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障害がおそろしいものに見えるのは目標から目を離すからだ

「障害がおそろしいものに見えるのは目標から目を離すからだ。」

アメリカ合衆国の実業家 ヘンリー・フォードの名言です。


目の前に、「階段」と「エスカレーター」両方があった場合、どちらを選択するか。

ほとんどの人が、「エスカレーター」を選ぶという実験結果があると耳にしたことがあります。


「階段を上る」ことを「障害」と解釈して良いのかはわかりかねますが、人間、どうしても「楽」な方を選んでしまうものなのでしょう。


「目標から目を離す」または、「目を離すべく目標がない」場合は、例外なく、「エスカレーター」を選択するのだと思います。

「苦」を選んでまで、「階段を上ろう」とは考えないのだと思います。


「階段」か「エスカレーター」かの問題は、大きなものではないと考えます。

それでも、この大きなものではない問題が、色々な意味で大きな違いを生み出すような気がしておりますが。。。


地下鉄を降り、改札を目指す過程で、「階段」と「エスカレーター」どちらを使うかの選択を迫られる。

エスカレーターを選択している人たちが、列を作っている。

逆に、階段は、並ぶことなく上ることができる。

待ってまでエレベーターを使おうとは思わず、階段を選択する。

比較的スムーズに改札まで辿り着くことができる。


この一連の流れを考える際、「目標」の有無が関係しているような気がしている。

「急いでいるから、空いている階段を使おう。」

「カロリー消費を考えたら、階段以外の選択肢はない。」

何か目的があると、「苦」に思える「階段」を「楽」に選択できるような気がする。


エスカレーターを選択する人たちに「目標」はあるのだろうか。

何となく、流れに沿って、流れに身を任せ、「エスカレーター」を選択しているような気がする。

「楽」を選ぶことにより、後から訪れるのが、「障害」ではないだろうか。

関節炎、肥満、色々な「障害」が起こり得る。


「障害」とは、目の前で起こる出来事に対して用いる単語なのだろうか。

エレベーターの話は、あくまでも一例と考えているだけだが、障害とは、後からやってくるもののような気がしている。


「障害」とは、目標を持たないことなのではないだろうか。

仮に、目標を持っていたとしても、その目標は、目を離した瞬間、目標ではなくなる。

目標をしっかりと定めた上で、事に臨むことができる限り、「障害」とは無縁のような気がする。

身の回りで起こる全てのことを、「目標達成のために必要なこと」と捉えることができると考えるが故である。


「障害」とは、「目標がない」ことなのではないかと思わされた。

この名言により、どのような状況であっても、自分の定めた「目標」だけは、忘れないように心掛けなければと思わされた。


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