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向き合ってくれてないのは相手ではなくて、自分だったって話

気づいたら、前回の投稿から1ヶ月以上か。早いなあ。

色々気づいたことをまとめておきます。

自己満です。自分が読み返して、あの時の自分は何を考えていたんだろう。と思い出すために。



私は彼に怖くて聞けないことや伝えられないことがいくつかありました。

伝えられなかったことはこのノートでも書いていますが、

家族関係のこと、スキーのこと、コーチングを受けていること。

それはこれを知られたら、嫌われるかもしれない。幻滅されるかもしれない。と思っていたから伝えられませんでした。

でもコーチングを受けるにつれて、当時の状況を被害者目線からではなくフラットな状態で見渡すことができるようになった。父親、母親、姉、妹、、、皆それぞれが生きるのに精一杯だったんだな。アサーティブコミュニケーションのスキルを持っていなかったから上手に気持ちを伝えられなかったんだな。と捉えられるようになり、今まで抱いていた憎悪感は無くなり、最終的には彼に家族関係の話ができるようになった。


一方で怖くて聞けないことは最近までずっと手をつけられていませんでした。

むしろ、怖くて聞けない状態だということにさえ気づいていなかった。

その「怖くて聞けなかったこと」とは

「遠距離で会えないことで彼の心が離れてしまうのではないか。」

ということ。

その恐れ自体に気づいていなかった私が、当時どう感じていたのかというと・・・

「私は結婚を考えて真剣に付き合っているけど、彼は真剣に向き合ってくれているのだろうか・・・?電話も時々すっぽかすし、大事にされてない気がする。ちゃんと向き合ってもらえてない気がする。」

と思っていました。どこかに被害者意識があった。もっと早い段階で彼にそのまま言えば悩まずに済んだかもしれないのに言えませんでした。

どこか埋まらない不安感、なんだか大事にされてないような感覚がいつまでも付き纏う。だから、定期的に「このままで本当にいいの?」と心がザワザワ、気持ちに迷いが生じて気持ちが落ち込みました。

それを認識したり、口に出してしまったら現実になってしまうんじゃないかとすごく怖くて、そんなことはないって絶対に認めたくなくて、その感情や考え自体に蓋をして「見て見ぬフリ」をするようになった。そして気がついたら、その感情は自分の心の奥底に仕舞い込まれてしまって、姿形は見えなくなり、「大事にされてない・向き合ってもらえてない」とだけ思うようになっていました。


その本当の恐れが顔を出してきたタイミングは、前回のnoteを投稿した時。

恋愛は子供の頃の異性親との関係を繰り返す。。。というのを心理学の本で読み、ぼんやり考えていました。

私の気持ちが言えない原点は、、、、
父親との関係にあると確信しました。

スキーで散々傷つけられたこと、罵声や暴力で家にいても安全だなんて思ったことはなかったこと、誰を頼れば良いのか・誰が味方なのか分からなかったこと。

過去にも色々感じていたことを伝えたことはあったけれど、受け取ってもらえず理解してもらえなかった。それは私も父を憎んでいたし、殺したいレベルで恨んでいたので、そういう気持ちを持って当時どう感じていたのか伝えても、売り言葉に買い言葉。相手が受け取りにくい言葉でしか伝えることができていなかったことに気がつきました。

私は父親に本当の気持ちを言えないまま、お互い微妙な距離感で、その話題には触れず上部の笑顔で接して、どんどん歳をとって死んでいくのかな。。。と考えていたら、父親もいつまでも生きているわけではないし、死んだら何も伝えられなかったことや父親が本当はどう思っていたのか知ることができないことの後悔の方が大きいだろうと思いました。
そして、このままだとこれからの恋愛でも「言いたいことが言えない」という同じ問題を永遠に繰り返すと思い、ここでこれは終わりにしようと決心・行動に移しました。 


行動に移して思ったことは、「本当は言いたいことは、いつでも、誰にでも言えるんだ」ということ。
当たり前すぎることなんですけどね。。笑

そして話してみてわかったことは、父親は子どものためを思いやっていたのでこんなに恨まれるなんて想定外だったようでした。そして、父親は良かれと思いやっていたので、※私の正直な気持ちを受け取りたくなかったようです。父親なりの愛情が私には虐待という形で届いていた。

なぜスキーを辞めさせないのかを言葉にして、暴力暴言ではない方法で伝えられていたとしたら。私たちの家族関係は全く違うものになっていたんだろうな、、と思う。でも父親はそういうコミュニケーション方法を知らなかったし、できなかった。だから、ああいう方法でしか表現できなかった。そして結局本当に考えていたことは、子どもに何一つ伝わらなかった。私は自分の行動の真意をちゃんと伝えられる人になりたいなと思うようになった。


父親とのことを解消し、色々腑に落ちたとこであることが気になってきました。

父親の「正直な気持ちを受け取りたくない」ということを無意識的に私も彼にやっているのではないか・・?ということ。

父親が私にしていたように、私も彼の本当の気持ちや意見を聞きたくない・受け入れたくないという気持ちをどこかで持っていて、本当は色々気づいていることはあるはずなのに見て見ぬ振りをしているんじゃないか???

そう思った途端に、遠距離恋愛になり初めの頃に思っていた私の本当の恐れが蘇ってきました。

「遠距離で会えないことで彼の心が離れてしまうのではないか。」

「人は変わるし、人の気持ちも変わるものだ」という変化を一番受け取りたくなかった。これに抗うために無意識抵抗して、執着して、すごく苦しかったんだなと思いました。

向き合ってくれていないのは、彼ではなくて本当は自分だった。

全てを受け入れる覚悟・強さがないから、聞けない、聞きたくない、触れたくないという気持ちがあったことにやっと気がついた。

私がこの20年以上、本当の気持ちを受け取ってもらえないことの苦しみを一番理解しているのに、同じ経験を大切な人にはさせたくないと強く思ったし、自分にとって悲しいことや嫌なことであっても、受け入れる覚悟で話を聞くこと、相手の意思を尊重することも、一つの愛情の形になるんだということに気づきました。(もちろん自分の希望も伝えた上での話)



彼と話して・・・・


彼と電話で、率直にどう思っているのか話すことになりました。

全く会えず、会える目処が立たないこと。
彼は会社から再入国できなくなる恐れがあるのでオーストラリア国外には出るなと言われていること。
疲れすぎていて、電話することが億劫になってしまっていること。
付き合っている実感がなくなってきていること。

全て正直に話してくれました。

1ヶ月ぶりに見る彼の顔は、私が知っている顔とはまるで違くて。
優しかった目も鋭くなり、顔もだいぶ細くなった。 それだけ海外で揉まれ余裕のない生活をしているんだな、、、となんだか悲しくなった。
私の知っている顔ではないし、もう戻れないところまで来てしまったのかな、、と思った。

付き合っていること自体が重荷になっているのではないか。
もっと早いうちに、腹を割って話せていたら
相手にこんな顔をさせずに済んだのではないか。

彼の本音を聞いて、自分の弱さに腹が立った。

ここでは、別れる別れないの話はなく
少しずつ余裕がある時に連絡を取り合おう、、
ということで落ち着きました。


、、、

向き合ってくれてないと思っていたけど、
向き合っているようで向き合っていなかったのは私の方だったんだ、、いつも認めたくない現実や事実から逃げようとしていたのは私だったんだな。とようやく気がついた。

ネガティブな話は避けがちで、
なかなか切り出せなかった。

それが結果として、現実になってしまった。

見たくないものを無視するのは初めは簡単。
でも、日を追うごとにどんどん大きくなり
手がつけられないほどになってしまう。

気になることは気になった時に聞くこと。
後になればなるほど、自分の首を絞めること。
自分の本心が知りたがっていることは、聞きたい人本人に聞くこと。

は〜〜〜
にんげんって難しい🥲
でもこう気づけるきっかけが彼でよかった。


おしまい

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