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【小説】私という存在 #2 自分の扱い方
章大は37歳になったいまでも、藤の花咲く、5月6月になると体調を崩す。誰にも理解してもらえない事実である。
「息子さんは小児喘息の可能性があります。」
章大の父・浩二が他界して三か月、この病名宣告は、母・明子には耐えがたいストレスを与えてしまったのかもしれない。そのストレスも、のちの明子の狂気の行動を考えれば、納得できるものだ。そしてここから章大の闘病生活が始まる。
入退院を繰り返し、看護師とも仲良くなり、注射にはめっぽう強い、ませた子どもに育ったようだ。
置海(おきみ)病院の5回502号室は、章大専用部屋となっていたのである。普通なら、走り回り、遊びまわる保育所時代のほとんどを病院で過ごした章大は、「大人に好かれる方法」を学び始めた。
「この人はこういうことをすると喜ぶな」
「この人はこんなことをするとイライラするんだな」
章大なりの処世術だった。楽しみもなく、今のようにスマホやゲームもない。パソコンもなくただ頭上の開いた窓からトンビの鳴き声を聞きながら毎日過ごす中に、見出した楽しみは
「人との会話」
「人に好かれること」
だけだったのだ。
年長にもなると体力がついてきたのか、発作が起こりにくくなった。そして浩二の母であるおばあちゃんに買ってもらった黒いランドセルを背負って、小学校へと進学するのである。
この頃、まだ、自我があった。強い信念があった。他人に対して嫌われないようにこびへつらうようなこともなかった。小学校低学年、唯一の記憶は、集団の喧嘩で、将来章大のことをいじめることになる東山の顔面を殴りつけているということだ。ここから、章大の自己保身のための虚言と媚の人生がスタートする。
このころ、1990年代、そして今でもそうなのかもしれないが、小学校や中学校、高校に通う児童生徒には、「鉄の掟」が存在する。
「トイレで大便をしない」
ということだ。幼児期を大人たちと過ごし、社会性の大切さを学んだ章大には、この鉄の掟を何としても死守しなければならないと思い込んでいた。
そんな時に事件は起こる。
小学校4年生のある日、章大は体調が悪く、腹痛だった。その日はクラブ活動の卓球クラブもあったが、本当なら体調不良で帰りますといえばよかった話だ。
「この人にこういえばその人が喜び、”自分がいい子だと思ってもらえる”」
そう思っていた章大は、クラブの監督の自分に対する評価を上げるためにクラブに出席した。章大の欲しかった評価は
「体調不良なのにクラブに出てきて頑張り屋さんだ」
である。もちろん続くわけもない。吐き気まであってもう限界だった。
そんな時、腹痛がピークを迎え、トイレに駆け込もうとしたがその時!
トイレでたむろしている一学年上の先輩がいる。そう・・・鉄の掟がある。してはいけないのだ。当然家に無断で帰ることになり、体操服のまま、荷物も持たずに帰った。間に合うわけもなく、漏らしてしまうことになった。もちろん祖父の雄成に問い詰められる。
「なぜこんなことになった?」
鉄の掟があることを話しても、厳格な雄成
という。だが、社会性を大事にする考え方を持ってしまった私には自己犠牲を冒してでも社会の中で評価を高く持ち続けることが最重要となっていたのである。
自分を守り、自分の養った社会性第一主義を揺らがせることなく、雄成を納得させる方法をかんがえた章大は・・・
「コーチがトイレにいくなといいました」
と言い放ったのだ。これが、章大が覚えている、人生で初めてついた嘘であり、また自己保身だった。
当然厳格な雄成は大激怒。学校に電話をしてコーチを呼び出す事態となった。当然ついた嘘を嘘だということもできず、言い切るしかないと考え耐え抜いた章大は、ここで
「立場によって、言い切れば誤りも正しくなる」
という禁断の果実を手に入れる。のち27年間、章大はこの考え方に苦しめられることになる。自己保身の結果、すべての歯車が狂い始め、章大はこれからさまざまなことに出くわし、その都度自分で自分の首を絞めることになる。
続く
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