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「変われるか、自分。」

朝井リョウさんのインタビューを読んだ。

人と比べてどう、ではなくて、自分で自分の幸せを決める。その風潮はすごくいいことだけど、人間は、自分の物差しだけで物事を測れるほど強くない。対立しなくていい、比べなくていい、となったときに、逆に順位付けを自分から求める人が生まれる、と感じました。
この世代は、人生に意味や価値を強く求めている感覚があります。私の中にも、生きがいや生産性がなければ、という強迫観念のようなものが根強くあります

だから朝井リョウは好きだ、と思った。ここでの「朝井リョウ」はラジオでラ・ラ・ランドやテラスハウスのプレゼンをする朝井リョウさんというより、彼の考えていることそのものという意味合いだ。もちろんホームステイ先で垂井町立不破中学校の校歌を弾いたり、「書かない作家志望」を仮想敵として踊ったりする朝井さんも好きだけど。

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ありがたいことに今までの人生で苦労したことがない。お金とか、家族とか。これについては本当にありがたいと思っている。つらかったことが何もなかったわけではないが、基本的には自分がやりたいと思って始めたこと(たとえば部活とかゼミとか)の話だ。自分では選択できないことで苦労した経験、つまり理不尽な苦しみを味わったことがほぼない。

理不尽に与えられたつらい経験、もしくは自分がそうしたいと思っているのに理不尽に社会や周りから認めてもらえないという経験。そういうものがまるでなくて、自分の薄っぺらさに絶望することがある。就活をしていると、殊更に強く。
真っ白だなと思う。いい意味ではなく。

別に不幸になりたいわけではない。自分ではどうしようもないことで苦しんでいる友人は周りにたくさんいるし、彼ら彼女らを見ているとそんなことは口が裂けても言えない。
でも、ときどき思う。自分には何も、何かをやる「正当性」がないと。与えられた不条理を乗り越えて、それでも、それゆえに何かをやるという正当性。

朝井リョウ『スペードの3』が突きつけるもの

朝井リョウさんに話を戻す。わたしが大好き、というか読むたびに号泣してしまう作品がある。『スペードの3』(講談社)である。

ざっくりと本作について書くと、有名劇団の元スターであるつかさと、そのファンクラブ「ファミリア」のメンバーを3章構成で描いている。それぞれ少しずつ話がリンクしている仕様だ。


(ここからはネタバレを含みます。)

つかさには、劇団時代の同期に円という娘役がいる。
円は小学生の頃にいじめられていて、別居中の父親とは円の誕生日にだけ会うことができた。舞踊学校を受験する前のインタビューで「いつか舞台に立つ私の姿を見てほしい」と話す円。そんな彼女を、バレエスクールの先生は「悲しみを表現するときの説得力がずば抜けている」と評価した。

二人が舞踊学校の寮にいた頃、円が門限を破ったことがあった。理由は父親に手紙を出すため。円を探しにいったつかさは、郵便局からの帰り道、円の家族の話を聞く。「私ね、お父さんに見てもらうために、舞台に立ちたいの」と話す円は、つかさにこう問いかける。

「つかさは、なんのために舞台に立ちたいの?」

暴力的だと思った。そんなことを聞かないでほしいと思った。もちろんそう聞かれているのはつかさであって、読者のわたしではないのだけれど。それでも耳を覆いたくなるセリフだった。

衝動のように思う。
私にはどうしていじめや病気を乗り越えた過去がないのだろう。
私にはどうして幼いころ離れ離れになった父親がいないのだろう。
私にはどうして説得力を上乗せするだけの物語がないのだろう。
さまざまなものを積み重ねる前にどうして、表舞台に出ることを選んでしまったのだろう。
(朝井リョウ,2017,『スペードの3』講談社: 305.)

つかさの、あまりにもドロドロした内面に見覚えがあって「この人はわたしだ」と思った。


ここからはさらにネタバレになるのだが、つかさは円が「不幸な物語」だけの役者ではないことを分かっている。

円のことをずるいと腐すためには、円は悲しみの演技でしか力を発揮してはいけなかった。……愛や幸せに満ちた表現まで胸に響くならば、それはもう、紛れもなく、円の努力と実力なのだ。……たとえ、自分自身にどんな物語があったとしても、きっと円には勝てなかった。
(朝井リョウ,2017,『スペードの3』講談社: 335.)

なんて鋭利な作品なんだと思った。この作品は「不幸な物語」を背負っていない自分を描写してくれる優しいものではない。大事なのは「不幸な物語」なんかじゃないと、一段階上のものを突き付けてくる。それも「『不幸な物語』を背負っていないつかさ」に共感させたうえで。

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スペードの3は、大富豪で最強のジョーカーに対して力を発揮する最弱のカードらしい。でも自分の手元にあるのは、たぶんジョーカーでもスペードの3でもない。数字でいったら7くらいだろう。

大富豪で7は5番目に弱いカードだが、7はラッキーセブンともいう。フィールドが変われば「7」の意味も変わる。自分のこともそんな風に思える日がくるだろうか。

『スペードの3』の文庫版の帯には「変われるか、自分。」と刻まれている。スペードの3がなくても、変われるだろうか。