は、「体制に反対するのがかっこいい」とばかりに、文句ばっかり言って建設的なことには関わらない人を、私が個人的にこう呼んでいる。もちろん、本来の意味ではないし、反体制の人にも立派な人はいる)
訴訟内容は、建設費も土地代も高いから、ダム湖周辺の開発にたずさわる業者と市長が組んで、不正に税金を多く投入し、浮いたお金を懐に入れている、というものだ。とんでもない言いがかりだが、伊達たちにとってみれば、裁判の行方がどうなろうと関係ない。要は市長の足を引っ張れればいいのだ。
そのもくろみ通り、市長が被告になるということで、マスコミは大騒ぎした。
私もある反体制派の市民に、「裁判に訴えられた時点で、なにか悪いことをしてる証拠だ」などと言われる始末だった。
本当に法治国家か、ここは。
日本では裁判に訴えられたら罪人ですか?推定無罪って言葉、知ってるでしょう?
しかしなぜか、「反体制派」の方々というのは、弁護士とか大学教授とかいう「体制」が与えた肩書きに弱い。偉くて頭がいい弁護士先生が訴えているのだから、それが正しいに違いない、というわけだ。
そもそもミスを極度に嫌う行政マンが予算内定を行い、法的に確実な手続きをしている以上、そんな賄賂の類いが介在できるわけがない。外部監査で指摘されれば、市役所職員としての未来がなくなるどころか、彼らが罪に問われるのだ。市長から、「ここの予算は水増ししといて」などと言われて、はいそうですか、などという職員がいるわけがない。
無罪なのは、はじめからわかっているのだ。
伊達たちも、そんなことは承知の上だ。その上で、とにかく難癖をつけ、足をひっぱるのが目的なのだから始末が悪い。
反対&難癖、さらなる反対、そして難癖。
これによって、前年度3月の議会で討議された当初予算では、事業予算の正当性の問題が解決するまで、計画は凍結するという付帯決議がなされた。その結果、親水公園建設は、日本の裁判の進行の遅さ同様、延び延びになっているのだ。
伊達たちにとっては、計画の遅れはしてやったり、なのだ。
にもかかわらず、建設が遅れたから、今度は「嘘をついた」とまくしたてる。
「市長!嘘をついたと認める答弁をお願いします!」
質問をいったん区切った伊達は、その名にふさわしい伊達男ぶりを満員の傍聴席に見せつけながら、どっかと席に座った。今日は、市長の不正を追及するなどと伊達たちが言いふらしたために、傍聴もマスコミも多い。
50代後半の若作りの伊達は、ヘアジェルで決めた髪以上に決め顔をしている。
その演技過剰なしぐさに、おばちゃんたちは胸を打ち抜かれるのかもしれないが、こっちは吐き気がする。
「織田市長ぉ」
丹羽りょうたろう天童市議会議長が、おごそかな声で市長を指名する。
議場の衆目が、市長席に集まった。
衆目が集まった先に、一人の女性が座っている。
一見、少女と見まごう女性だ。
織田しおり。
今日は淡い花柄の襟付きのワンピースに、白いジャケットをはおっている。
服と同じく透き通るように白い小顔がその上に乗っていて、セミロングの髪と大きな瞳の漆黒が、いやがおうにもコントラストを際立たせている。
前髪は眉毛の上で直線に切りそろえられ、その下の瞳と少しぽっちゃりとした唇が潤みがちで、目を奪う。うっすらと頬が赤いその清楚な童顔は、いかにも可憐だ。
とても6万2千市民の長たる市長には見えない。
全国最年少の市長、亡き大物国会議員の娘、壊れそうに細い身体と愛くるしい容姿。
それが、織田しおり天童市長だった。
こんな市長を、マスコミが放っておくはずがない。
「美人過ぎる市長」の特集が週刊誌で組まれ、「守ってあげたい女性」なるアンケートでトップテンに入るほどの有名人になってしまった。同時にそれは、いつでもマスコミがバッチ来いで醜聞を待っているということである。事実「女性が選ぶ裏がありそうな女性」なるアンケートでもトップテンに入っていることからも、必ずしも全国民・全市民から好かれているわけではないことを示している。とくに、女性からは。
まあ、「裏がありそうな」云々は、私としては否定でぎねんだげんとも(できないのだけれど)…。
その何かと注目されがちな織田しおり市長は、今も一身に注目を集めて、議場の壇上へと歩を進めた。
緊張した面持ちで、うるんだ瞳からは、今にも涙がこぼれ落ちそうな気がする。
ため息が出そうなくらい可憐だ。
年上の議員からの猛烈な批判にさらされて、細い身体が折れるんじゃないかと心配になる。「今すぐ彼女に謝れ!」と、一般市民なら叫んでしまいそうだ。
いやいや、騙されてはいけない。
私はハラハラしながら答弁席を見守った。
「伊達議員の質問にお答えします。この度の事業に関しては…」
しおり市長が行政幹部が用意した原稿を読み始めた。この事業の計画概要、計画変更にいたった原因と延期の経緯、といったものを説明する。いかにも行政文書で、そんなことはすでに伊達がさきほど質問で述べたことの繰り返しなので、長々だらだらという印象は否めない。
まあ、行政幹部が用意する原稿というのはこういうものだ。
むしろこのまま当たり障りなく答弁を終えて、質問時間を使い切ってくれ。けむに巻いて終わってくれ。と私は心から祈った。
「…以上のような状況から、建設が遅れたことはお詫び申し上げますが、来年度には着工する予定ですので、一日も早い事業執行に全力を尽くす所存です」
しおり市長は、消え入りそうな声で答弁を終えた。
まあ、こんな風にしか説明できないだろう。まさかお前らのせいで計画が遅れたのだなどとは言えない。それが市議会選挙で市民からの付託を受けた議員に対する礼儀というものだ。
本来ならこれで終わり。これ以上の答弁はあり得ないのだから。
一般質問というのは、あくまでも市長の方針を質し、議員が施策に対する提言を行うという建設的なものであるべきものだ。「嘘だと認めろ」などというのは質問でも何でもない。
それに対する市長の答弁も、状況の説明以上のものはできなくて当然だ。むしろ礼儀をもって答弁しただけでもありがたいと思え。
にしても、あの弱気な答弁は意外だが…。
本来なら終わりのはずのやりとりも、伊達はもちろんそこで終わらせるつもりはないようだ。はなからそういった答弁しか返ってこないのを想定した上で、市長を追い詰めるためにやっているのだ。
「市長!嘘をついたって答弁がないじゃないか!」
議員席からヤジが入る。会派「新政組」の議員だ。
けっ、伊達の腰巾着が。
ヤジに勢いづいたように、伊達はまた気取った態度で手を挙げた。
「伊達議員」丹羽議長が指名する。
「はい、議長!いやぁ、市長にはもっと誠意ある答弁をお願いしたいですね。そもそもマニフェストというのは、立候補した人間が、いついつまでにいくらの予算を使ってこうした事業をやります、と市民に約束したものでしょう?そのマニフェストに示された期限が守れなかったのは、やはり大きな嘘があったと思わざるを得ないわけですよ。まあ、私の方は嘘を言っていない証拠に、これを見て下さい…」
伊達はおもむろに一枚のパネルを取りだした。
「これは、市長のマニフェストを拡大コピーしたものですがね…」
伊達は長々と説明しだした。
ほら、ここに本年までの完成って書いてありますね。しかも予算はえーっと、なんと2億円となっていますが、実際に予算化されたお金は…
もはやまともに質問などする気はないらしい。とにかくネチネチと市長を批判することで、自分たちが成功した「事業の先延ばし作戦」の功績をじっくり味わいたいだけなのだ。
だいたい、パネルかよ。と、私はまたつっこむ。
国会と勘違いしてんの、んねんだが?(勘違いしてんじゃないのか?)
国会はテレビ放送があることを想定して、テレビの画面を通して国民にわかりやすく伝える手段としてパネルを使うのだ。しかし、テレビ放送がなく、議場に設置されたインターネット配信用のカメラも、パネルをアップで抜くように設置されてない以上、パネルの使用なんて何の意味もない。
ちょっと拡大コピーしたくらいでは文字が小さすぎて見えもしない。全然わかりやすく伝える手段になってない。
そういう事情があるから、パネルの使用は天童市議会にはそぐわない。そもそも、他会派の議員の質問でパネルが使用された際に、そう言って議会運営委員会でクレームをつけてきたのは、伊達本人だったじゃないか。
まあ、都合の悪いことは忘れることにしているのだろう。
国会と勘違いしている、という意味では、根本的な意味で伊達は勘違いしている。
国会とは、国民によって選ばれた国会議員が、自分たちの首相を選挙して決める、間接選挙制をとっている。つまり議院内閣制だ。だから、野党の国会議員は、与党の選んだ首相を追い詰めて、その座からひきずり降ろそうとする。国民がそれを見て首相への信頼をなくせば、次の総選挙で自分たちが与党となり、首班指名ができる可能性があるからだ。
しかし、地方議会はそうではない。
都道府県そして市町村は、二元代表制をとっている。
すなわち、県知事や市長といった首長は、県民市民の直接選挙によって選ばれるということだ。そしてこれまた県民市民の選挙によって選ばれた議員たちと対峙する。だからよく、首長を中心とした執行部と議会は、「車の両輪だ」と表現される。
どちらが偉いのでもない。なぜならば、互いに直接選挙で選ばれた存在だからだ。その背後に、主権者たる市民がいるからだ。
だからこそ、互いに尊重し合わなければならない。
そうした原理原則を考えれば、国会のように質問の場で市長をこきおろすだけなどということは、質問でも何でもないことがわかるだろう。
一般質問とは、直接選挙で選ばれた市長と議員が建設的な意見を交わして、車の両輪としてよりよい市政を模索する場なのだ。
ああもう、すげえ理想的なこと、真面目に考えっだわ(てるじゃん)、俺。
そんな理想を語っても、現実こうしたヤカラがこうやって攻めてくるのだ。しかも国会中継に毒されて、マスコミも市民もそれをおかしいとも思わない。むしろ、こうした喧嘩みたいな状況をおもしろがる。
そんなことはともかく、この攻撃をどう乗り切るかだ。
「…市長は予想よりも予算がかかりすぎる状況になってしまったがために、計画が遅延してしまったとおっしゃられましたが、私としてはその理由も疑わしいと思っているわけです。実際に市長はこの件で裁判にかけられているわけですよね?疑わしいことがあるからの裁判なんじゃないですか?
いずれにしても、その予算の見積もりが甘かったことも含めて、建設が遅れたことは市長の責任でしょう。あらためてマニフェストに書いたことを実行できなかったこと、市民に向かって謝罪して下さい」
謝罪して下さい、なんて「質問」があるか!
裁判のことやらなにやら、もう突っ込みどころが多くて、頭をかきむしりたくなる。
「織田市長ぉ」
「はい、議長。確かに計画の遅延は、どんな言い訳をしても、私の責任だと思っています。その点に関しては先ほどもお詫び申し上げました。しかし、議員は裁判の話を持ちだして、予算のかかりすぎが疑わしいとおっしゃいましたが、予算の概算に関しては少しも後ろめたいことはなく、正当な土地代と建設費をもとに算出したものです。裁判においてもそのように判決がなされるものと確信しています。
天留湖周辺の整備は、地元の期待が大きく、ひいては天童にとっても重要な事業であると認識していますし、一日も早く完成できるように、今後も努力していく所存です」
一回目の質問には、議長席の前にしつらえられた答弁席で執行部は答えるが、「更問い」と呼ばれる二回目以降の再質問に関しては、議席から見て議長の左側に居ならぶ執行部席にある市長席から、市長は答弁する。
市長席から答えるしおり市長の声は、いかにも弱々しい。
可憐だ。守ってあげたくなる。
うーん、おかしい。いつもの市長らしくない。
「伊達議員」
「はい、議長。一日も早く完成するように努力すると市長は言いますが、それは地元民にしてみれば当然のことですよ。それが、今年までできるものと思っていたら、来年までかかる、と言う。皆さんがっかりですよ。…(以下、だらだらネチネチと続くため中略)…とにかく、市長、嘘をついたと言って下さい!」
「織田市長ぉ」
「はい、議長。嘘をついたと言えとおっしゃいましても…。とにかく、天留湖周辺の整備は、ダム設置を契機とした地域振興のための開発です。
留山川ダムは、流域の住民の安心安全のために大きく寄与するダムです。そのために国県市が協力して、大工事を達成し、成功をおさめることができました。しかし、せっかく多大な予算をかけて造ったダムをそれで終わらせるのはもったいない。
田麦野地域、そしてその上にある天童高原。スキーで賑わった時代が変わり、交流人口が減ってきた現在、この天留湖を新たな観光地として確立し、天童高原と連動した形で、自然溢れる場所として天童の新たな魅力としたい。これが本事業の企図するところです。
ぜひ、この目的を達せられるよう、全力で今後とも取り組むことをお約束することで、遅延のお詫びとしたいと思います」
「伊達議員」
「市長は、ダム建設が成功だったとおっしゃいました。しかし私はそう思いません。そもそも私はこのダム建設に反対でした。市長が今おっしゃったとおり、このダム建設には莫大な予算がかかっている。しかし、そんなダム建設がそもそも必要だったのでしょうか?このダムの治水効果ははなはだ疑わしい。私どもはダム建設に反対運動を起こしましたが、行政はダムの建設を強行した。そこには、ダム建設によって利益を得る建設業者と、一部政治家との癒着があったためと思っています。ダムの建設は成功などではなく、むしろ市長が言うあの地域の自然溢れる環境を破壊しただけなのではないですか?
さらに言えば、あの地域に本当に必要なのは、天留湖周辺の整備によって交流人口を増やすことなどではなく、主産業である農業への支援なのではないですか?」
「織田市長ぉ」
「はい、議長。押切川は台風期の豪雨による氾濫が多く発生しており、平成11年、平成17年と、局地的な集中豪雨により、護岸の決壊や道路の崩壊、田畑の浸水被害が発生しています。そんな中、留山川ダムにより、たとえ50年に1回の大雨、これは1日に240ミリもの雨が降った場合ですが、ダムの建設により、毎秒75立方メートルの水をダムの地点で貯留することができ…(以下、専門的なダムの説明が続くので中略…)
また、押切川の水は古くから農地の灌漑用水として利用されてきておりますが…(以下、ダムは農業用水の安定取水と環境維持にも役立ってますよ、って説明…)
以上のようなことから、ダムの建設は地域住民にとって有意義なものであったと確信しています。
また、議員おっしゃるように、田麦野の主産業である農業を守ることは大事なことであるのは確かです。田麦野のような中山間地域においては、すばらしい自然という魅力がある一方、気候や土地の狭さ、サルなどの鳥獣被害があって、主産業の農業にとっては不利な状況です。こうした中山間地域における農業が持続可能なものになるよう、今後も取り組んでいく所存です。
しかし、農業の問題とこの整備は別の問題です。農業問題は置いておいて、この地域に交流人口を増やすことも、重要な課題です。そのための天留湖周辺の整備ということで、ぜひご理解いただきたいと思います」
おいおい、なんか話が変わってきたぞ。天留湖周辺の親水公園建設遅延の話から、ダムそのものの建設の是非が話題になってしまっている。
まあ、でもこれは、伊達の本音がでたというところか。
天童市は、この留山川ダム建設を20年以上前から計画してきた。
ダムの建設という大事業は、一朝一夕でできるものではない。市と県を説得して事業実施への舵を切るところから始まり、地権者の説得と土地の買収、農地・林地の転用許可、周辺への環境影響調査、そしてなにより事業費の確保。莫大な予算と労力がかかり、無数の人間が関わる事業だ。
その大事業を計画、事業達成にもっていった人物こそ、今は亡き天童出身の国会議員、織田ケンイチだ。
しおり市長の実の父であり、私の師匠でもある人物。
政府与党でも大きな影響力をもつ重鎮であり、もしかしたら山形県出身初の総理大臣になるのではとまで言われた大物国会議員だった。
残念ながら3年前に急死したが、そのケンイチ代議士が、流域の安全確保と農業の安定した取水をもくろんで計画したのが、留山川ダムなのだ。
しかしこれには、かなりの批判があった。
自分の土地があるところを開発して儲けようとしたのだ、とか、建設業界から莫大な賄賂をもらっている、とかいう批判だ。伊達の言う「ダム建設で利益を得る建設会社と癒着する一部政治家」というのは、他でもない織田ケンイチを指すことを、この議場にいる者でわからない人間はいない。
だがそれは、まったく事実無根の話だ。
私はケンイチ代議士の秘書をしていた。
だからこそ確信を持って言えるが、そこに賄賂などが介在したことはない。そもそも大昔と違って、大物政治家が公共事業がしたいという理由だけで、意味のないダム建設が実行されるほど、国の予算は潤沢ではない。それに、建設業者の選定は厳正な競争入札で、談合華やかなりし日のように、政治家の意図がそこに反映される時代ではない。だから、建設業者がいくらケンイチ代議士に賄賂を送ろうが意味はないのだ。
にもかかわらず、まことしやかにケンイチ代議士の不正が噂された。
とかく政治家が何か事業をすると、すぐにこの種の批判にさらされるものなのだ。
大物政治家=悪者。
これはもう、日本のマスコミが確立した絶対の方程式だ。
留山川ダムは、織田ケンイチの悪だくみ。あの政治家はダム建設を食い物にして大金を手にした。
これが反対勢力の錦の御旗となった。
仕事をすればするほど、政治家は批判され、反対勢力が生まれる。仕事をしないで反対だけして選挙に勝つ政治家は、これを標的にする。そしてなぜか、こうした「反対する政治家」を市民はかっこいいと思い、正しいと思うようなのだ。
もちろん、この開発を支え、支持する市民も多数いる。
ダム賛成派とダム反対派の対立戦争は、2年前に天童市で燃え上がった。織田ケンイチ代議士の急死した1年後、前市長の任期満了と勇退に伴って行われた市長選挙において、である。ケンイチ代議士の実子であるしおり嬢が市長選への立候補し、ダムの反対勢力と激しい選挙戦を繰り広げたのだった。
そのときに反対勢力を代表して市長選に出馬したのが、他でもない伊達よしきなのだ。
結局は、天童市民には良識ある市民の方が多かったということだろう。投票の結果、圧倒的な織田しおり候補の勝利とあいなった。
その1年後、今度はなにを思ったのか、市長選挙に落ちた人間が市議会議員に立候補し、そしてこの場の質問に立っている、というわけである。
そんなこんなで、ダム建設、反対!は、伊達の本音中の本音なのだ。
ダム建設に関することには、伊達たち反市長・反織田派は、これまですべてに反対してきた。しかし、ダムが完成すると、地元の人たちは川の水位が安定したということと、農業用水も確保できたということで大喜びした。むしろこのダムを地域活性化に利用してくれ、という運動が起こる結果となったのだ。形が見える前は、市民は成功するかどうかを不安がり、成功した未来図をイメージできない。しかし、形が見えてしまえば、支持する人が大半になってくる。
伊達もここで、作戦の変更を余儀なくされた。
ただダムに反対するのではなく、ダム湖周辺整備にともなう事業で不正が行われている、と批判する作戦に出たのだ。
曰く、土地代や建設費で儲けている、賄賂をもらっている。
まったく、芸のない奴らだ。
ケンイチ代議士のときと同じじゃないか。
まあ、父親と娘を同一視させて、親子二代にわたって悪者にする、というのも彼らの作戦なんだろうが。
ダム建設に反対だったくせに、「天留湖周辺の親水公園は、地元民の願いだ」などとダム賛成派の人の前では味方の顔をしておいて、そのくせ、その整備が進まないよう、監査請求したり裁判を起こしたりと、せっせと遅延を画策する。そして、ダム反対派の環境団体の前では、いまだにダムも親水公園整備にも反対だという演説をするのだ。
批判のための批判ってのは、本当に頭に来る。
「…とにかく私は、一部の政治家が自分の利益のために計画したようなダム建設に反対でした。ましてダムは環境を破壊しています。もうダムは完成してしまいましたが、これ以上の環境破壊を進めないためにも、このダムに関わる計画すべてについて、抜本的に見直すべきなのではないですか?」
おっと、ぼーっとしったっきゃ(してしまってた)。またしつこぐ質問しったっけのが(していたのか)、この野郎(下品な言葉づかいをお詫びします)。
議会によっては再質問の回数を二回までなどと決めているところもあるが、天童ではその制限をもうけていない。何回でも再質問できるのは、豁達な議論のために有効だと思ってきたが、こんな場面になるとその無制限が裏目に出る。
なんだよ、抜本的な見直しって?質問の意味がわからない。完成したダムを壊せって意味か?親水公園整備への反対か?もうとにかく、質問の意味なんてどうでもいいんだろう。市長への攻撃そのものが目的なのだから。
ああもう、早く質問時間が終わってくれ。
「織田市長ぉ」
「はい、議長。伊達議員の質問を聞いていると、ダムそのものに反対ということです。とすると、親水公園整備にもご協力いただけないということでしょうか?」
ん?なんか様子が違うぞ。
さっきまでの弱々しい態度ではなくて、はっきりとした口調で、しおり市長は短く言い放って席に座った。
これも「答弁」になってない。答弁者が質問してどうする。
「伊達議員」
「はい、議長。親水公園整備に反対と言っているわけではないですよ。地元の方々にとっては大事な施設ですから。しかし、環境破壊につながったり、多額の予算を使うのはどうかと言っているんです。また、整備計画に関しても、不正があったと裁判所から疑われている事業もどうか、と言っているわけです。
こうした疑惑や混乱を招いたのは、すべて市長の責任です。ぜひ市民に向けて謝罪して下さい」
地元民から熱望されている親水公園整備に、面と向かって反対だなどと言えるわけがない。要するに、誰からも批判されず人気取りだけはしたいが、市長をおとしめるための反対はしたい。そういうことだろう?
だいたい、「裁判所」は疑いなどしない。訴えを判断するだけだ。疑いを「つくりだした」のは、お前らだべした(だろうが)!
私の怒りも頂点に達したとき、しおり市長が決然と立ち上がった。
議長の呼びかけを待たずに、答弁をはじめる。
そしてなんと、取りだしたのは一枚のパネルだった。
「伊達議員の質問内容はおかしいですね。
ダム建設そのものに反対ということですが。ここに一枚の写真があります。伊達議員は、ダム完成後に建設業者さんたちとご自分の主催で祝賀会を開いたそうですが?ああ、これは天童ではなくて、業者さんの本社がある東京でやられたんですね。ものすごい笑顔で鏡開きをしてますよ。とてもダム建設に反対の立場の方のなされることとは思えません。
この写真は、他でもない伊達議員本人のSNSからプリントアウトしたものです。そうですよね、伊達議員」
そう言いながら、しおり市長はパネルをめくった。
もう一枚あるんだがず(あるんかい)?
「えーと、これはそのときのSNSからの抜粋なんですが、この写真を載せてコメントなさっています。読んでみますと『今日は市民待望の留山川ダム完成祝賀会。建設業者の方々をもてなして、ともに完成を喜びました。私自らが天童のPRに全力投球です。それにしても嬉しい!ダム建設に一役買った私としても嬉しい限りです』と書かれてますね。
どうやらダム建設を推し進めたのは伊達議員のようです。それと次のパネルですが…」
んだがら、何枚あるんだず(あるんだよ)?
「せっかくですから、SNSを全部拝見しました。その中から二つほど。
親水公園に関してですが、昨年3月4日に、『天留湖周辺整備、反対!そんな整備費をかけるより、一人一人の住民にお金を配った方がいい』と書かれています。なんか、ちょっと昔に聞いたバラマキそのものですね。
ああ、でもつい先日の8月には『親水公園は絶対に必要。私がぜひ建ててくれるように市長に強く要請しています!』と書いてありますから、その辺のお考えを変えられたのでしょう。私は要請された覚えはないのですが。
あと、ダム建設については、投稿が多いですね。このパネルにもたくさん列記しました。いちいち読むのは避けますが、地元民が求めるダムや親水公園には大賛成。むしろ自分が尽力している、と書いてまして、ああ、でも確かに反対、というのも何回も書いてますね。この事業は『故織田ケンイチの陰謀』だそうです。
さて、いまいち先ほどのお言葉と、どちらが本心なのかわかりませんね。SNSの記事も、賛成なのか反対なのかわかりません。
伺いますが、伊達議員は嘘をついていらっしゃるんでしょうか?」
答弁の途中から会場はざわつきだした。
市長の答弁が終わると同時に、一瞬場が静まりかえり、そして、爆発するようなヤジと私語が議場を包んだ。
議員も傍聴者も、口々に何かを叫んでいる。
もはや伊達への非難なのか、市長への反論なのか、よく聞き取れない。
その騒ぎを引き起こしたしおり市長は、すました顔で席に着いている。
やはり、やらがした(やりやがった)。
最初からあの弱気な態度はおかしいと思っていたが、不安は的中した。
追い詰められて消え入りそうな様子を見せておいて、伊達を調子に乗せて、口の滑りをよくさせる。そこで、巧みにダム建設に言及するように誘導する。親水公園整備の遅れが議題だったはずなのに、いつのまにかダム建設への賛成反対の議論へとすり替えた。
そして、したたかな逆撃。
市長がパネルを出して反論するなど、前代未聞だ。
またぞろ、議会を騒然とさせたなどとマスコミに囃したてられる。議会を軽視しているなどと、議員からの反発もあるだろう。
だから、なんとか事なかれですませてくれと、心から祈ってたのに…。
しかし、だ。
一方で、拍手喝采している自分がいる。
市民から選ばれた市長を軽視したのはどっちだ。市長が議会を尊重するのを逆手にとって、少しも実のない難癖をつけ続けたのはどっちだ。人気取りだけ熱心で、時と場所によって態度を変える日和見主義はどっちだ。
よく言った、しおり市長!
「誠篤ければ、たとい当時知る人無くとも、後世必ず知己ある者なり」
西郷隆盛の言葉が、私の頭に去来した。
もちろん、民主主義である以上、独善であってはならない。しかし、たとえ当世の人が批判しても、誠を尽くしていれば、必ず後世の歴史が評価してくれる。政治家たる者、そのぐらいの気概を持つべきだろう。
市長は、市民から選挙を経て選ばれた以上、市民の負託に応えるためには、行く道を自分で判断し、その道を突き進んでいかなければならない。そのためには、ときに市民の意見とは違った判断を下さなければならない。まして、反対のための反対を繰り返すような者とは闘わなければならない。
市長たる者、市民から選ばれたことを誇りに、議員から軽視され続けることを是としてはいけないのかもしれない。市民の顔に泥を塗らないために、尊重することに値しない議員には反論しなければならないのかもしれない。
「静粛に!静粛に願います!」
丹羽議長の渋い声が、議場に響き渡った。
興奮した議場が静まるのに、しばしの時間を要した。
「伊達議員」
議長の再質問の呼びかけに対し、皆が思い出したように伊達に注目した。
手を挙げることも忘れていた伊達は、真っ青な顔でおどおどしている。さすがにこれは演技ではないだろう。いつもの演出だとするなら、今日一番の演技だ。
「はい、議長。…私の質問を終わります…」
先ほどの雄弁は吹き飛んで、たどたどしく伊達は言った。
質問時間は、十五分を残していた。
今度は、議場が騒然とすることはなかったが、明らかな嘲笑が各所で聞こえた。
「以上で、伊達よしき議員の質問を終了いたします。これで本日の議事日程は全部終了いたしました。したがいまして、本日はこれで散会いたします」
執行部と議員が一斉に立ち上がり、一礼する。
議場がふたたび喧噪に包まれる。
伊達は逃げるように議場を後にした。
悠然と議場を出たしおり市長に、マスコミが群がったのは言うまでもない。
Vol.2に続く ※このお話はフィクションです
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