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「まともがゆれる」を読んだ。 私たちは不寛容な社会を構成する加害者であり、被害者だ。

まともがゆれる ――常識をやめる「スウィング」の実験



NPO法人を立ち上げた方による本。
「まとも」「常識」「ふつう」を再考し直す本、あるいは、そのキーワードに抵抗を覚えるあなたのための本だ。

著者が前職の障害者福祉施設で働いていたときのエピソードと、その障害者福祉施設への批判のくだりは、私にとっての見どころだった。
その章で、私も感じていた、社会に対する違和感がうまく言語化されていた。

筆者の前職場の福祉施設の実態はこんな感じ。↓

・「健常者」である職員たちが、利用者から「先生」として扱われる。
・ 利用者の「できないこと」を無理に矯正しようと試み、支配の構造と、職員への服従を強化していく。
・その一方で従業員は経営陣たちには異常なほど服従。
・「強きものに弱く、弱きものに強い」

なんだか教育の現場でもみたことがあるような光景だ。既視感がある。
そして、本文中に記される、筆者の痛快な指摘。

「障害者福祉施設に勤める職員(健常者)って、なんてつまらないんだろう」

この指摘について、詳しく説明しよう。

筆者の前職の福祉施設批評の中で出てきた、「利用者の"できないこと"を無理に矯正しようとする」試み。
それは言い換えると「型にあてはめる」こと。
こういった試みは、いかに不毛で、いかにつまらないことなのか、いかに社会のスタンダードに適応できないさまざまな人を苦しめることか、そういう意図が読み取れる指摘だ。

「できないこと」は本当にダメなのか?

という、この本を通して語られるテーマは、非常に示唆に富んでいる。

たとえば、日本社会においては
「婚活」に失敗すると、それはその人の価値そのものを否定されたに等しい。そう感じてしまう。実際はそうじゃないけど。
「就活」に失敗すると、それもその人の価値そのものを否定されたに等しい。そう感じてしまう。実際はそうじゃないけど。
そして若者は自殺したりする。 そのような構造の中に私たちは居る。

障がい者は、できないことが多い。
いや、
障がい者は(既存の社会に適応)できないことが多い。

誰もが、婚活に失敗したりとか、就活に失敗したりとか、「うまくいかない」出来事を味わうと周囲からの疎外感を味わう。

「自分は劣ってる」と不特定多数からみなされる生きづらさについては、想像力がある人なら、考えることができるはずだ。

障がい者という言葉に付随したマイナスのレッテルを貼られて「みんなと同じように」見てもらえない苦しみや、レールから脱線した人の生きづらさは、ぜんぶ、「社会の不寛容」が必ず関わっている。
だからこそ、

「できないことって、ダメなの?価値がないことなの?」

社会を構成する私たち全員が、今一度考え直したほうがいいのではないか。

特に、「貧困層」「社会の下層」に位置づけられる人たちには、
何かしらの困難を抱える人が多い。
「人よりお金を稼ぐことができない、能力が人より劣っている」というセルフイメージを持つ人は多いだろう。

そこで再度問いかけるが、
「できないこと」はダメなことなのか?

否、できないことはできないことでしかないだろう。
お金がないことは、お金がないことでしかない。
それは決してその人の人間性が否定されるようなことではない。
私たちは今、お金や、人生の個人的な選択によって人間性が否定されがちな、不寛容な社会に生きているのではないか。私は言おう、そんな社会は間違っていると。

できないことを「ダメなこと」と勝手に規定する、そんな社会を運営しているのは、私たちだ。

行き過ぎたメリトクラシー肯定や無意識の偏見、差別の実態に目をそむけていて、その結果、他者の自己肯定感を奪い、奪われているのも、私たちだ。

私たちは不寛容な社会を構成する加害者であり、被害者だ。

(今の社会において)『もう何かを更新しなければいけないことに多くの人が気づいているのに「就職はまだ? 結婚はまだ? お子さんはまだ?」なんて無神経な言葉を飛ばし合い、そんなふうにうまくいってしまった人たちを祝福し、そうできない人のことは見て見ぬふりをしている。
そしてうまくいってしまった人たちですら、いつ自分も脱落してしまうか分からない不安の中で、
「わたしは違う、わたしはだいじょうぶ」という思い込みの階段を、かなりの無理をしながら上り続けているように見える』

まともがゆれる ――常識をやめる「スウィング」の実験 本文 P04引用

上記の記述「わたしはだいじょうぶ」は”思い込み”であると、そう断定できる根拠が沢山、この社会にある。

・エイジズム -年齢に関する不寛容
・ルッキズム -見た目に関する不寛容
・セクシズム -性別に関する不寛容

上記3つの社会の不寛容から、影響を受けない人など、存在しないと思う。
このようなキーワードに対するモヤモヤを感じずにすんでいる人はいるかもしれない。 が、ハッキリ言って、その人は、現状うまいこといっているだけだ。
しかも、私たちは全員、「老い」を避けることはできない。
ということは、全員が「エイジズム」に関しては当事者だ。

さて、社会に対する断罪ばかり書いてしまったが、
幸い、社会からはみ出した障がい者の個性、ユーモア、おもろさを強調するエピソードや、人の心をつかむ強烈な芸術が、この本の中には溢れている。

戦車/Q/2012 本書に挿入されている、NPO法人「スウィング」の方の詩。
詩の自由さに、ただただ、感動する。膝を叩く思いだ。

こうやって挿入される作品も素晴らしく、この本は、単純に読んでいて面白いし、感銘を受ける。 それだけでおすすめの本だし、

それだけでなく「障がい」や、あらゆる不寛容について考えるための、多様な視点を提供してくれる。
特に「まとも」とは何か?と考えたことがある人に、本当におすすめの本だ。

まともがゆれる ――常識をやめる「スウィング」の実験


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