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津軽弁は津軽語だ


ヒッポファミリークラブの第6回「アジア漢字文化共有圏の多言語の音のグラデーションを楽しむ会」(通称:アジ漢グラJOY)で、面白いと思った事の3つ目は、方言は、○○語と同じだ!

この日のケンシさんのお話では、方言はもはや一つの言語だ、というものだった。

標準語に対して方言(○○弁)は、なんだか少し違うもの、標準から外れたもの、のような意識が働いて、方言を話すことが恥ずかしいと思ってしまう。でも、そうではなくて、すべて○○語と思えば、同等で恥ずかしいという気持ちを持たなくなる。上下なんて無くて、みんな同じ人間のことば。

科学的にも、同じ国の中で方言と言われているものと、お隣の国の言語は、似ている程度、違いの程度が変わるだけ。

確かに、多言語に接していると、インドネシア語とマレーシア語とか、本当に方言ぐらいの差しかないのでは?と思うし、ポルトガル語・スペイン語・イタリア語・フランス語と分かれていても、国境の地方などでは、かなり混じっていると、高校留学してきた子どもたちに聞いた事がある。

でも、疑り深い私は、色々ググってみた。

世界中に一体いくつの言語があるのか?

その答えはどうやら定かではないようだ。

一説によると、3000〜8000って、どんだけ幅あるんやねんっていう←

何を基準に一つの言語と考えるか、という事にも定説が無いというか、民族的、政治的、宗教的、その他様々な要因で、同一の言語の中の方言的に考えられていたものが、違う言語とカウントされるようになる事も、よくある話らしい。

外側から考えることばの分類って、あやふやなものなんだね。

ことばの数がカウントできない理由には、戦争や国家政策その他の理由で現在進行形で滅びていることばがたくさんある、ということもあるそうだ。国の境目が変わって、共通語が定められたから、部族語や方言が消えてなくなっていくと考えると、なんだか悲しい。

調べたなかで、わりと誰にでもしっくりくるのでは?と思ったのは、AさんとBさんが話をして、理解できなかったら、違う言語というもの。

それで、今日のタイトル、「津軽弁は津軽語だ」を、思いついた。

30年くらい前、仕事で青森に電話した時、相手は、私に向かっては、ちゃんと分かることばで話してくれたのだが、電話中、青森の社内の人と話すのが聞こえてきて、そのことばは、まるで分からず、外国語?と思った強烈な記憶がある。

それを思うと、名古屋弁を名古屋語と言ってしまうのは、おこがましい?気がするけれど、私自身は、名古屋語と三重語のバイリンガルです 笑



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