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男三人兄弟両親W介護回顧録⑫ ~今日、ママンの余命宣告を受けた~

ママンが入院して数日が経った3月3日、パパの病院で医者らとの面談があった。

今回は具体的にパパの退院の日取りを決めることになっている。

これまではママンとボクら三兄弟のうちの誰かしらが参加していたが、ママンが入院中なので兄弟三人で参加することにした。

ママンは1週間から10日くらいとはいわれていたものの、いつ退院できるかわからなかったので、できる限りパパの退院は遅らせてもらう方針だった。

しかし、コロナの影響で誰とも会えない、誰ともしゃべれない入院生活に、パパのストレスも限界に達していた。

やっぱり「早く退院させろ」の一点張り。

ボクたちもパパの希望をかなえたいのはやまやまだったが、今帰ってこられても困る。

ママンは入院中。

介護のための片づけや準備は一切進んでいない。

それぞれ仕事もある。

パパもボクたちも双方の立場で今の状況を理解してほしいと必死になって同じことを何回も訴えるだけの話し合いとはいえない話し合い。

その時点では、ママンも退院したらパパの介護に参加してもらえるかもしれないと思っていたので、ママンの退院の日取りが決まってから具体的に退院日を決めることでパパにはなんとか、本当になんとか折れてもらった。

結局は全てが不確定で何も決められず結論を先延ばしせざるを得なかったのだ。


翌日、ボクは誰もいない実家で仕事をした。

ママンのこと、パパのこと、家の片づけのこと、介護のことなど、様々な問題が頭をかき乱し、もはや仕事どころではなかった。

18時30分の終業時間に差し掛かり、終わらない仕事を片付けようと必死になっていたとき、ママンの入院している大学病院から着信があったらしい。

ボクは気づかず、出ることができなかった。

なんともいえない嫌な予感…

かかってきた番号に折り返してもいっこうに繋がらない。

時間外ではあったが、総合受付に電話して入院フロアの看護師につないでもらう。

「こちらからは話せません。担当医師にはお電話があったことを伝えます」

不安が一層募る。

アニやオトウトにも病院か連絡があったのか確認すると、オトウトには着信があったが、やはり出られなかったらしい。

医者からは連絡先をアニに一本化したいと言っていたのにアニに連絡はない。

ますます頭は混乱した。

1時間が経った。

まだ連絡がない。

再度、総合受付に電話をして、入院フロアの看護師につないでもらう。

「担当医師は別の患者さんに電話をしているみたいです。終わり次第、連絡させます」

一体、ママンになにかがあったのか…

容態が急変してしまったのだろうか...

心はずっとざわついていた。

さらに1時間ほどが過ぎ、ようやく電話がかかってきた。

「お母さまへのこれまでの処置と病状をご説明しようとお電話しました」

医者からだった。

「まず初日に腹水を2リットルほど抜きました。そして、やはり胆管が狭くなり胆汁がうまく体外に排出できていないようなので、本日、チューブで胆汁を鼻から体外に出す処置をしました。利尿薬も併用していますが改善の兆しは今のところありません。ガンの可能性も否めず、今後、検査をしていきますが、正直、治すことはむずかしいかもしれません」 

そのような説明だったと思う。

「治すことが難しいって…。治療法はないんですか?」

ボクは聞いた。

「肝移植がありますが、お母さまは年齢的にもむずかしいかと...」

医者は答えた。

「もう、治らないってことなんですか?」

「残念ながら…」

「そ、それって...。それってそう長くは生きられないってことですか?」

「そういうことになるかもしれません…」

「大体、どれくらい…?」

「なんともいえません…」

「どれくらいなんですか?」

「なんともいえません…。なんともいえませんが、およそ半年くらいかと…」

「...…………」

突然のママンの余命宣告に、ボクは目の前が一瞬で真っ暗になり、しばらく言葉を発することができないでいた…



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