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産後パパ育休の記録④ 育児開始とうんこについて思うこと

妻子の入院期間

 さて、子供が妻から出てきて分離され、完全に独立した生命として活動を始めた。産まれた日を含めて5日間、妻と子は入院。コロナの関係もあり、面会時間は1日に30分だけなので、その入院期間中は毎日30分だけ会いに行ったが、面会時間中はいつも子供が寝ていたので結局この5日間は子供の世話はしていない。病院に行って、妻の話を聞き、必要なものを届けていただけで、帰宅後は家の掃除や片付けを多少やった程度。その他は悠々自適に一人暮らし。

 数日後には妻子が帰ってきて、きっと慌ただしい日々になる。今が最後の機会だと言わんばかりにビールとウイスキーを飲んでいた。

 そして妻と子が退院して帰宅した。

ついに育児開始

 38歳での第一子である。世間一般的に言えば遅いほうだ。しかし、この遅さにはメリットもある。出産や育児に関して、ある程度の「耳年増」になっていることだ。こんな辛さがあるよ、とか、こんなことで必ずもめるよ、とか、周りの人間から事前に得られた情報を以って「人のふり見て我がふり直せ」ができるのである。

 妻も34歳と、決して若くして子をなしたわけではないので同じことが言える。周りの人間からいろんな情報を得ている。それゆえに、夫婦で話し合って里帰りをしないことを決めたり、私の育休取得が必要ということに気づけたりしていた。

 育児についても同じで、しっかりと心構えをもって子供を家に迎えた。

 妻はすでに5日間、育児をやってきた。つまり育児に関しては5日間だけ先輩である。「いろいろ、教えてな」と教えを請い、了解を得ていた。

いきなりうんこ

 退院してきた妻と子が家に着くなり、子供が泣いた。オムツを見るとおしっこをしたサイン(最近のオムツはおしっこを感知してオムツの色が一部変わるのでわかりやすい)が出ている。私は恐る恐る、初めてのオムツ替えに挑戦した。

 子供が履いているオムツのテープを外し、中を暴く。そこにあったのはホカホカのおしっこではなく、びちゃびちゃのうんこであった。

 燃えた。これぞ赤子の世話である。一発目の仕事がいきなりうんこだなんて、なかなか幸先がいい。私の周りには「オムツ替えはやるけど、うんこだったら奥さんに任せちゃう」という人もいる。私はそうはなってはいかんと思っていた。うんこも処理できる男と、うんこは処理できない男では、絶対に前者のほうが「いい男」だと思う。

 しかし、なかなか大量らしい。育児5日目の妻にして、初めて見る量だという。しかし、私からすれば比較対象もないので「そういうもの」として処理するしかない。大丈夫?と妻に心配はされたが、何も問題がなかった。

 おしりふきシートで子の尻についた黄色めのうんこをふき取る。なるほど、べっとりとお尻にこびり付いているように見えるが、拭いてみると素直にきれいにふき取れるものである。赤ちゃんの尻がそういうすべすべ質感だからなのか、おしりふきシートがそういう構造なのかはわからないが、そこまで大変な作業でもないぞと思う。

 だが、ここで事件発生である。子供が動くのだ。仰向けにした子供の両足を足首辺りで左手で束ね、それを軽く持ち上げると子供の体がL字に曲がり、おしりが私に向かってOPENになるのだが、子供もその体勢が好きであるわけではなく、もちろんだが動いたりもするのである。そんな動く子供に対して力で対抗することはできない。押さえつけると簡単に骨折や股関節の脱臼など、重傷を負わせてしまうらしい。

 うんこを拭かせてください、と何度も子供にお願いしながら作業を進めるとすぐにうんこが私の手についた。とはいえ、私も38歳である。子供の世話をしていてうんこが手につくことが無いなどという夢は、とうの昔に捨てている。そりゃうんこくらい手につくよね、というくらいのものである。

 手についたうんこを何ごともなかったかのように新しいおしりふきシートでふき取り、子の尻を拭き上げ、尻の谷間もきれいにし、きんたまの裏の鼠径部に取り残されている隠れうんこカスまで除去したところで再び事件発生である。

 追加でうんこが湧きだしてきたのだ。そんなシーンを見たのは初めてで、思わず「うぉ!」と声が出た。パティシエが絞り出したホイップクリームがごとく、うんこが子供の肛門から湧き出てくるのである。思わず指でその噴出孔を押さえて、漏れ出すうんこを止めようと反射的に動きかけたが、私も38歳の育児耳年増である。すぐに冷静さを取り戻し、湧き出すうんこを観察した。

 大人のものよりゆるい。個体とも液体とも呼べないくらいのゆるさ。母乳しか飲んでなければそんなものかと納得。しかし、母乳しか飲んでなくてもこういううんこになるんだなと、少し興味深くもある。

 うんこが出きったころを見計らって再びおしりを拭いて、初めてのオムツ替えは完了した。うんこくらいいくらでも掃除してやる、という覚悟は持っていたが、初めての実戦でもその覚悟が崩れなかったことに安心した。

数日後、初めての便秘を見守る

 快調に一日3回ほどうんこをしていた我が子だが、ペースが乱れたのが産まれて10日目くらいのことだった。うんこ拭きスキルもそれなりに身についてきたころ、肩透かしを食らうかのように息子がうんこをしなくなり、最後のうんこから24時間が過ぎた。

 そしてどうも苦しそうである。本当のところは本人に聞いてみないとわからないが、空腹でもオムツが汚れているわけでもないのに泣いたり、寝付かなかったり。私も妻も、やっぱりお腹が苦しいのかな、と想像しながら心配していた。

 この心配の度合いが予想外というか、子供が便秘であるだけでこんなに心配になるのかというくらい心配になった。子供の便秘については、周りの人間から「そういうことはよくある」という風に聞いていたし、私も妻も「よくあることらしいよ」なんて会話を交わしたりしていたが、本当にハラハラした。

 ネットで新生児のうんこについての記事を読み漁り、排せつを促すマッサージを恐る恐るやってみたり、食事をすればロケット鉛筆的にうんこが押し出されてくるかもと思って授乳してみたり、様々試したが効果は見られなかった。

 様子を見るしかないか、と諦めていた時に、地響きのような轟音を我が子が発した。屁交じりのうんこが放たれた音だった。

 最後のうんこから30時間後のことだった。私は妻とともに子に駆け寄り、よく頑張った、ナイスファイトだったと讃えた。何より私も妻も心から安心した。たかが30時間、うんこが出なかっただけなのに。

 オムツの中には立派な量のうんこが満ちていた。それを私たちは汚物として忌み嫌うのではなく、吉祥として有難がり、丁寧にふき取らせていただいた。

 それ以来、子供のうんこは私と妻の間では有難いものになった。心底心配したあの30時間がそうさせた。

うんこの有難さに思うこと

 この30時間便秘事件を妻とともに体験できたことはよかったと思う。夫婦で同じタイミングにて、子供のうんこに対する認識を統一できたからだ。これも、私が育休を取ったことと、里帰りせずに私の近くで妻が子を産んでくれたおかげだと思う。

 もしかすると妻が里帰り出産していたら、私の知らないところで妻は子の便秘をさっさと経験し、たかが便秘でこんなにも心配な気持ちになるのだと知り、子が健康的にうんこをすることの有難さを嚙み締められるようになり、子のうんこを吉祥として扱える境地に一人で到達していただろう。

 そして妻が私のもとに帰ってきてから、子が便秘になったとしよう。私にとってその便秘は「子のうんこを吉祥として扱える境地」に至るための試練であるはずだが、妻としてはすでにそんな試練は経験済みで、私の横で「よくあることだから大丈夫」などと言って私を安心させてしまうのではないだろうか。

 そうすると私は「子の便秘を心底心配する」というステップを踏まず、妻の経験を頼ることで子の便秘を克服してしまうかもしれない。そうすると、いつまでたっても「子のうんこを吉祥として扱える境地」に私が達することはなく、うんこはうんこであり汚物であるという認識で嫌々うんこ処理をする男になっていたかもしれない。

 あの時、子供の便秘を妻と一緒に二人で心配出来てよかったと思う。育休をとってよかったと、うんこに思う。

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