しおり市長の市政報告書 vol.28

   1月14日午前11時11分

 その日は、「寒中引き抜きそば」の賞味会だった。
 天童織田藩は、幕末の40年間にわたって天童を統治した。その時代、各藩から将軍家に、各地の名産品を献上する制度があったという。天童織田藩は、東北北海道では唯一、そばを献上していた藩だったらしい。「大成武鑑」という将軍家献上の品目一覧に、天童織田藩のそばの一項がある。
 そば好きの山形県民、面目躍如の歴史事実だ。それを現代に復活させて商品化したのが、「将軍家献上寒中引き抜きそば」である。そばの実を東北特有の寒気にさらすことで、甘みを増したそば。天童が誇る大人気そば屋「水車そば」の社長が考案したもので、今では天童の麺組合が協力し合い、市内各店のそば屋ラーメン屋で食べることができる。
 これを現代によみがえらせて以来、毎年の正月明け、寒中引き抜きそば賞味会が定例となってきた。織田藩の藩祖信長公をまつった建勲神社にそばを奉納し、そのあと、市内の温泉ホテルで実際にそばを賞味するのだ。
 行政・議会の来賓のみならず、美味いそば目当てに、多数の市民が訪れる。
 議員にも案内があるため、私も賞味会に参加していた(もちろん、お金は払っております)。しおり市長も一番上の席で、あいさつをしたあと、そばをすすっている。
 いやあ、さすがにうまい。
 手打ちではなく乾麺を茹でたものだが、その甘みとのどごしは、ちょっとその辺の既製品とは違う。山形県民は、寒い冬でも冷たいつゆでざるそばを食べることを好む(あるいは三人前ほどの田舎そばを板に盛った「板そば」が名物だ)。この賞味会でも、温かいそばなどは歯牙にもかけない。付け合わせなどはなく、漬け物が各テーブルに置いてある程度で、あとは薬味と天かすでアレンジしながら、ただひたすらにそばを頬張るシンプルなものだ。
 朝食をとらずに気合いを入れて臨んだ私は、3枚目を平らげたところだった。
 さすがに少し、腹がふくれてきた。あと、1枚くらいかなあ?と思いながら、隣の席のしおり市長を盗み見ると、すでに5枚目にかかっていた。
 まったく、こんな状況でよくそんなに食べられるな。ザルが片付けられても、周りは市長がどんくらい食べたかなんてわがってんだず(わかってるんだよ)。みんな優しさで見て見ぬふりをしてくれてるだけ。ちょっとは控えめにしとげず(しておけよ)。今はマスコミからフルぼっこにされてる最中なんだから。美味しいそばすら喉も通らない、みたいな演技もでぎねのが(できないのか)?
 そんなことを思いながら、4枚目に手を伸ばしたとき、「おお、羽柴議員、来てたのか?」と声をかけられた。
 死ぬほど嫌な声だ。振り返りたくなかったが仕方ない。
「伊達さん、どうもあけましておめでとうございます」
 案の定、死ぬほど会いたくなかった男、伊達よしき議員がいた。意外だったのは、その隣には、より死ぬほど会いたくなかった男、松永春樹記者が立っていたことだ。食べたそばを吐きそうになる。
「あけましておめでとう、って、賀詞交換会でも会ったじゃないか」
「いや、改めましておめでとうございます」(賀詞交換会じゃ、お前どな《となんか》話すだぐないがら《話したくもなかったから》、近づぎもしねっけどな《近づきもしなかったけどな》)
「いや、改めておめでとう。まったく、天童にとってめでたい年にしたいなあ」
「そうですね。天童市政にとって重要な年になるでしょう」(くああ!相変わらずその演技くさい振る舞い、鼻につくわ。なんだず、その余裕ぶった笑顔は?そりゃ、市長への攻撃がうまくいってるがら、あんたらにとってはおめでたいだろな)
「確かに重要な年になるだろうな。こんなに全国で天童市の悪評が立ったのは、初めてのことだろう。市長も困った発言をしてくれたものだ(市長に聞こえるぐらいの大声)。市長のせいで、天童市が大きなダメージを受けかねない」
「はあ。誰のせいでこうなったんでしょうかね?困ったものです」(てめえらのせいだよ、コラ!とくに松永、お前だ、お前!こんなところに堂々と二人で現れやがって。お前ら二人、つながってるってアピールか?)
「ああ、そういえば、紹介しておくよ。記者の松永くんだ」
「はじめまして、松永です。よろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」(あぁ、名刺交換すっだぐねえ《したくねえ》。うわっ、手ば触ったっけは《手を握ってしまった》。あとで手、洗おう。だいたい、わざどくさいず《わざとらしいんだよ》。何回か、会ってっべした《会ってるだろ》。秘書時代にも、市議になってからも名刺交換してるっての!あぁ、市議程度の小物は覚えられてもいないってことか)
「東京本社から出向の優秀な記者だぞ、松永くんは。優秀な若手同士、気が合うだろう。羽柴くんも、議員として東京の記者と通じておくべきだろう」(気が合うわけないだろが!だいたいお前から「羽柴くん」呼ばわりされる義理はねえ。そもそも東京の記者と通じてるって、自慢か?そんなに偉いの、彼?ああ、つっこみ多すぎて、止まらねえ!)
「いやあ、伊達さんとは親しくさせてもらってます。私も山形に来て日が浅いもので、勉強させてもらってますよ。羽柴議員にもいろいろ取材させてもらいたいものです」
「私なんか二期目の小物です。情報なんかありませんよ」
「いやいや、ご謙遜でしょう。故織田ケンイチ議員の子飼いの市議会議員。いまや織田しおり市長の懐刀だと思っていますよ、羽柴議員は。今回のこと、さぞかしご心痛でしょう?」(ってか、俺のこと知ってっどれ《知ってるじゃん》。なにがはじめましてだ)
「…確かに、ねじ曲げられた報道に心を痛めてますよ」
「ほう、ねじ曲げられた報道?市長が、農業軽視の発言をしたのは事実でしょう?その映像も何度も報道されてますし」
「前後の発言を聞いていれば、農業軽視の発言なんかでないことは明白です。市長の発言の全文を、ぜひ報道してもらいたいところですが。『報道された』ものじゃなく、意図的に、誰かが『報道した』ものだとすれば、許せませんね」
「報道はそんな作為をまじえませんよ?なにか羽柴議員は決定的な誤解をしているようだ。それとも、羽柴議員は、右翼の国会議員よろしく、言論の自由を迫害するような議員ということですか?ならばマスコミの一人としては、断固として戦うべく、報道させて頂きますが?」
「民主主義に言論の自由は欠かせませんよ。ただ、言論をつかさどる人間の理性を望むだけです」(お前もやり玉にあげてやるって脅しか?そりゃ、マスコミさんっていう最大の権力が、一人の人間を抹殺するのなんか簡単でしょうよ。だけど、それを恐れてヘイコラする人間ばかりじゃねえぞ。やるならやってみろ。だいたい右翼の国会議員が言論の自由を迫害、ってなんだ?お前らが提灯報道している国会議員は、言論の自由を守る正義だってか?それがマスコミのねじ曲げじゃなくてなんだってんだ?)
「言論をつかさどる端くれとして理性的に報道してますよ。理性的に判断して、織田しおり市長を糾弾しているのです」
「そうだぞ、羽柴くん。議会での私への失礼な言動。そのあとの取材での暴言。まったくもって市長の資質を疑わざるを得ない」
「議会での市長の言動が適切だったかは置いておくとして、伊達議員の質問の内容、普段の活動の内容に問題がないとも思えませんが。それを市長に指摘されて沈黙したのは、反論できなかったからでしょう?」(あっちはケンカを売ってきてるんだ。こうなりゃ、温和な俺もやっちゃうよ?)
「な、なにを言ってるんだ!議会の品性のために、激烈な反論を自重しただけだ。そのあとのマスコミの反応を見れば、市長が非難されるべきなのは一目瞭然だろう?」
「マスコミが非難すれば、それが正しいんですか?市長選に負けて議会でやり込められ、市長に復讐したい議員と、市長に批判的な報道をはじめた局の記者。その二人が仲良く一緒にいる時点で、報道の公平性が疑われるのが普通だと思いますけど」
「あなたの本質はわかりましたよ、羽柴議員」
 急に、松永の声色が変わった。底冷えするような低温。目つきまで変わってきた。その目は、お前をつぶしてやる、と語っていた。
 彼らは批判するのは得意だが、自分たちが批判されるのには異常な反応を示す。自分への批判を絶対に許さず、逆に抹殺しにくる。
 まさしく絶対の権力者。「マス(巨大な)」独裁者。
「報道で批判されても、あなたは全く反省していないらしい。市長も同じなんでしょう。最悪だ。市民の言葉に耳を貸さず、権力を振りかざし、市民を傷つけ、議会を軽視する、まさしく右翼の暴君だ。徹底的に報道させてもらいますよ。覚悟しておいてください」
「そんな風に決めつけるのが、マスコミの曲解だと言うんです」
 私は頭に血が上り、後々まで後悔する恥ずかしい台詞を吐いてしまう。

「しおり市長は、めんどくさがりで食い意地が張ってて凶暴な女ですが、天童市と市民を誰よりも思っている女の子ですよ」

 売り言葉に買い言葉とは言え、なんで私がしおり市長を擁護しなきゃならないんだ?でもまあ、しょうがない。
 マスコミから非難されたら、その時点で悪か?マスコミの人間から嫌われた者は罪人か?
 これは、マスコミによる法律外の裁判だ。マスコミ裁判にかけられれば、被告の反論も言い訳も報道されない。弁護士もついてくれない。事件の概要説明から、証拠提示、被告への詰問と、すべてマスコミのつくったストーリー通りに進行する。そしてマスコミ裁判官が「公正な」判決を下す。その判決は、社会的な抹殺という判決以外にない。仮に「冤罪」が発覚しても、それは「誤報」でかたづけられる。誤報は、豆粒のような謝罪記事にしかならず、被告が社会的制裁から名誉回復するという「出獄」の機会は与えられない。
 独裁恐怖政治下の裁判も真っ青の、民間リンチ裁判。
 我々愚民は、マスコミという神を伏し拝まねば、平和に生きていけないのだろう。
 私は、その神に向かって、これ以上ないくらい誠実に祈りの言葉を述べた。
「しおり市長は、為政者ではあっても、独裁者でも暴君でもありません。近しい人間の証言として、そう報道してくれるとありがたいですね」
「ふん、暴君以外のなんだっていうんだ?」(祈りは通じなかったらしい。当たり前だが。神は恭順しない人間に慈悲を垂れない)
「そんなに市民思いの市長なら、市民のために働けばいいでしょう?親水公園の建設、農業問題、鳥獣被害対策。なにか策はあるんですか?市長は、施策で市民の負託に応えるべきでしょう?」
 私はぐうの音も出ない。その施策がまったく思いつかないのだ。
 こちらが八方ふさがりであることを十分に理解しているのだろう。松永は余裕の冷笑を浮かべた。死刑宣告をする死に神が、いたぶるのを楽しんでいる。
「まあ、お手並み拝見といきましょう。本来なら、そばなんか食べてる場合じゃないと思いますがね」
 松永は捨て台詞を吐いたが、私はなにも言い返せなかった。実質上の敗北宣言に、伊達が機嫌良く高笑いする。
「はっはっは。全くその通りだな。こんなときにそばを何枚も食べられる神経がわからない!そんな暇があったら、施策立案に邁進するのが市長ってもんだろう!私が市長だったら、こんな事態にさせなかったものを!私こそ市長にふさわしい!」
 伊達は、隣のテーブルの市長に聞こえよがしに言った。
 天童の名産そばの賞味会も立派な市長の仕事だべ!自分じゃ施策の一つも提案しないくせに、なにが私が市長だったら、だ!批判だけのお前に、市長の資格なんかねえ!
 などとツッコもうとしても、負け犬の遠吠え。
「…市民のために、いい事業を考えますよ、必ず」そう、絞り出すのが精一杯だった。
「はっはっは、天童市民の一人として、期待してるよ、羽柴くん。あっはっは」
 嘲笑を残して去って行く伊達と松永。途中、支援者とおぼしきおばちゃんに、「心配をおかけしてますな」「市長が未熟で困ったものです」「この伊達よしきにお任せください」などと大声で握手してまわり、会場をあとにした。
 会場全体が、私の完敗を見ていた。
 私と伊達と松永が、なにやら口論をしているのを、周りのテーブルの人達はずっと聞き耳を立てていた。その顛末は、全員が理解しているだろう。とくに隣のテーブルの来賓席にいる、市長、議長、副市長、その他、天童の各団体代表たちには、まる聞こえだったはずだ。
 恐る恐るしおり市長に視線をむけると、右手でそばをすすりながら、左手の親指を下に向けていた。
 あ、ひでえ!せっかく必死にかばったのに!だいたい、まだ食べでるんだがず(食べてるのかよ)?そば食べてる場合か、あて言わっだくせに(なんて言われたくせに)。市長がそんなに呑気だから、俺がケンカさんなねんだぞ(しなきゃならないんだぞ)!
 しかし、しおり市長が、すすったそばを飲み込めていないのに気が付いた。
 そばが喉を通らない?あのしーちゃんが?
 よっぽど悔しいのだろう。平然を装っているが、長いつきあいの私にはわかる。
 そんな思いをさせたのも、目の前で敗北した私のせいだ。
 私は、うつむくしかなかった。

vol.29に続く ※このお話はフィクションです

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