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【小説】私という存在 #3 社会評価の崩壊

社会性と嫌われないために媚びること。。

章大はこのことをこの先、重視するようになる。

小学校5年生・・・やはり藤の花咲く5月だった。

あたりは梅雨時期になりかけ、雨がふりじめじめとした少し早い初夏を思わせるにおいがあたりを漂っていた・・・


章大は、持病の喘息が顔を出し、体調を崩していた。学校にいけないこともないくらいの自分でも理解できない苦しさ・・・

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瑞貴はこう言う。

「体が冷えると発作が出てしまうから、これを履いていきなさい」

タイツ。暖かかったし、いやな思いもしなかった。ちょっと動きにくいなぁって感じるくらい・・・自分を助けてくれて、理解してくれる祖母に感謝こそすれど憎しみの感情など抱くこともなかった・・・この時は・・・


その日・・・二限目は国語の授業で大嫌いな朗読・・・本当に嫌いだった。今思えば、無意味なことをしたくないという思想はこの時に培われたものかもしれない。いやな気分のまま授業を終えると私は言葉を失う。

当時から、その日暮らしや無計画が姉の奈津美から指摘されていた私にとって未来を考えて行動するというのは不可能だったのかもしれない。


体育


皆休み時間の間に着替える。当然女子はクラスの中で、男子はほかの教室で。そしてわたしは社会性という言葉の本当の意味をはき違え始めるのだ。

「このタイツどうしよう」

人とちがうこと=非社会性だと考えていた当時の僕からすれば、体が弱く、人と違う個性があるとは考えることができなかったのだ。 もちろんトイレで着替えることになる。その時、私がトイレで着替えていたことを、同じクラスの狭間が見ていた。

狭間は、今後、東山という同じクラスの男の子と結託し、章大をいじめることになる。

体育がおわったあと・・・私は狭間と東山に呼び出され、力づくでズボンを脱がされたのである。その時、見たこともないものを履いている私をみて大笑いした東山はわたしのことを

「ももしき」

とあざけわらったのだ。こうして私は、今後8年間、多くの人から「ももしき」と呼ばれる人生を送る。便を漏らしてまで守った社会性が、数秒で瓦解したのである。

自らの選択でこうなったことを受け止めきれない私は、怒りのやり場を瑞貴に向けた。なぜ履かせたのだと。

私の誤った社会性と人から嫌われない媚がここまでこじれさせるとはこの時、誰も気づくことはなかっただろう・・・そう、当の本人が全く気付いていないのだ。

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小学校6年のころになると、もはや手を付けることができないくらい落ち着きのない少年となっていた。もともとADHDやアスペルガー症候群の気質があったが、それに拍車をかけていたのが

社会性の回復

だった。仲間外れを極端に嫌い、常に集団の一部にいることを好み、ひとからの評価におびえ、相手が自分のことをどう考えているかをひたすらに考えるようになっていた。

一年前に失った社会性を取り戻すため、人にこびへつらい、人の顔色をうかがい、その人に好かれるためにはどうしたらいいのかを必死で考え、必死で行動した結果、


いつも笑顔

いつも明るく

すべて返事ははい

人のしたがらないことをじぶんはしたいのだという暗示をかける

率先して行動にうつし人柱になる


こんな行動をとるようになっていた。そう・・・自分がそうしたのだ。誰かに言われたわけでもない。自分が選んだ道・・・だが小学校6年生の彼にとって、「信念をもって生きる」ということを学ぶ機会を損失していたことは、不幸だったのかもしれない。

社会性に教師や親は入っていない。とにかく子どもの社会だけなのだ。授業中でも、生徒が望めば率先して変なことをやって見せた。

いうことを聞かない私は当時の担任教師としては悩みの種であったに違いない。廊下に出されたこともあった。教師からの評価が下がったとしても、子どもたちの評価が下がらない限り、私は行動し続けた。自分を犠牲にしてまで、「みんなと同じでありたい・・・」と願ったのだ。


過ちであったとしても、強情で、自分の決めたことには正直に従い、困難があってもずば抜けた行動力で前に進もうとする気質は、きっとこの時養われたのであろう。。

そして小学校を卒業した章大は、人生で二回だけ存在する命の危機を、この中学校で迎えることになる・・・

続く

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