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矢部明洋のお蔵出し日記編 1999年7月

▼7月某日・ランニング靴

   今年の梅雨はよく雨が降る。
 その合間を狙って久方ぶりに朝、走った。県庁の裏手にあたる一の坂ダムまでの坂道コース。復路の下りは腰に負担がこないかと少々おっかなびっくりだったが、快適に走れた。
 新調したナイキの靴も、いい按配だ。
 市内の量販店で定価14000円が約8000円だったので買った。ナイキはあまり安売りしているのにお目にかからなかったので初めて使う。履いてみて、いかにも肥満というか体格のいい外人が作りそうな靴だ思ったと。体重のある人は、自分の体重で膝を痛めがちで、そこに配慮した十分過ぎるクッションがナイキの売りなんだろう。私も重いので履き心地はいい。
 しかし、体重の軽い人にはクッションが強すぎて逆に膝を痛めることはないだろうか。
 因みに、ナイキの前にはいていたアディダスは私の足の型と相性が余り良くなかったようだ。アシックスとニュー・バランスは良かった。両社の製品は毎年、新製品が出る度に旧モデルの安売りが始まるのでよく買った。
 ナイキの次は一度、ミズノを試してみようと思う。
 それにしても、福岡ではランニングシューズを安売りしている店を、ついに見つけられず、東京出張の折に買っていたのだが、福岡には、そういう店がないのだろうか。確かに、あの街はアウトドアショップに顕著だったが、スポーツ用品店が、若い店員に至るまで妙に偉そうだった。
 

▼7月某日・早起き攘夷のススメ

  日経新聞の朝刊が「今どき早朝が自由時間」との見出しの記事を掲載していた。
 中身は、趣味や勉強に仕事を終えた夜の時間を使う従来型から、就業前の早朝を使う人が増えているというリポートだ。早朝のマクド(関西人はマクドナルドをマックとは言わない)が自主勉強会なんかで混んでるらしい。
 暗いうちから起き出すことはないが、我々はもっと早朝から活動した方がよい。外国人に負けないために。
 なんて唐突に、力んで言い出すのには理由があって、首都・東京のジョギングのメッカ、皇居の早朝ランニングが外国人に独占されているからである。それも、いかにもエリートっていうタイプの連中が走っている。  なぜ、私がこんな事を知っているかというと、昔取材したからである。午前6~7時台、皇居を走っているのは見事に外国人ばっかり。8時前になってやっと日本ランナーが現れる。その後はもう昼休みを中心に日本人の天下となるが、都心の空気が一番きれいで、すいているいい時間帯は外国の人々が満喫しているのが実態だ。別に私は国粋主義者ではないが、少々、癪ではある。彼らが快適に走っている頃、日本のサラリーマンは満員電車に詰めこまれているのだから。
 こんな時間に都心を走っているのは彼らが近くに住んでいるか、あるいは帝国ホテルをはじめとする近くの高級ホテル暮らしであるかだ。
 都内の一流ホテルはだいたい、ホテル周辺のお薦めジョギングコースなんて地図を用意している(それも英語で)し、帝国ホテルなんぞは走りたいと言い出す客に備えて貸し出し用のウェア、シューズまで準備している。
 それはさておき、外国人は朝から一汗流し、頭も体もクリアにしてビジネスに臨んでいるようだ。負けずに我々も早起きしてみよう。有効に使える自由時間が、夜型のころより増えるはずだ。
 

▼7月某日・大人の顔

  新聞の読書欄に野田知祐が出ていた。この人、年を取るにしたがって小津安二郎に風貌が似てくる。頑として自分のスタイルを崩さない人は、こういう顔になるのだろうか。いずれにしてもカッコイイ大人の顔だ。 

▼7月某日・助けてくれぇ~~

  新婚旅行で休んでいた同僚が、やっと復帰し、平日ながら休みを取った。
 愚妻に買ってもらったマウンテンバイク用シューズ(靴の裏に金具が付いていて、自転車のペダルの金具にひっかけてこげる。足を踏む時だけでなく足を引き上げるときも車輪に動力を伝えられる)を初めて試す。自転車は、いつも乗ってる廉価車ではなく愚妻愛用の高級車。初めて乗って楽なのに驚いた。愚妻とは一緒に背振峠などへ行ったが自分独り、楽して走っていたという事が分かった。
 いつもの一の坂ダムコースを走ったわけだが、運動にならないくらい楽だった、高い道具は値段だけのことはある。
 午後からは、大人1人150円也の市営プールに、みえぞうも連れ3人で出かける。朝は晴れてて暑くなりそうだったが、午後からは曇りでさすがに少々肌寒かった。それでも、みえぞうは浮き輪につかまりうれしそうにバシャバシャやっておった。
 小生も少々泳いだのだが、水が思ったより冷たく、くたびれた。
 プールから帰宅したのは午後4時頃。ここから地獄の夜が始まった。
 まず、愚妻が乳首をみえぞうにかじられ乳をやれない。当然みえぞうは欲求が満たされず、泣き喚く。プールで遊んでくたびれ、機嫌の悪さに拍車がかかる。親も冷たいプールで泳いだせいで、くたびれている。みえぞうの泣き声が神経に応える。応えるので、立ちだっこしてやる。疲れる。なのにみえぞう泣き止まない。やっと寝たと思っても夜中に起きる。立ち抱っこしてやる。眠い。疲れる。朝が来る。昼間の仕事のことを考えうんざりする。
 まったく、血がつながっているから、泣き喚いていても殴ったり、窓から投げ出したりしないが、これが成さぬ仲の子であれば、1対1で面倒みていれば、「虐待する大人がいてもおかしくないワイ」と、いつものように、うんざりしながら考えるのである。
 

▼7月某日・スポック博士

  泣き、ぐずる、みえぞうへの「窓から放り投げてやる」的、虐待心理を鎮めるため、近所の古本屋で買ったスポック博士の『親ってなんだろう』(新潮文庫)を愛読している。
 夜、読むことが多く、10ページも読まないうちに眠くなるので、5月に買ったのにまだ読んでいる。おかげで今も鎮静剤がわりに使っている。
 夜、立ち抱っこして、あやしてやっても泣き続けるみえぞうにつきあっていると、腹立ちから、たたいて分からせてやろうか、との思いも湧く。さすがに実行しないが、もし愚妻がおらず延々と1対1でこの状態が続けば一線を超えることがないとは断言できない。
 スポック博士をめくっていると、体罰への言及があった。曰く「(体罰は)力のあるものが正しいのだ」「力をもった子どもがいじめっ子になることを奨励する」。みえぞうを即、泣き止ませるような方法は書いてないが、親が一線を踏み超えないためのつっかえ棒の1本くらいにはなってくれているようだ。
 

▼7月某日・ああ、訂正

  記者クラブにデスクが電話をかけてきた。
「朝刊の記事、うちだけ会社の名前違うんだけど」
 山口ののどかな風景は、その瞬間に一転し、私の平身低頭の1日が始まった。
 漢字2字の企業名を、思い込みで別の字をあててしまい、原稿チェックの際も「まさか会社の名前を間違えるまい」と注意を怠ったというお粗末なミスだ。前日ちょっとくたびれていた私が、気を抜いたせいである。まったくやりきれない。
 翌日の紙面に、訂正を出すためデスクは会社に顛末書を書き、私は当の会社にお詫びの連絡。
 悪いことは重なるというのは本当で、夕刻、京都の愚妻の実家から彼女の母親の病状が悪化したと連絡が届く。あたふたと新幹線・小郡駅まで妻子を送り届けた。
 しかし母親はその夜、亡くなった。
 愚妻は間に合わなかった。
 

▼7月某日・「次はおばあちゃん」

  義母の葬儀は夏の盛りの京都でとりおこなわれた。
 「孫の祭り」とは、よく言ったもので、幼児年齢の孫どもがせいぞろいし、はしゃいだり泣き出したりする様は、葬式の湿っぽさの中で救いでもある。まぁ子供という生き物は「希望」という字に手足がはえて走り回っているようなもんだから。年齢順に送ってゆく葬儀では、大いになぐさめになる。煩わしくはあるが。
 小学生にして髪を染めるおませな、妹の長女トモヨは、2月あった祖父(父)の葬儀を経験してみてフォーマルな雰囲気がいたく気にいり、「次はいつ。次はおばあちゃん」と不謹慎なことまで口にする始末。家族内の笑い話であるのだが、我が家の順番でいえば次は母であり、その順が狂う方が不幸なことであるのは確かだ。リアリストである子供の言葉は、こうしてしばしば大人の虚を突いてくる。笑った次の瞬間、「次は母」という我が家族の冷厳な現実を思った。
 結局、都合4日間、京都に滞在した。
 

▼7月某日・関川夏央の明治

  職業柄、新聞はほぼ全紙目を通す。
 楽しみにしているのは毎日新聞金曜夕刊の町田康の人生相談と朝日新聞日曜読書欄の関川夏央の『本読みの虫干し』である。ひとにも薦めるし、単行本になれば是非買い求めたい。
 殊に関川連載には触発され、文庫本になっているエッセイ、コラムなど短文をまとめた著作を古本屋で3冊買い、続けて読んでしまった。コラムの類は小林信彦と昔の中野翠のほかは滅多に読まないので自分的には珍しい。
 もちろん面白くない文章もあるが、何が気に入って読みつづけたかといえば、氏の明治文人話である。
 氏は明治をテーマにした漫画『坊ちゃんの時代』(画・谷口ジロー)の原作を担当し、手塚治漫画賞を受けた実績があるが、はっきりいって漫画より、氏の文章で描写される明治人の方がいいのである。
 だいたい、今年3回目となった手塚賞の選考には少々首をひねる。今年は『MONSTER』が受賞した。巧いし、民族浄化めいた大きなテーマもうかがえるが、ありゃー読者の心を鷲掴みにするような漫画特有のパワーに満ちた作品か? と、この段落は余談。
 とはいえ、私自身は明治という時代が、氏や司馬遼太郎、先ごろ亡くなった江藤淳らが言い募るほどに、いい時代だったか、というと少くなからず疑問を感じている。殊に司馬作品は、『竜馬がゆく』のような良質のビルドゥングスロマンの作風は好ましいが、『坂の上の雲』のような一将功成って万骨枯る的回顧談には少々辟易してしまう。なぜか、おぢさんはこの本が好きですが。
 関川調の明治は、作者が明治人好き、明治好きと言う割に、みんな貧乏だったり、神経症だったり悲惨で共感を覚える。明治、明治と美化ばかりする爺さん文化人たちより、氏は確実に明治人と現代の我々の距離感を縮めてくれている。出世作『ソウルの練習問題』を読んでいない私には、そのことが氏の最大の業績だと思っている。 

▼7月某日・マンガ夜話の正しさ

  私はテレビを見ない。
 どれくらい見ないかというと、社会人になって以降、結婚して同居人が出来るまでの十数年、テレビを持たなかった。朝を起きるとラジオをひねり、夜眠る時もラジオをひねった。
 今も似たようなものだが、唯一欠かさず、知人、親戚にビデオ撮りまで頼んで見ている番組がBSマンガ夜話である。レギュラー出演者の漫画コラムニスト夏目房之介さんの御高説は常々敬意を抱きながら拝聴している。
 漫画評論ともいうべきこのトーク番組が優れている点は、論者が夏目氏やいしかじゅんという漫画作者であることだ。技術論に立脚した論評ゆえ説得力抜群であり、並みの漫画読みでは気付かない鑑賞ポイントを突いてくる。漫画ファンには大いに勉強になるうえ、技術から分析するのが作品への正しいアプローチであると評論の王道を教えてくれる。これに比べりゃ日本の映画評論なんて感想文のレベルである。
 さて、毎回楽しみつつ、勉強しつつ見ているわけだが、先日『エースをねらえ!』の回で、ついに私はこの論評陣に「勝った」と実感する瞬間を味わった。週刊マーガレットに連載当時、私は小学生だったが、妹やその友人ネットワークがあったためリアルタイムで読んでハマっていた。私は当時から、この漫画のおもしろ、凄さが分かった(思えば私のこの女々しい性根は、男の子が『竜馬がゆく』とか吉川英治『宮本武蔵』を読んで「よっしゃー!!」と青雲の志を抱くより早くに少女漫画の洗礼を受けたせいだ)。しかし、夏目氏もいしかわじゅんも当時はまだ少女漫画の、この王道パワーを理解できなかったと番組内で告白していた。
 マンガ夜話は今月末から来月にかけ、新作、再放送合わせて8本がオンエアされる。まぁ、いっぺん見てください。漫画好きなら、オレにもちょっと言わせぇいっ! という風に気分が高揚してくるから。

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