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『赤シャツ』は観劇の面白さを教えてくれた

舞台『赤シャツ』を観ました。

いつの話やねーんという感じですが9月の話です。流石に年内に書かねばと思い、下書きから引っ張り出してきました。

出演者の松島聡くんがぜひ本を読んでから観てほしいと話していたので、事前に『坊ちゃん』と『赤シャツ』は読みました。本の時点で面白く、「舞台になるとどうなるんだろう?」という興味も抱いて観劇に向かいました。

で、いざ観てみて、とんでもなく作品の理解度が高まりました。理解度といってもあくまで私の解釈ですが……。

本を読んでいて理解できなかった「巨人引力」は、赤シャツを雁字搦めにしている20世紀的な価値観、逃れられない万有引力なのかなあと思いました。

そう理解してこそ、鉄砲玉のように飛び出せる坊ちゃんと、空高く飛んでいくことのできない、投げては落ちてくるボールのような赤シャツの対比が見えてきます。二人の対比は本以上に鮮やかでした。

小説、漫画、ドラマなど、物語を表現する方法はたくさんあります。ただ、目の前に役者がいて、感情を肌で感じられるからこそ受けとれるものはたしかにあります。『赤シャツ』では、そんな舞台でやるからこそ出る奥行きを感じました。

■主演の桐山照史さんがすごい

もちろん他の演者さんも素晴らしかったのですが、本で読んだときと理解度の差が一番大きかったのは赤シャツでした。

文字で読んだときには分かりきらなかった赤シャツの台詞や感情。それらがガンガン伝わってきて、途中から号泣していました

奥行きのある作品だと書きましたが、その奥行きを生み出していたのは主演である桐山くんの力が大きかったと思います。

桐山くんの印象は「飲んだ記憶のないビール缶が家に転がってる話をたまたま聞いたレコメンでしてた」だったので、観劇前は正直赤シャツと全然結び付きませんでした。お芝居を見たのも『ごくせん』くらいです。あのときは不良の役だったので、やはり赤シャツとは結びつきません。

しかしそんな私の気持ちなど吹き飛ばすように、第一声からしっかり赤シャツでした。観劇中に「桐山くん」が全くよぎりませんでした。

何がすごいって、アドリブっぽい部分でも笑いを取る場面でも本当にずっと赤シャツなのです。ウシに甘えるシーンから教頭らしくしているシーン、自暴自棄になるシーンと、作中にはさまざまな姿の赤シャツが出てきます。しかしちゃんと一人の人間として存在していました。これは本当にすごいことです。だからこそ作品に奥行きを感じられたのだと思います。

■本に書かれていない部分の芝居が光っていた

事前に本を読んでいったので「あれ?こんな台詞あったっけ?」と思う箇所もいくつかありました。

覚えているのは赤シャツとその弟・武右衛門の喧嘩のシーンで、武右衛門が叫んだ「なんか言えよ!」。これは本に明確には書かれていない台詞です。

このセリフを聞いたとき「その瞬間の喧嘩として言い返せ」というだけではないと思いました。赤シャツはペラペラと喋るものの、八方美人ゆえに本当に思っていることはなかなか言えないタイプです。それは弟の武右衛門に対しても同じこと。武右衛門から見た赤シャツは、日頃から本音を言ってくれない兄なんじゃないでしょうか。

そう考えたうえで聞く「なんか言えよ!」は重いです。ただ大喧嘩をして「なんか反論しろよ!」というだけではない、積年の思いを感じます。ここでも私は号泣しました。

自分でも深読みだなあと思います。ただ、松島聡くん演じる武右衛門のこのセリフからは、今まで絡まってきたものが爆発したような気迫を感じたもので……。正解は分かりませんが、観客をそこまで引き込んでたくさん考えさせてくれたワンシーンでした。

あと、本では受け取れない「音」もよかったです。たとえば武右衛門の足音はすごくドタドタしていたんですが、武右衛門としてちゃんと生きてるなあと思いました。

■これは喜劇なのか?

公式の案内では「傑作喜劇」とありました。傑作なのに間違いはありませんが、喜劇と言われると私は首を傾げてしまいました。たしかに笑えるシーンはたくさんあったけれど、物語としてあまりにも苦しすぎました。

ただ「喜劇」について調べるとこんな記事が出てきました。

「喜劇」がもつ本来の意味は「=お笑い」というほど短絡なものではないのです。

喜劇王チャールズ・チャップリンは「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」(Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot)という言葉を残しています。チャップリンは数々の喜劇を演じ制作もしましたが、実際、それら作品の登場人物や時代の背景は悲劇的なもので、苛酷な現実を抉り出すとともに、切れ味鋭く社会を風刺しました。

人生の悲劇も喜劇も、それぞれに悲しみと笑いで成り立っているのではなく、ときには同じひとつのものであったりもします。悲劇も喜劇も、表面に現れた涙や笑いだけでは測れない成り行きと事情、そのなかでの人の心の変遷があるのです。

……なるほど、私が短絡的でした。

言葉が足りずにすれ違い続ける『赤シャツ』の登場人物たちは、観客から見るとたしかに滑稽です。しかし彼らは彼らなりの考えがあり、彼らなりに見えてるものがあり、その中で必死に生きています。その行き着く先がなんであれ。

まさに「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」ですね。『赤シャツ』を見なければ喜劇に対する認識も甘っちょろいままだったことでしょう。

■まとめ:やっぱり演劇って面白い

『赤シャツ』はストーリーも芝居も演出も、何もかもよい作品でした。演劇って面白いと、改めてそう思わせてくれました。

演劇は途中で止めることもやり直すこともできません。舞台側はもちろん、観る側も正直大変です。映画やドラマと違って自分で見るものを決められる自由まであるので、頭は物語を咀嚼するためにフル回転です。

ただ、そのフル回転によって作品の世界にどんどん引き込まれるからこそ、ハッと理解が深まる瞬間があるからこそ、観劇は面白いなあと思います。

ただただ笑って面白いってタイプの作品もありますし、それはそれでよさがありますが、個人的には『赤シャツ』のように頭をフル回転させてくれる(フル回転させて見ることもできる)作品が好きです。「あ〜私はこういう作品が好きなんだわ……」と改めて思えました。

コロナ禍で劇場から足が遠のきがちになってしまいましたが、2022年はもうちょっとお芝居を観に行こうと思います。

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