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みんなの心の「WWJD」

音声データ

詩編・聖書日課・特祷

2024年5月19日(日)の詩編・聖書日課
 使徒言行録 2章1〜11節
 詩 編 104編30〜35節
 使徒書 コリントの信徒への手紙一 12章4〜13節
 福音書 ヨハネによる福音書20章19〜23節
特祷(聖霊降臨日)
全能の神よ、この日あなたは、約束された聖霊の降臨によって、すべての民族、国民に永遠の命の道を開かれました。どうか福音の宣教によって、この聖霊がますます世界に注がれ、地の果てにまで広がりますように、聖霊の一致のうちに父と一体であり、世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

下記のpdfファイルをダウンロードしていただくと、詩編・特祷・聖書日課の全文をお読みいただけます。なお、このファイルは「日本聖公会京都教区 ほっこり宣教プロジェクト資料編」さんが提供しているものをモデルに自作しています。

はじめに

 どうも皆さん、「いつくしみ!」
 昨日は、明治村・聖ヨハネ教会堂で「愛岐伝道区婦人親睦会」が行われました。ご参加くださいました皆さん、ありがとうございました。たくさんの方々と素晴らしい経験ができて、思い出に残る一日になりました。

 今回、婦人親睦会の聖餐式でお話を担当させていただいたわけですけれども、せっかくの良い機会だからということで、「聖ヨハネ教会堂」の歴史に関していろいろと調べてみたのですね。そうしましたところ、あの聖ヨハネ教会堂(旧「京都聖ヨハネ教会」)は、元々、「五条講義所」という小さい集まりだったのですが、実は、その五条講義所が、京都における最初の聖公会の教会(講義所)だったということを知ることができました。五条講義所は、今の京都聖ヨハネ教会がある鴨川の西ではなく、川を渡って東側にあったのですけれども、その場所から、かつての京都地方部(いまの京都教区)の活動が始まっていったということなのですね。
 今から135年前となる1889年に、米国聖公会のフィリップス・ブルックス監督(「大説教家」とも称される)が、京都を視察しにやってきます。そこで、ブルックス監督は、なにか可能性を感じたのでしょうね。それで彼は、京都における伝道のための資金を献金します。それを受けて、日本聖公会は、京都市の「五条橋東2丁目27番地」というところに借家を借り、「五条講義所」を設立して、そこから京都における聖公会の伝道が始めていったわけです。
 悠久の歴史を持つ古き都・京都……、そこでの伝道というのは、なかなか困難を極めたようでして、教会の数は増えていくものの、教勢は思うようには拡大していかなかったようです。それでも、キリスト教全体で見てみれば、新島襄の組合派、同志社の躍進などがあって、キリスト教はかなり人々の間で信頼を得られるようになったのではないかと思います。そうして今や、日本聖公会・京都教区に関して言えば、2府7県というエリアに42の教会・伝道所をかかえる大きな共同体を構成するに至っているわけですね。
 今日は聖霊降臨日、キリスト教会の始まりの日であるわけですけれども、それに先立って、昨日は多くの方々とご一緒に、京都におけるキリスト教の歴史、特に日本聖公会京都教区の始まりに思いを馳せることができたのは、タイミングとしてすごく良かったなと思っています。ちなみに、昨日のお話の原稿は、いつものとおり、インターネットで公開していますので、気になる方はぜひそちらをお読みください。

WWJD

 さてそれでは、今日の本題に移ってまいりたいと思います。まず皆さん、こちらのフリップをご覧いただけますでしょうか。「WWJD」――。アルファベット4文字で、W・W・J・Dと書かれていますけれども、皆さんこれ、ご存知でしょうか。ある英語の文章を省略したものです。
 これは、What Would Jesus Do?(イエスならどうするだろうか)という文章を省略したものなのですね。20世紀以降、アメリカの福音派を中心に世界中で使われるようになった言葉です。「イエスならどうするだろうか」。イエス・キリストは絶対に間違いを犯さない。100%真実なお方だ。だから、イエス・キリストが選ぶ選択肢を自分たちも選んで、“正しい行動”をしていこうじゃないか!……という啓発をうながすキャッチフレーズなのですね。
 勇気が必要なとき、思わず立ちすくんでしまうようなとき――、たとえば……、偶然通りかかった公園で小さい子どもが一人でエーンエーンと泣いているとします。そんなとき、すぐ直感的に何かしらの行動をとれる人は良いですけれども、なかなか普通の人には難しいシチュエーションだと思います。「どうしよう、心配だなぁ。でも、全然知らない子だし、しばらくしたら親御さんが来てくれるかもしれないし、でも、やっぱり心配だなぁ」と、いろいろな考えが頭の中を駆け巡るだろうと思うのですよね。
 そこで、「What Would Jesus Do?」(イエスならどうするだろうか)、「イエス様なら、こんなときどうするだろうか。……そうだ、イエス様ならきっと、迷わずあの子のもとに行って優しく慰めてあげるに違いない!」 、そんなふうに想像してみることで、“正しい行動”へと、自分で自分を後押ししてあげられる。自分を奮い立たせることができる。そういうキッカケ作りとして、この「WWJD」というキャッチフレーズは使われているわけですね。

「WWJD……うーん、そうだなぁ」

 僕がこの「WWJD」という言葉を知ったのは、多分、高校生の時だったんじゃないかと思います。ミッション系の学校(関西学院高等部)に通っていましたので、おそらく、聖書科の授業か何かで聞いて覚えたのだろうと思うのですが、ある時、何かの拍子に、当時通っていた教会の牧師先生に「WWJD」の話をしてみたのです。どんな会話をしていたのかまでは忘れたのですけれども、「先生ぇ、自分で何かを決めるのって難しいですよねぇ。でも、僕らクリスチャンは、『WWJD』に基づいて考えるべきですよねぇ」みたいな、確か、そういうようなことを僕が言ったと記憶しています。そしたら、その言葉に対して先生が、意外な反応を返してこられたのですね。「うーん、WWJD……ねぇ。まぁ、うん、そうだなぁ。どうだろうねぇ……」というような感じで、言葉を濁されたのです。
 その真意までは聞けなかったのですが(また今度お会いした時に尋ねてみようと思います)、先生がそのような反応をされたことが、当時の僕にとっては、すごく衝撃的だったみたいでして、今でも心に引っかかっているのですね。あの頃の僕は、今と違って、まだ純粋でしたからね(笑)。洗礼を受けて間もない頃でしたから、多分、この「WWJD」(イエスならどうするだろうか)という考え方には、クリスチャンならみんな賛同するものだと思い込んでいたのかもしれません。なので、先生に「WWJD」の話をした時に意外な反応が返ってきて、「……えっ!どうして先生はそんな反応をされるのだろう!?」とビックリしちゃったのだと思います。

あの人ならどうしただろうか

 でも、今この歳になってようやく、当時の先生がああいう“微妙な反応”をされた理由が、なんとなく分かってきたような気がするのですね。先月、僕は35歳になったのですが、たしか、牧師先生とその話をしたとき、僕が高校3年生くらいで、先生がまさに、今の僕と同じ35歳前後だったと思います。なので、その時の先生に、僕はようやく年齢が追いついた形になるわけですけれども、今この歳になって、あの時のことを振り返ってみましたときに、「あぁ、多分こういうことだったのかな?」と想像できるようになったのですね。その先生とは、いずれまた、答え合わせをしてみたいなぁと思うわけですけれども……。
 今、自分よりも若い人たち(それこそ名古屋学院とか柳城の学生たちのように、自分よりもはるかに若い子たち)と関わることが増えるようになってきまして、その子たちと同じ目線でお喋りしたり遊んだりするのと同時に、時には、人生の先輩としてアドバイスをしたり、指導をしたりすることも必要になってくることが多くなってきました。ついこないだも、学生たちの間でトラブルが起こって、それを仲裁しなければならないということがありました。大学生にもなると、子どもレベルのトラブルじゃなくて、もうホンマにややこしい……、“最近大人デビューしました”っていう人たち特有(?)の複雑なトラブルです。そこに上手に介入していかなければならない――。
そんなとき、ふと、かつて自分がお世話になった人の顔とか、学生時代の恩師の顔とかが思い浮かぶようになってきたのですよね。そして、「あぁ、こんなとき、あの先生だったらどんな風に声をかけたりしたかな」と想像するようになってきました。もちろん、そういうことを想像してみたところで、100点満点、これぞ正解!というような答えが得られるわけではありません。その先生のお人柄、キャラクターみたいなものもありますし、伝え方、状況(シチュエーション)などによっても、大きく変わってくるものだと思います。それに何よりも、きっとその先生たちも、毎回完璧に対処してこれたわけではないだろうと思うのですよね。余計なことを言っちゃったり、的はずれなアドバイスをしちゃったりとかして、失敗することも多かったはずなのです。それでも、「あの先生だったら、どうしただろうか」と僕が考えるということは、その方々は、僕にとってかけがえのない“模範”であり“理想”であるのだろうと思います。そして、結局のところ“完璧な答え”というのは分からないのだけれども、それでもとにかく、今度は自分がその子たちにとって“模範”・“理想”になれるように「最善を尽くそう」という気持ちを抱かせてくれるわけです。

WWJDは聖霊降臨から

 今日のお話のキーワードである、この「WWJD」。「イエスならどうするだろうか」という問いに関しても、おそらく、同じような結論にたどり着くのではないかと思います。イエス・キリストは、言うまでもなく、我々クリスチャンにとって最高の模範であるはずですね。そして、イエスと同じように生きるということを僕らは目指しながら、それぞれに信仰生活を過ごしているはずです。
 けれども、「イエスならどうするだろうか」という問いの答えは、実際には、“一人ひとりにとって違う”のではないかと僕は思うのですね。それは、聖書の読み方によっても違ってくるでしょうし、教会生活の中で培ってきたそれぞれの信仰によっても変わってくるものであるはずです。
 それに、そもそもですけれども(これが一番重要だと思うのですが)、イエスという人物を完璧に理解することは不可能。なぜなら、彼は常に、周りの人たちが予想もしなかった言葉を語り、人々の想像をはるかに超える行動をして、周囲を驚かせていたのですよね。「イエスとは一体何者であるのか」という議論は、4つの福音書すべてが扱っているものではありますけれども(マタ16:13、マコ8:27、ルカ7:49、ヨハ8:25)、イエスの周囲の人々は、その問いに対して、誰一人として適切な答えを出すことができなかった……、そのような“捉えたくても捉えられない”存在だったわけです。それにもかかわらず、現代の我々が「WWJD」(イエスならどうするだろうか)と問うてみたところで、残念ながら、一致した答えが見つかるわけがないのですよね。
 もしも、イエスが死からよみがえった後も、天に挙げられず、ずっとこの地上に(今も!)いてくださったとしたら――。答えは一つです。この2024年に現代人として生活しているイエスと同じように生きたら良いのです。服装はどんな格好をしているでしょうね。スマホは持っているでしょうか。車はガソリン車じゃなくて、やっぱり環境に配慮して電気自動車に載っているのでしょうか。あるいは、俗世間から離れて世捨て人として生きているかもしれません。まぁ、想像しだすとキリがありませんけれども……。

画像生成AIで作成した「現代的なイエス・キリスト」

 しかし、実際にはそうではなく、イエスは復活後、40日して天に挙げられていったのだと、聖書には伝えられています。なので、その後の弟子たちは、過去の記憶を頼りに、あるいは人から人へと伝えられ続ける伝承を頼りに、“理想のイエス像”というものを創り上げていくしかなかったわけですね。
 ……でも、それで良かったのだと僕は思います。なぜなら、そのおかげで(「イエスの昇天」という出来事があったおかげで)、これまで、いろんな時代の、いろんな状況の中で、様々な人たちが「WWJD」(イエスならどうするだろうか?)と考え、そして、その時々に応じて“頭の中の理想のイエス”が、それぞれに「良い」と確信する道へと信仰者たちを導いてきてくれた――と言えるのではないかと思うからです。
実はこれこそが、今も続く「聖霊降臨」という出来事なのではないでしょうか。息とか風などというように表現される神の霊が我々の中に与えられ、我々に「WWJD」を考えさせてくれている――。そして、それによって、時に応じて我々信仰者を進むべき道へと後押ししてくれる――。その聖霊による導きが始まったのが、まさに今日の使徒言行録のテクストに描かれている最初の「聖霊降臨日」なのだと言っても、これは決して過言ではないと思うのですね。

おわりに

 イエスは“永遠の存在”として、いまこの時代にも、僕ら一人ひとりの心のなかで「私ならどうするだろうね?」と問いかけ続けてくれています。そして、たくさんの人たちの心に顕れるいろんなイエスが、この世界に張り巡らされている無数の“正しい道”へと、いつも、僕らのことを遣わしてくださろうとしています。そのことを、今日、この「聖霊降臨日」から、あらためて胸に刻んでご一緒に歩んでいければと思います。イエス・キリストの信仰者である僕らが、みんなで、イエスを模範・理想として生きていくことで、この世界はますます、正義と平和で満たされていくはずだと、僕は信じています。

 ……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。

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