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弔いの時。怨恨の連鎖と慈愛の自己犠牲





小学生のころに読んだ漫画の印象的な1ページ

『ブッダ』 手塚治虫

未来を予見できる人を探すようにブッダから言いつけられたアナンダが、サーリプッタと初めて出会った場面です。
サーリプッタは、なぜ精霊を連れているのかとアナンダに声をかけます。
アナンダのお腹のところからアッサジがニヤけた顔を向けています。







5日に祖母が亡くなって、自分のルーツの話を聞く絶好の機会を突然得ました。

祖母は病気で危うい時が多くあり、いつ亡くなってもおかしくないと言われながら何十年も生きました。最後まで残忍なほどに無邪気に生きた人でした。


まるで少女に戻ったような死に顔の祖母を囲んだ人たちの心の内には、顔には出さないけどほんとうに色々な想いが行き交っていたと思います。
私はそれを知りながら、祖母との思い出を懐かしく思い出すだけでした。



私はこの日までに怨恨の連鎖を笑い飛ばせるようになっていたことがただただ嬉しかった。これが2ヶ月前なら間に合わなかったと思います。祖母のはからいかもしれません。




手塚治虫は『ブッダ』の中で、ブッダというキャラクターの周りの怨恨の連鎖をフィクションで描きました。どんな苦しみにも原因があり取り除くことができると知りながら、復讐を止められないブッダの無力さも描かれています。

手塚治虫は、ビルドゥングスロマンのように描きたかったと言っています。

記事のはじめに引用した漫画の1ページでは、神妙なアナンダとは対照的にアッサジが呑気なニヤけ顔を披露しています。

人が人の苦しみを救おうという切実さすらも、雄大な宇宙の理から見ればそのなかの小さな働きの一つにすぎないことをアッサジのニヤけ顔が教えてくれるようです。

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