ご挨拶
はじめまして、やぶのねと申します。
本名で書くか悩みましたが暫くはニックネームで失礼致します。
まずは自己紹介。
国籍は日本です。幼い頃から海外に憧れて中学時代にカナダへの語学研修を体験しました。大学時代には中国の北京大学へ語学研修に行き、1990年代後半、素朴かつ粗野ながらも活気ある中国へ深い興味を持ちました。
就職氷河期の狭き門をくぐり大卒で一部上場の証券会社入社。やり甲斐はありましたが折しも第二次対中国投資ブームの走り。毎日読む日本経済新聞で中国の記事を多く目にしてやはり中国に行ってちゃんと留学したい、この目で中国の生の姿を見たい、という思いを強くしました。
そんな折、中国の語学研修でお世話になった北京大学の教授が、姉妹校である母校を訪れるため来日され、お話をする機会がありました。片言の英語と中国語を根気よく優しく聞いて下さるその姿に、モヤモヤした迷いが吹き飛び背中を押されました。やはり中国へ行こう!そう覚悟が定まりました。
貯金はしていたので脱サラして上海へ半年の予定で留学。半年だと足りないと感じ、もう半年留学を延長。その間の夏休みは帰国して銀行で派遣のお仕事をして資金を貯めまた中国に戻りました。その後、上海で就職活動したら在中国の日系損保へ入社することが出来ました。それが、半年のつもりが7年強に亘る長き中国とのご縁の始まりでした。
その後キャリア形成、外資系への転職、昇給、マネージャー昇進を順調に重ねました。この頃は、もちろん嫌なことは山のようにありましたが、仕事が好きで働くのが楽しくて仕方ありませんでした。統制経済の中国でもこんなに国籍や性別、年齢に関係なく働けるのだからと日本はもっとだろうと思っていました。
今にして思えば、長く外国に暮らし、たまに帰る日本のサービスや品質が素晴らしいので何処かで日本を美化していたのかもしれません。
日本へ転勤後、待っていたのはやっかみいじめ足の引っ張り合い踏み付け合いの地獄でした。語学や実績など所詮は出る杭、酷いハラスメントも見て見ぬ振りするのが大人だと言わんばかりの環境でした。仕事は終わってても残業するのが日本人でしょ?とばかり、会議室で句点読点の打ち方など細かいこと等で2時間叱責を受ける、何とすれば体を触ろうとしてくる、そんな生活が日常化しました。長い不況に中で日本の労働文化はこんなにも歪んでしまったのか、こんな筈ではなかった、と思いました。
半年以上経ち、自分の心身に危機的な不調を感じるようになりました。医者に掛かったところ暫く仕事を休養するよう命じられました。やはり、と思いました。メンタルヘルスを仕事で少し齧っていたため不調な労働者のサインを知っていたのが不幸中の幸いでした。そうでなければ私は電車かどこかに飛び込んでいたと思います。
…
日本にはもちろん良い職場もあります。しかし周囲に話を色々聴聞き、ツイッターやブログなどで情報を集めると、思った以上に劣悪な労働環境の職場が多いようでした。正社員ばかりでなく、時給制のアルバイト学生ですら退職できない、残業代が出ない、最低賃金が払われてないことを知り言葉を失いました。都会を走る電車は生気のない労働者を運ぶ護送車のよう見え、長いこと恐くて乗れませんでした。
私見ですが、「同調圧力」、これが日本で一番恐いものだと思います。それが法の下の平等が保障されている人権や、コンプライアンスより優先されるのは本当に恐ろしいことだと思うのです。
日本はこのままでいいのか?法治国家としてあるべき姿なのか?本当に改善の余地はないのか?私に出来ることは本当にないのか?
自問するなか、部屋の片付けをしていたらある日、一冊の本が目につきました。社会保険労務士試験の参考書です。人事コンサルティングでクライアントの就業規則作成及び修正のお手伝いをしていたときに購入したものでした。
もしこの国家資格を得てこの仕事が出来たら、日本の労働環境を改善する一助になれるのではないか?働くのは大変なことも勿論あるけど、そもそも楽しいのだということを分かってほしい、そんな就労環境を形成する手助けをしたい、そういう思いで社労士の勉強を始めました。
試験は先日終わりました。残念な結果にはなりそうですが合格発表は先ですし、私は受かるまで諦めません。
逐次、仕事のこと、中国のこと、政治経済や自分の思いを活字にしていけたらと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
また読んで頂けたら嬉しいです。今後とも宜しくお願い致します。
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