見出し画像

物語ノックアウト

物語を誘発するのはいつだって、「物語」であるものだ。
私は書き殴った文章を見て落胆する。
私の中にあった、”内なる嫉妬”や”秘めたる憎悪”、”伝えきれない愛情”とかいうごちゃまぜな感情は、何1つとして私の役には立たない。正確には、"私の文章には何の変化も生まない。"

1か月もの間noteに手を付けず、仕事を始めてから感じたことのなかった絶対的な”喪失感”に苛まれていた。浪人期にも、不登校時代にも似た、「何をしたらいいかわからない」感覚。

どうしたら振り返ってくれるのか。どうしたら楽しめるのか。方法を見失ってしまったよう。

それはコロナウイルスだって関係はあるだろうし、人間関係にだって私をすり減らしてる。もちろん、仕事もだ。何層にも重なって重なって…。私の核を押しつぶしてくる。これは私の人生だけなのかもしれないけれど…。

どうすれば乗り越えられる?どうしたら笑顔になれる?

私は辛くなりたいわけじゃないのに、自分の行動に自信が持てないから責めて、責めて、責めて責めて責めて責めて!!

そうやって自己否定ばかりしてきた。
本当はそんなこと”これっぽちも思っていない”のに。

心の奥底では「本当はできるんだ」とか「ポテンシャルはあるんだ」とか理想の自分ばかり想像してる。なんてつまらない人間なんだろう。思い返して、さらに私自身が嫌になる。

自己嫌悪が大きくなると、涙腺崩壊をする。
その前に私は、物語を使って上手に涙を流す。
物語は、きっかけに過ぎない。

そのきっかけを作る作者さんを私は心底尊敬している。

私にとって、きっかけは”物語”でなければならない。

何故なら、私は現実で上手くいかないことを知っているから。
今ある現実の情けない私を思い出してしまわないように、創られた世界に入り浸る。その時だけ、私は開放された気分になる。

物語でリセットして、等身大の自分を確認して。
私は生きる活力を見出してきた。

けれどここ最近は、物語の力を借りなくても懸命に生きてこれた。
それは認めてくれる人を見つけたからだし、その存在に気づけたからだった。

でも、そこからが地獄だったのかもしれない。
いつの間にか私は、一度等身大の自分を認めてくれた人を手放してしまう、または見捨てられる恐怖に包まれていた。

初めてこの世界で「失いたくない」と思える存在が生まれたからだった。
今までと違う意味で”苦しい”。

違う苦しさから、久々に物語を読んだ。

苦しさは消えなかったけれど、感情はどんどんと誘発され
、溢れた。

初体験な感覚。
私はいつの間にかここまで来ていた。

地獄のように感じた「失う怖さ」を、初めて尊いものに感じた。
大事な感覚なのだと知った。
これを知らなきゃ、人を好きになれない。私を好きになれないのだと悟った。

きっかけは物語だけど、その物語は"自分自身"になりつつあるのかもしれない。

たまには物語の力を借りながら。
私は今の「恐怖」と生きる。
それ以上に貰える「幸せ」があると信じながら。

願わくば、届いてほしい。でも、届かないで欲しい。
どうか。私の”物語”が良いほうに傾きますように。

そんな想いから、この文章を殴っている。

あなたの生活のプラスになりますように…。