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PPP的関心【地域密着の地場ゼネコンで聞いた、明治時代のインフラ整備の話】

現代日本における官と民が手を組んだ公民連携手法でのインフラ整備や公的サービスの提供は、1999年に成立した「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律( PFI法 )」によって「制度」として本格的に動き始めたと理解していました。

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11月半ば、たまたま仕事で訪問した秋田県にある地域密着の地場ゼネコンの社長から聞いた話で、自分の勉強不足を知りました。
その会社は創業140年を超える歴史を持つ土木建設会社です。そのような長い歴史を持つ会社だということもあり、社長自ら自社の過去の仕事を調べていた際に「自然災害で落ちた橋を民間が「橋梁支社」を名乗って自ら整備し、"人には7文、馬には14文"の通行料をとって維持管理と投資回収を行なう」仕事をしていた、という話を聞きました。

PPP をテーマにしている学校に在籍しているものとしては随分と恥ずかしい話なのですが、社長の話は現代で言えば PFI による橋梁整備とも言える話であり、これまであまり歴史の観点で PPP を見てこなかった自分の目線の偏りに気づきを与えていただきました。

今回は、これって現代的に言えば PFI だよな、というこの話が興味深かったので「(偏り、不勉強の反省する)記録として」記事にします。

近代日本における、官民連携によるインフラ整備

先ほど「歴史」を遡ってPPPについて考えたことがあまりなかったと書きましたが、早速調べてみると、ネットでちょっと調べただけでも色々な情報に接することができました。

例えば、「国土交通白書2014」では江戸時代や明治時代に行われていた官(幕府)と民(町方衆)、あるいは官(新政府)と民(民間企業)が手を組んだ「公民連携」によるインフラ整備に関する記述がありました。
例えば・・・

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複数の長大橋を維持管理していくことは幕府財政にとって大きな負担であったと想像され、老朽化が著しくなった享保期の 1719 年には永代橋の撤去が決定されました。
ところが、地元の町方が橋の存続を願い出たことから、幕府は町方で橋を維持管理することを条件に存続を認めました。そして、町方による橋の維持管理が開始されましたが、海水による橋杭の朽損や暴風雨の影響等によりたびたび破損が生じることとなり、維持管理費用の全額を町方に負担させることは困難と判断した幕府は、1726 年から7 年間に限り、武士を除いた通行人から 1 人当たり 2 文を徴収することを許可しました。ここに町方による橋の維持管理に加えて運営が開始されました。早速、1729 年には、この橋銭から橋の架け換えが行われています。更に、1736 年から 10 年間は、1 文ずつの徴収が認められたほか、焼失・流失等による大規模な修復が生じた際にも橋銭の徴収が認められることとなりました。

といった江戸時代の橋梁の維持管理に関する記述や、明治時代の道路整備についても

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道路整備では、明治政府は鉄道優先策をとったため、全体として後れを取ることとなった。
最初の道路法制は、1871年(明治4年)12月に太政官布告第648号として出された「治水修路等ノ便利ヲ興ス者に税金取立ヲ許ス」と言われている。これは、料金徴収を認めることによって私人による道路や橋梁整備を促したもので、・・・・

といった内容が記されています。
大変不勉強だっただけですが、民間資金や民間による運営を用いたインフラ整備が100年以上前の近代日本でも行われていたことは新鮮な気づきでした。おそらく新政府が立ち上がったばかりで安定的な歳入源もない中(地租改正による安定歳入確保策としての地租導入は明治 6 年)で近代化を進めるうえで、ない袖は振れないという側面もあっただろうし、冒頭の秋田県の会社の話などから「私人による道路や橋梁整備を促される」こと状況を民間側も「ビジネスチャンス」と捉えていたのではないかと想像できます。

現代の制度としてのPFI。”英国以前”の起源

英国でPFIが導入される前においてもサッチャー政権時代には「小さな政府」を志向する政策として国有企業民営化、行政サービスのアウトソーシング、行政のエージェンシー化などが推進されていました。そしてサッチャーの後を受け誕生したメージャー政権の時に1992年にPFI が導入されることになりました。
現代日本のPFI制度も、英国での導入事例の研究したと言われています。

しかし、これ以外にも民間活力を生かしたインフラ整備の方法としてのPFI( コンセッション方式)が導入されていた地域があります。
それは1990年代の南米です。当時、社会主義体制の崩壊によって政府によるインフラの整備が滞り、電力・道路・空港・上下水道の整備を民間に任せたという例ですが、これがPFIの始まりという見方もあります。

さまざまな理由で官による公的サービスの提供能力に不安(資金不足とか)が起こった時に民の力に頼るという流れは時代や洋の東西を問わず、当然なことなのだと思います。

一周まわって「公民連携」の必要性がクローズアップ。一層の広がりに期待

新政府立ち上げ当初の歳入不足…という理由と現代の行政が抱える背景には違いがあります。しかし背景の違いはともあれ、目の前に現れる施設・設備の更新や老朽化に対する維持管理への資金不足、将来投資不安といった問題は同じだと思います。
それらに対してとにかくまず行政に解決を頼るという考え方ややり方だけでなく、民間も当事者として問題解決に取り組むことで公的サービスが成立していた過去をあらためて見ると、今後の都市経営にあたってはますます公民連携の必要性を感じるところです。

冒頭に書いた地域密着の地場ゼネコンの代々の経営者のように、行政と民間の連携を「機会」と捉え、ビジネスを拡大するチャンスとすることは決して悪いことではないと思います。

特に建設業や不動産業は人々の暮らしの基盤である住まいや住環境を整える大切な役割を実行する経験と能力(人材、スキル等)を備える業種です。
その意味で、行政と民間の連携を自ら創造し、その機会を活かした「元気のいい企業」が地域で増えることこそ地域の活性化につながります。

以前のPPP的関心の中で「地域課題の解決を新・建設業のビジネスチャンスに」というサブタイトルで書いたように「新・建設業への転換を目指して、仕事を待ち受ける経営から自ら受注を創造する「創注型」の経営へと進化することで事業の持続可能性、発展の可能性を高めるべきである」ことをあらためて思うところです。




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