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男三人兄弟両親W介護回顧録⑬ ~今日、ママンの余命を兄弟に伝えた~

ママンの余命宣告を医者から聞いた後、ボクはひとり家の中で取り乱した。

泣いて、喚いて、頭を掻きむしり、床を殴り、クッションを壁に投げつけた。

クッションがリビングに置いてある大量の書類や本にぶつかりガラガラと崩れ落ちてしまったが、そんなことはどうでもいい。

あと半年の命…

ママンが死ぬなんて、ボクの人生で一度たりとも考えたことはなかった。

あの感情は”悲しみ”というものだけではなかったと思う。

”悔しさ”

”腹立たしさ”

”困惑”

”落胆”

”不安”

”絶望”…

そのどれもだったが、何よりも医者の余命宣告に対する”拒絶”だ。

ママンが死ぬことを受け入れたくない。

嫌だ。

とにかく嫌だ。

ボクがその感情を処理するには泣き喚いて物に当たり散らすことしかできなかったのだ。

決して平静を取り戻すことなんてできなかったが、しばらく泣いた後、アニに電話して医者から言われたことを伝えた。

そして、オトウトには夜遅くに仕事から戻ってきた後に伝えた。

ふたりとももちろん落胆してはいたが比較的冷静だったように思う。

ボクひとりではママンの余命宣告を受け止めきれなかったと思うが、ふたりがいたことで本当に救われた。

その時、生まれて初めて兄弟の存在をありがたいと思った。

とにかく三人はママンには余命のことは伝えずにできる限り回復できるように支えていこうと話した。

深夜に差しかかるころ、ママンには病状が極めて悪いことを悟られないようにメッセージを送った。

「先生から電話があって、諸々の検査の結果を見て、来週の中ごろに退院日を教えてくれることになったよ。チューブを入れる処置は大変だったね。早く帰ってこられるようにみんなでがんばろう!」

その夜、ボクは一睡もできずにいたが、少しウトウトしかけた早朝4時ごろに返事が送られてきた。

「ありがとー。実に大変でした!また、メールします」

笑顔、ハート、キラキラの絵文字付き。

いつも通りのママンの明るいメッセージに、静けさに包まれた雑然とした家の中で、ボクはまた、ひとり泣かずにはいられなかったのだった…







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