しおり市長の市政報告書 vol.20

   1年半前8月19日午後7時25分

 数日後。
 私としおり市長は、武田和竜住職にお呼ばれしていた。
 夕暮れ時。夕涼みをしながら一杯やろう、というわけだ。日が落ちると見事な月が昇った。数日前の大雨が嘘のようだった。
 三宝寺の池の畔。ザリガニしぇめ(捕り)で怒られた出会いから、何年経ったんだろう?
 いつもの東屋で、奥さんがつくってくれた料理をつまむ。酒は天童ワインの赤。静寂の中、涼風が吹きつける。最高の贅沢だった。
「ワインが冷えてて美味しいですね。住職はもっぱら日本酒党だと思ってましたが」
「俺は、地酒党だず。地元の酒が一番うまい。赤道越して運ばれてきた劣化した海外ワインより、よっぽど天童ワインの方がうめえな」
「それはそれで偏見でしょうけど」
 私は苦笑しつつ、グラスを傾けた。確かに天童ワインは十分に美味しい。山形のワインは国内外に通用するレベルだろう。なんといっても地元で生産されたブドウを多く使っているのがすばらしい(他県では海外からブドウ液を輸入して、醸造だけを国内で行っていたりする)。しかし、本当に一流のワインと比べれば劣るのだろう。なにせあちらさんのワイン醸造の歴史は数千年だ。一流ワインを飲んだことがない私には、どっちが美味しいかなどわからないが。
 それでも、奥さんがつくったなすの炒め物(今日は檀家さんからもらった夏野菜のオンパレードだ。奥さんの料理は本当にうまい)は、洋風の味付けでワインによく合った。住職ではないが、天童ワイン最高だ。
「しかし、この前の雨はすごかったな。少しは復旧のめど、たったんだが(たったのかい)?」
「うん。補正予算、組み立て中。すぐに復旧業者の入札でぎっど(できると)思う」
 しおり市長は、ワイングラスを片手に答えた。酒で桃色になった頬が、愛くるしい。今日は、白のワンピースにサンダルというシンプルな格好だが、それがまた、なんとも。
 しおり市長は、私以外では武田住職にだけ、山形弁で話す。
 小さい頃からさんざん面倒見を見てもらい、さんざん迷惑をかけ、さんざん怒られてきた住職だ。私たちにとっては親みたいなものだ。実際、私たちの名前は住職がつけてくれたそうだから、住職は我々の名付け親(ゴッドファーザー)ということになる。今日の夕食会への招待も、災害があって心身共に疲れている「しーちゃん」を気遣った、住職の親心だろう。小さい頃から慣れ親しんだ三宝寺の池と奥さんの料理は、心を安らかにしてくれる。
「静かな夜だね。あの雨が嘘みだい。平穏のありがたみが身にしみるなあ」
「しーちゃんよ、有るのが難しいがら、『有り難い』なんだ。普段無事に過ごせているごどを、当然だと思ってダメだがらな。自然や色んな人のおかげで、『生かされてる』って感謝さんなねんだぞ」
「また、住職の説法がはじまった。まわりの恩恵すべてをひっくるめて『仏恩』と言い、これに感謝して合掌せよ、かあ。住職の説教でよく聞かされだっけね」
「んだぞ(そうだぞ)。『借りた傘、雨が上がれば、邪魔になる』って言ってな。人は困っている時には有り難いと思えるが、困ったことが過ぎ去れば、その有り難みを忘れでしまう。平穏無事は、ありうべからざる有り難いことだと思い知らなぎゃなんね」
「んだよねえ。日照りも洪水もなかったら、自然のおかげ。でも、起こってしまった時は人の手で防ぐ。今回ほどの大雨で、これぐらいの被害ですんだのは、先人達の努力のおかげ、なんだよね。今回地滑りを防げなかったのは、くやしいなあ」
 確かに、今までたくさんの人たちが急傾斜地対策や護岸工事をしてきてくれたから、起こっていたはずの地滑りや氾濫を防げたのだろう。
 人跡未踏の地で土砂崩れや洪水が起ころうとも、それは「自然現象」だ。しかし、人の命や人工物が被害を受ければ、それは「災害」となる。自然現象を災害にしないために、政治行政は防災対策をほどこす。市民の生命と財産を守ることが政治の至上命題なら、治山治水はまさしく政治の要だ。
 しかし今回は、小規模とはいえ地滑りを防げなかった。
 「想定外」の大雨とはいっても、山川大好きのしーちゃんとしては、忸怩たる思いだろう。
「でも、天童の東部には、急傾斜地が多いですから、道路に面した急斜面なんか何㎞にわたるか想像もつきませんよ。それ全部に土留め工事をするなんていったら、いくら予算があっても足りません」私は一応、市長を慰めてみた。
「そりゃ、そうなんだけど。仕方ない、ってのは、あんまり言いだぐないよね」しおり市長はそう言ってため息をついた。
「まあ、昔はもっと里山に人の手が入ってだがら、こんなに山が荒れでながったわな。山に人の手が入らねえがら雑木が増えで、根っこが浅いもんだがら、大雨で土が緩んだときには地滑りを止められねえ」武田住職が、消防団時代の山の知識を語ってくれた。。
「材木がお金になれば、きちんと下刈りや間伐、植林が行われて、里山整備が進むんでしょうけど」
「んだよなあ。昔は山もってれば一財産だったけど、林業がダメになってがらは、誰も山さなんか目も向げね」
「山林が商売になれば、里山整備も進んで、治山も一歩前進するんだけどなあ…」
 そこまで言って、しおり市長は、ふっと考え込んだ。
 そして顔を上げ、桃色の頬でにっこり笑うと、

「いい事業(こと)、思いついだっきゃ(思いついちゃった)」

 と例の台詞を吐いた。
 おいおい、勘弁してくれ。今回は、問題が大きすぎるぞ。治山の問題なんか、小手先でできる話じゃない。
 問題が大っきぐなれば、俺が被る苦労は、累進課税的に増大すっべした(するじゃんか)!
「ちょ、ちょっと!市長!またなんか思いついたんですか?ぜひ自分一人でやってくださいね?私を巻き込まないでくださいよ!」
「うるさい!」
 ピムッ、と団扇ではたかれる。しーちゃんは住職の前では私への凶暴性を隠さない。っていうか、もともとばれてる。
「天童市の山と人を守る仕事だべした(でしょ)?議員なら協力しろ!」
「ははっ。こりゃ、しーちゃんの勝ぢだな。『身を削り、人に尽くさん、すりこぎの、その味知れる、人ぞ尊し』だな。ほめられなくても、身を削って人に尽くすのが最上の功徳だ。大体、市長と議会は車の両輪。市長一人に仕事をしろなんざ、言うわげねえよな、ケーちゃん?」
「そんな…。すりこぎの身にもなってくださいよ」
 私は、そう泣き言を言って、天童ワインを呷るしかなかった。

vol.21に続く ※このお話はフィクションです

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