南米に旅に出るまでの話

はい!おはこんばんにちわ(鳥山明のパクリネタ)
自己紹介した際に少しだけ触れた南米を縦断した時の話をしようと思います。はい。

まず本編に入る前になんでその旅をしようと思ったのかってゆう所から話させてください。笑
(焦らすな〜って思った?焦らすよ!すいません調子乗りました)

まず旅に行ったのは24歳になってすぐ2018年の12月なんですけども、それに至るまでには様々な葛藤がありました。

まず僕は解体の仕事をしていたのですが(今もリフォームの解体を主にしていますが…笑)
その仕事を始めた時から一生やるつもりは無くて何かやりたい事を見つけられたらなあと日々思いながら仕事をしていました。

そんなこんなで気づけば五年程その会社に勤めていたある日。
突然にそれは起こります。

兄貴が飛んだ

しかも妻子を残して

自分の考え方ではそれぞれ家庭には事情があると思っているのでどこの家のが辛いとかそういった話では有りません。

そして兄貴が飛んだと聞いた時は嘘だろ!?
と思いました。

その理由として僕は中学生の頃今の様に穏やかな性格ではなく周りから浮いた存在で友達もいませんでした(今も浮いているのは変わらない気がするけども…笑)

しかしそんな時にいつも兄貴は夜遊び等に僕を連れて行ってくれました。そのおかげでこれと言って寂しい気持ちを持つ事もなく思い切って道を逸れたりする事もなかったし周りの奴らには出来ない事(6個上なので車で遠出等)を経験させてもらって自分的には刺激的で毎日楽しかったのを覚えています。

そして結婚もしていて自分的には尊敬していた兄貴が飛んだと聞いて相当に落ち込みました。
その時に同時に実は自分の家はこんな事もあって…などと色々な自分の家の本当の顔的な部分を聞いた時に本当に落ち込みました。

ふざけんなよ。綺麗事みたいな事ばっかりで実際はクソじゃねえかよ!

と親に対して嫌悪感を抱いた事も少し有ります。(今ではそんな感情は全くありませんし女手一つでここまで育ててくれた母親には大きなリスペクトしか有りません)
それが22歳の時でした。

それから毎日病んで悩んで夜は全然寝れずに朝の4時頃まで寝付けなくて気を失う様な感じで落ちて仕事をして…
心身共に疲れ切っていました…
仕事をしている時が1番気が楽でした。集中する物があればその事を考えなくていいなと思ったからです。

俺が無理してでも結婚相手とか探して結婚した方がいいのかな…とか
マジでなんなんだよあのゴミ野郎マジでぶち殺してやりてえな…など
毎晩こんな感じで考え事ばかりしていて

そんな時にこう思ったのです

(あーそういえばあれやってみたかったな。あそこ行ってみたかったな。あんな事してみたかったな。)

何故かその時の自分は人生諦めモードお先真っ暗状態。みたいなメンタルになっていました。

そして丸一か月程悩んである答えに辿り着いたのです。

俺はやりたいと思った事全部やろう!!何を諦めてんだ!今だけでもこんなに思うことあるなら全部やってから死のう!!

そう思ってからも挫折と苦労の連続でした。まずはダンプ屋さんをしてみたかったので大型の免許を取得するも話と違い過ぎて1カ月で辞めて結局解体屋さんに逆戻り。
元々同じ会社だけど違う班でやっていた人の所に行ったのですがいざ一緒にやってみると口だけだったりetc…

そんなこんなで辞めて違う事やろっかな〜なんて考えていた矢先!

友達がヨーロッパの聖地巡礼?の旅カミーノサンティアゴとゆう事をしてそのまま南米に行くとゆう話を聞き最初はただ『いいな〜😃』
程度の感情だったのですが。

友『お前も来ちゃえよ!』
自『いや〜行けても金銭的に南米行った時に2週間くらい合流するくらいしかできないですよ〜🤮』

なんて会話があってその人が旅している最中ずっとLINEで連絡を取っていて少しずつ

どうせ行くなら仕事も辞めて車も売って背負う物無しで気が済むまで行って帰ってきてからまた0から考え直そう🔥🔥

とゆう考えになりましてそこから約二カ月…
昼は解体夜も解体とゆう地獄のようなダブルワークを続け…🤪🤪🤪←本当にこんな感じになってました

友達の待つスペインに向けて飛び立ちました。

まさにその時の出来事と行動が自分の人生感や考え方を大きく変えてくれる事になります。

その時の空港から日本を出る時のあの感情はおそらく一生味わえない様な気がしています。
今思えば生まれ変わる時の感情だったのだろうなと思います。

それでは次から旅の話を書きたいと思います!!!🌎🌎🌎

何か指摘とかあればコメントお願いします🤟🏽🤟🏽
muccho gracias

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