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不死

ズドラーストヴィチェ、Mark Kovalyovです。

最近読んでいる詩集、アンドレイ・プラトーノフの「不死」がこのブログのタイトルです。1900年代初頭の混乱するロシアの気風に則った、まるで野心的な演説のような作品たちが収められています。

彼はしばしば「ロシア宇宙主義(Космизм)」の作家としてカテゴライズされます。端的に言えば「テクノロジーなどを通して自然の超越(これには人間の死をも超越することが含まれます)をしよう」という思想で、今流行りのトランスヒューマニズムや加速主義などとの共通性もあるような気がしています。

そもそも私がこの詩集を手に取ったのは、医療技術の進歩に伴って人間が本当に不死になるかもしれない、という希望的な恐れによるものです。iPS細胞やナノマシンなどにより、近いうちに「生活習慣病」はもはや恐るるに足らないものになるかもしれない、ということが大真面目に言われて久しいですが、ではこれらが克服された時、人間の健康寿命はどうなるのでしょうか?

それだけにとどまらず、人間の機械化というのは既に進んでいます。心臓ペースメーカーや義足、人工心肺やパワードマシンといったものは、「自然」に完全に支配されていた時代のことを思えば凄まじいものです。

人間は死を恐れます。しかしこれがなぜか、という問いにはさまざまな説があります。「見たことがないものだから」「まだ若いから」「本能的にそうなるようになっている」……。いずれにせよ確かなのは、「なぜ死を恐れているのかハッキリしない」という点です。

しかし死には重大なメリットもまたあります。どれだけ資本を蓄積しようとも、幸福を味わおうとも、死ねば全てが無に帰します。虚しいように思えますが、しかしこれは裏を返せば「どんなに貧しくても不幸でも結末としては同じ」ということでもあります。これは究極の平等です。

ロシア宇宙主義は共産主義との関連が少なくない思想です。一方で彼らの目指した不死というものは、本質的に平等主義とは反するものではないか、とも思えてきます。「人間は愚か」と括ってしまえばそれまでですが、そんなことはわかりきっています。この矛盾を愉しめるような心の余裕を持つことが、ひょっとしたらこれからの時代の処方箋になるのかもしれません。

二重思考で行こう、人類。ハイル・ビッグブラザー。

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