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バラ色の人生を期待して東大医学部に入ってみたんだけれども
「東大に入れば人生イージーモード」
そんなふうに思っていた僕の期待は、東大に入って見事に打ち砕かれました。
自分より頭のいい人、コミュニケーションの上手な人への劣等感に苦しみ、やりたいことも見つからず、自分の得意なこともわからず。
悩み、苦しみ、そこから逃れるヒントを求めてさまざまな体験をして、最終的に気づいたのは、シンプルで、簡単なことでした。
これは僕が、長い年月と膨大なエネルギーをかけて、小学生でもわかるような簡単なことに気づくまでの話です。
田舎の少年が東大に入るまで
初めまして、タカギユウキです。
2人兄弟の長男として生まれ、周りを見渡せば空と山しかないような田舎で幼少期を過ごしました。
両親から勉強するように言われたことはなく、放課後は友達と川でザリガニを釣ったりしながら自由奔放に育ちました。
高校1年生の終わりのことでした。小さいころから勉強ができた僕は、担任の先生に呼び出され「東大を目指さないか?」と誘われました。
特に東大でやりたいことがあったわけではないのですが、「東大生になれば、何かすごい人になれるはずだ!」そんなぼんやりした気持ちで勉強を始めました。
当時、自分の高校からは東大合格者が出ておらず、初めて合格したら「なんか人気者になれそう!」という思いもありました。
とはいえ、お手本になる先輩がいた訳でもなく、どのように勉強したら良いかもさっぱりわかりませんでした。
とりあえず、と僕がしたことは、生徒と先生がやりとりする連絡帳の表紙に「東大合格」と、太字の黒ペンで書くことでした。夢は決意表明すれば叶う!と、どこかで聞いたからです。
すると、それが瞬く間に学校中に知れ渡り、多くの先生が廊下ですれ違うたびに、「東大目指すんだってな!応援してるぞ!」と声をかけくれるようになりました。
「みんなが使っている辞書だと、東大には足りないから」と、英語の辞書をプレゼントしてくれた先生もいましたし、「俺の科目は試験に必要ないんだろ。俺の授業は自習してていいぞ」とこっそり伝えてくれた世界史の先生もいました。
両親は毎日美味しい食事を作ってくれ、人が変わったように勉強を始めた僕を暖かく見守ってくれました。
そして、家族や友人、学校の先生の手厚いサポートのおかげで、無事、東大に合格しました。
合格発表の日は、まさに人生の絶頂を迎えたような気持ちでした。お世話になった先生1人1人に電話をして感謝を伝えると、自分ごとのように喜んでくれました。
「後輩の前で講演会をしてくれ!」「うちの部活で話をしてほしい!」みんなが僕を特別な人間として扱ってくれて、まるで英雄になったような幸せな気持ちでした。
そんな余韻に浸りながら東京へ引っ越す準備を終えて、これからは東京で、夢のような大学生活が待っている!!
……はずだったのですが、想像とは裏腹に、苦しい日々を過ごすことになります。
地獄の大学生時代
東大に入ると30人くらいのクラスに分けられるのですが、クラスの8割は有名高校の出身者ばかり。入学前から進学塾や予備校などで知り合いのようで、仲良しグループがすでに出来上がっていました。
僕がこれまで持っていた「勉強ができて優秀」というアイデンティティも、全国から集まるエリートたちの中では通用しませんでした。
みんなと友達になりたいものの、変にプライドが高かった当時の僕にとって、自分から話しかけるのはとても難しいことでした。
「なんとか友達を作りたい!」そう思った僕がとった行動は、テレビの芸人を真似して、自分なりのボケを繰り返すことでした。
例えば人に話しかけられた時には、相手に向かって、何も言わずに、指で輪ゴム鉄砲を飛ばしたりしていました。
しかも、めちゃくちゃ真顔でです。
これを読んでくれているあなたは、「えっ、なんで?」と思ったのではないでしょうか。そうです。当時の友人も、同じ気持ちだったのだと思います。
自分としては、ボケのつもりなのですが、もちろん誰もツッコんでくれません。
気づけば、周りから距離を置かれる「変なことを言う変なやつ」になっていました。
中学高校では恵まれたことに、周りから距離を置かれる経験がありませんでした。だからこそ、自分が「変なやつ」だと思われている状態に、とても焦りました。
なんとかして状況を打開しようと思い、これまで以上におかしなボケを繰り返して距離を置かれるという、悪循環に入っていきました。
「ああ、また嫌な顔をされてしまった。なにか変なこと言ったかな」
「実験のペアが見つかって良かった。でも本当は自分以外とペアが良かったんだろうな」
「距離を置かれているのはわかるけど、どうしたらいいかわからない……」
必要以上に人の顔色を気にするようになり、ついには自分は誰からも嫌われていると思い込むようになりました。
昼ごはんを1人で食べていることに耐えられず、トイレの個室でひっそりお弁当を食べていたほどです。
当時、東大構内で”一人メシ”をしている人をよく見かけましたし、僕も一人メシ自体は気楽で好きでした。
しかしそれ以上に、1人で食べているところを知り合いに見られて「うわ、あいつ1人でご飯食べてるよ。友達いないのかな?」と思われることに耐えられませんでした。
実際にはそんなこと誰も気にしないのですが、今思えばとても自意識過剰でした。
個室でひっそりとお弁当を食べたあとは、一人メシがバレないようゴミをカバンの中に隠し、周りに人がいないことを確認して、何事もなかったかのようにトイレを出ます。
全然平気なように振舞っていましたが、内心はとても心細かったです。
「こんなはずじゃなかったのに」
「何でこうなっちゃったんだろう」
状況を打開するために頭を悩ませ、当時の僕が思いついたのは、医学部に進学することでした。
東大は、入学時には学部が決まっていません。
3年生から学部に分かれるのですが、希望する学部に進めるかどうかは1・2年生の成績で決められます。
つまり、大学に入った後からでも、成績さえ良ければ医学部に進学することが可能でした。
当時の僕が医学部に行きたいと思った理由は、医学にすごく興味があったから!というわけではなく、同じ東大生の中でも、医学部は格上に見られているように感じたからです。
「医学部に進学すれば自分もすごい奴と思われるはず!そしたらきっと、みんながチヤホヤしてくれるはず!」そんなふうに考えていました。
今になって思えば、医学部に入ったところで根本的な解決にはならないのですが、当時はワラにもすがる思いでした。
進学のためには学科試験で高い点数を取らなければならず、大学生らしい飲み会やサークル活動をシャットアウトしてひたすら勉強しました。
中には、手段を選ばずに高い点数を取ろうとしたことによって、苦い経験をしたこともありました。
一言で言えば、過去問を独り占めしようとしたことがバレたのです。
当時、試験の過去問を入手したら、それをクラス全体でシェアするのが当たり前になっていました。
しかし過去問がクラスで共有されれば、クラス全員が高得点をとり、自分だけが高得点をとることは難しくなります。
そんな理由で僕は、独自のルートで過去問を入手し、クラスのみんなとは共有せずにそれを独り占めしたことがありました。
絶対に医学部に行かなくてはというプレッシャーもあったのかもしれません。自分が高い点数を取るためには、手段を選びませんでした。
問題が発覚したのは、試験の開始10分前のことでした。
「えっ、タカギ、過去問シェアしてないの!?」
その声が100人ほど学生が入った試験直前の教室で響き渡り、一斉に、みんなの目が自分に注がれるのを感じました。
僕が過去問を独り占めしていたことがバレたのです。
前に座った友人からは、答案用紙を前から後ろに手渡される際、「お前、最低なやつだな」と言われました。
試験が始まるまでの間、「あいつ過去問独り占めしてたらしいよ」と周りでヒソヒソ話す声を聞きながら、
試験よ、頼むから早くはじまってくれと念じながら、永遠に思える時間を、机の木目を眺めながらひたすら深呼吸して過ごしました。
今になって思えば、人からしてもらうことは当たり前と思う一方で、自分から人に何かを提供することには無関心でした。
試験は終わり、結果として無事医学部に入ることができましたが、自分のことだけを考えるのは、割に合わないかもしれないと感じ始めた瞬間でした。
東大医学部入って人生変わった?
医学部では、ありがたいことに、自分のキャラクターを「お前、面白いやつだな」と受け入れてくれる同期に恵まれ、コミュニケーションへの不安感は少しずつなくなっていきました。
無言で輪ゴム鉄砲を飛ばしても、
「おいお前何してんだよ(笑)」
「貸せ、次は俺のターンだ(笑)」
と笑って付き合ってくれるような同期たちでした。
友達と一緒に授業にでたり、友達と一緒に実習をしたり。そんなことが、すごく幸せに感じました。とても運が良く、恵まれていたと思います。
自分の居場所を見つけて満たされたように感じましたが、そこで全てが解決したわけではありませんでした。
次に現れたのは、「僕は何がしたいんだ?」という不安でした。
元々医学部に入ったのも、特にやりたいことがあったわけではなくて「すごいと思われたい」ということが目的になっていたからです。
同級生は毎日研究室で、最先端の医学を研究しているのに、自分は週7でひとりカラオケをして、精密採点に一喜一憂している。
後輩は世界の健康水準を上げるため、海外で有名な政治家と活動しているのに、自分は匿名のチャットルームで、東大生だとカミングアウトして承認欲求を満たしている。
「あれ?自分は一体何をしているんだろう?」
ぼんやりとした虚無感に襲われますが、そんな不安をごまかせる程度には、友達と過ごす毎日は楽しくもありました。
「これでいいはずだ」と言い聞かせながら、ぬるま湯に浸っているような感覚で、授業とレポートをこなす日々を過ごしました。
病院でのある経営者との出会い
そんな中、病院実習が始まりました。病院実習では約1ヶ月ごとにそれぞれの診療科を回り、担当患者さんを受け持ちます。
転機となったのは、消化器内科で50代の経営者の男性を担当した時のことでした。
その人は1ヶ月ほど前から肝臓ガンで入院しており、お腹に溜まった水を抜く治療を、週に2回ほど行なっていました。
学生であった自分も時々、水を抜く治療を行い、その間に雑談して、少しずつ仲良くなりました。
ある日、いつものように腹水を抜いていると、その人は普段とは違って神妙そうに話を始めました。
「なぁ、あんたもこれから医者になるんだろ?そしたら患者の気持ちがわかる医者になってくれよな」
「医者にはわかんないかもしれないけどさ、俺が入院してる間に会社が回らなくなって、倒産するかもしれないんだよな」
「医者は命が一番大事だって言うけどさ。俺からしてみれば、会社を潰して従業員が路頭に迷うくらいなら、まだ死んだ方がマシなんだよな」
いつもは気丈そうに見えたその人の言葉にハッとさせられました。
これまでは当たり前に「治療」することで患者さんを幸せにできると思っていたけれど、もしかすると「治療」することで逆に不幸にしている場合もあるのかもしれない。
このまま勉強を続けて医者になれば、医学の力で多くの人を幸せにして喜んでもらえて、感謝されて、すごいと言われて、幸せな生活が送れると思っていた。
だけど、医学的に正しいことをやったからといって、必ずしも患者さんを幸せにできるわけではないのか?
だとしたら、自分がやろうとしていることって一体なんだろう?
何も考えずにこのまま医者になって、自分に何ができるだろう?
果たして、こんな漠然とした気持ちで医者になっていいんだろうか。
そういえば、自分はこれまでずっと自分で道を選ばずに、世間的に評価される道、正解に見える道を選んできた。
このままいけば今後はきっと、
大学の医局に入って、成長するために勉強して、研究を熱心にやって、投資用マンションを運用して、周りが羨むような綺麗な奥さんを探して、うまく研究がハマれば教授を目指して、周りの人から「立派だね、すごいね」と言われながら生きていくんだろう。
もちろんそれを望む人はいるだろうけど、自分自身は本当にそれを望んでいるんだろうか?
忙しい生活を送って「すごいね」と言われて満足感を感じつつも、どこかで虚しさを感じていないだろうか?勉強して努力すれば成長はするけれど、その先に自分が求めるものはあるのだろうか?
このレールには終わりがなく、これからもずっと続いていくぞ。もしその先に望むものがないなら、どこかでレールを降りないと。
そんなことを考えていた矢先、たまたま休学中の友人と知り合い、休学という制度があることを知りました。
休学なんて自分には縁がないと思っていましたが、とにかくレールから外れなければという気持ちが強く、逃げるようにして休学を決意しました。
外の世界を知った休学中の2年間
とはいえ、休学中の具体的なプランはありませんでした。
休学した直後は肩の荷が降りたような気持ちでいましたが、特にすることもないまま2週間も経つと退屈になります。
そんな時、僕が休学したことを知った先輩医師から飲みに誘われました。
「休学したことをどう思われるかな?」と不安だったのですが、彼は休学をとても面白がってくれました。
「俺がタカギくんだったら、普通の医者が絶対やらないような経験をするね」
そんな前向きな言葉に、僕は興味を惹かれました。
「タカギくん、医者になると、診察する相手は普通の人だよ。サラリーマンだったり、主婦だったり。ホームレスの人だってよく病院にくるし、ものすごいお金持ちの人だっている。職種だって、有名企業の社長から水商売の人までいろいろだよ」
先輩は続けました。
「なのに、医者は学生時代から似たような境遇の人とばかり一緒にいて、大人になっても医者の世界で生きていくよね。医者は病気についてはプロだけど、患者さんの生活については全く知らないんだ。他のサラリーマンよりよっぽど非常識だと思うよ。だからこの機会に、医者の外側の世界をよく見てくるといいと思うよ」
その言葉に、妙に納得しました。
「確かにそうだな。せっかく休学したんだから、これまで見てこなかった世界を見てみよう。そして、これまでのレールに乗っていたら絶対に会わない人に会ってみよう」
そこからは、色々な人に連絡を取り、色々な場所に出かけました。
それは漠然と生きて来た僕にとって、
とても刺激的な体験でした。
代々木公園でゴミ拾いボランティアをした時は、コミュニケーション下手な自分を優しく迎えてくれるスタッフ達に、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
渋谷のセンター街でナンパした時は、10cmのヒールをカツカツ響かせながら歩くギャルに完全に無視され、自分のちっぽけさを知りました。
東南アジアで1人旅をした時は、路上で幸せそうに暮らしている人たちを見て、自分が追い求めていた幸せのイメージが揺らいだのを感じました。
新宿の歌舞伎町でホストをした時は、なりふり構わずお客さんを喜ばせることに命をかける先輩ホストの姿に、男としてのカッコ良さを感じました。
初めて受けた企業インターンでは、クライアントのことを嬉々として語り、時間外でも楽しそうに働く社員を見て、「働く」ということの意味づけが変わりました。
それは、これまで自分が見落としてきたものを1つ1つ拾い集めるような、とても貴重な時間でした。
そんな中、自分にとって忘れられない出来事がありました。学外で会った男友達と、カフェでお茶をしていた時のことでした。
彼は悪気なさそうに尋ねました。
「タカギってさ、東大生なんだよね。それって、何がすごいの?」
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
「え?」(いや、だってそんなの……東大生ってすごいじゃん。)
どう答えていいかわからなかった僕に、彼は続けました。
「いや、そりゃ勉強を頑張ったんだと思うんだけどさ、実際のところ何ができるの?そのすごさを見せてよ」
それは、今までにされたことのない質問でした。
「受験勉強を教えることができる」
「他には?」
「……頭がいい?」
「それを使って何ができるの?」
「……」
反論したい気持ちは強く湧いてきましたが、彼の質問にうまく答えられませんでした。
テレビのクイズ王のように知識が豊富な訳でもない。思い切って起業をする勇気がある訳でもない。情熱があって研究したい分野がある訳でもない。
自分のことを周りから必要とされるすごい人間だと思いたいけれど、それを証明してみろと言われてもできない。
悔しかったですし、
「自分が正しい!相手が間違っている!」
と思いたい気持ちもありました。
けれど一方で、そこには長年の悶々とした感情を、解決するヒントがあるようにも感じていました。
悶々とした感情の正体
悶々とした感情の正体がわかったきっかけは、
別の友人から、ある音声を聞かされたことでした。
その音声は、26歳まで大学受験に失敗し続けて実家に引きこもっていた男性が、後にさまざまな経験を経て、雑談形式でゲストをコーチングをする様子が録音されたものでした。
「自己啓発的なやつかな」と思いましたが、勧められたからという理由でなんとなく聞いていました。
ぼんやりと聞いているうちに「あれ、なんか大事なこと言ってるかも?」と思い始め、気づけば同じ音声を、巻き戻しながら何度も繰り返し聞くようになりました。
沢山のエピソードの中でも、特にハッとしたのは『不換紙幣マザコン』の話でした。不換紙幣とは、僕たちが普段使っているお金のことです。
詳しい内容は音声に譲りますが、簡単に言うとこんな感じです。
甘えた子どもが自分で人と向き合うのではなく
「ママに、なんとかしてもらおう」
「すごいママがいれば、あいつなんてやっつけられる!」と思うように、
実は僕たちも、自分で人と向き合うのではなく、
「お金になんとかしてもらおう!(お金さえあれば!)」
「お金をたくさんもっていれば、あいつを見下せる!(尊敬される!)」
と思ってしまっているということです。
お金が便利であることは間違いありませんし、
初めて音声を聞いたときは「そんな大袈裟な」と思いました。
でも、これは自分のことではないかと気付いて、ハッとしました。
その時、
「僕は、学歴マザコンなんだ」
と理解したのです。
マザコンの人が「うちのママはすごいんだぞ! ママに言いつけちゃうぞ!」と言うように、
「俺は東大医学部だぞ! すごいんだぞ!」と思っていました。
人と親密になるためにも、相手が欲しがっているものを提供することで関係を作ろうとするのではなく、
「東大」や「医者」という間接的な方法で気を引こうとしていたのだと、過去の出来事が繋がって見えました。
ずっと感じていたモヤモヤは、
「すごいと言われるもの」を必死に身につけてはきたけれど、自分自身が直接人を喜ばせてきたわけではないという虚しさからきていたのだと思います。
これまで何をしていたんだ...と、愕然としました。
じゃあ、これからどうしようか。
これまでは自分が「すごい」と思われることに精一杯で、人に関心がなかった。
これからは、人が何に悩んで、何を求めて、何で喜ぶか知りたい。そして、人を直接喜ばせられるような人間になりたい。
音声を聞いているうちに、そう思うようになりました。
「目の前の人の役に立つ」
僕は今、都内にあるメンタルクリニックで働いています。
クリニックの外来には、朝から晩まで、沢山の人が相談に来ます。
1人1人違う悩みを聞き、1人1人に合わせた解決策を一緒に考えます。そこには、この診断だからこの薬を使えばいいといった「正解」はありません。
診察室に入ってきた方に、「どこが悪いのですか?」ではなく、
「どんな状態になれたら嬉しいですか?」
「その状態になれたら何がしたいですか?」
そんな質問をしながら診療しています。
というのも、仮に症状が同じであっても、その人の理想とする姿が違えば、当然ながら治療法は変わるからです。
例えば、同じ「緊張する場面でのパニック発作を治したい」という人でも、その目的によって、適切な治療は変わります。
半年後に控えた学会発表で力強いスピーチをすることが目的であれば、生活習慣を整え、カウンセリングで不安の対処法を学んだ上で、スピーチの練習をくり返すことが適切な治療になるでしょう。
一方で、明日の友人の結婚式に安心して出ることが目的であれば、お守りがわりに抗不安剤を処方し、パニックになりかけた時の対処法を伝えることが適切となるかもしれません。
同じ症状に悩んでいたとしても、何を目指すか?によって治療は全く違うのです。
絶対的な正解がないため、受験勉強のように一筋縄ではいかず、思ったように力になれずに悔しい思いをすることも多くあります。
しかし、何とかして目の前の人の役に立とうとすること自体に、これまでにない安らぎを感じています。
おわりに
「東大に入れば人生イージーモード」
そんなふうに思っていた僕の期待は、
東大に入って、見事に打ち砕かれました。
自分より頭のいい人、
コミュニケーションの上手な人への劣等感に苦しみ、
やりたいことも見つからず、自分の得意なこともわからず。
悩み、苦しみ、そこから逃れるヒントを求めて、さまざまな体験をして、
結果的に気づいたのは、シンプルで、簡単なことでした。
目の前の人と関わり、その人の役に立とうとする。
辛そうにしている人がいれば、背中をさすってあげ、
つまらなさそうにしていれば、笑わせようとしてみる。
それはきっと、小学生や、もっと小さな子どもでさえ理解できることです。
けれど、僕はこれまで、そんな簡単なことをずっと放置してきました。
目の前の人と関わることから目を背けたくなることはたくさんあります。
つい学歴とか、資格とかでごまかしたくなります。
面倒に思えて、一筋縄でいかない大変なことですが、きっとそれこそが、
モヤモヤとした感情から抜け出し、人生を清々しく生きるために大事なことなのです。
そんな大事なことにやっと気付いた僕は、
今、レベル1から、少しずつ練習しているところです。
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