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69歳、一号橋でカフェを始める

そもそも川や渓谷、海や道の上に橋を創るって、
どことなくロマンチックじゃないですか?

羽田に向かうモノレールが「レインボーブリッジ」に差し掛かると、
ポーカーフェースの内側ではいつだって胸が高まっていたし、
恵比寿から天現寺を抜ける歩道橋からの景色は
私にとっての東京晩年の風景でもありました。

橋って、なぜだかとても
個人的に「エモい」存在だった訳です。

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天草には有名な橋があります。その名も「天草五橋」。

天門橋(1号橋): 宇城市三角〜大矢野島間
連続トラス橋(502m)
大矢野橋(2号橋) : 大矢野島〜永浦島間
ランガートラス・合成桁橋(249.1m)
中の橋(3号橋): 永浦島〜大池島間
スパン中央にヒンジを有するラーメン橋(361m)
前島橋(4号橋): 大池島〜前島間
スパン中央にヒンジを有するラーメン橋(510.2m)
松島橋(5号橋):前島〜合津間
パイプアーチ・合成桁橋(177.7m)

それまではいわゆる「離島」であり、
熊本本土とは、多くの定期連絡船によって繋がれていた往来は、
1966年(昭和41年)の一号橋架橋以降、一気に様変わりします。

架橋当初は有料道路で、
普通車80円、軽自動車70円、徒歩20円という通行料がかかり、
当初償還まで30年かかる計画が、結果9年で無料開放となるほど多くの人と車の往来を呼び、天草のプレゼンスを高めるだけでなく、住人生活、町そのものも大きく変えた、それはそれはエポックメイキングな歴史の現場でもありました。

そんな架橋55年目の一号橋のたもとで、今月から69歳の母がカフェをはじめました。

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中学生の頃の修学旅行でこの橋を渡ったらしい母はその後、縁あってこの地に移り住みそこから35年。

去年までは「私はもう年だから・・・」といいつつ、主婦生活を謳歌していた母でしたが、ひょんなことが積み重なって、カフェをはじめることになった訳です。

カフェの名前は「Café点」といいます。

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コピーライターの友人によるこの「点」という命名には、
天草の「天」の読み「TEN」の語感と、
天草諸島の島々の風景を「点」と見立て、
更には、点と点を繋ぐ、人と人を繋ぐ、その中心となる。
そんな想いを名前に込めてくれています。

※本人の仕事用ホームページが無いので、ミュージシャンとしてのHPを掲載。彼女はこの名前を付けてすぐ日本を離れ、今は上海のスタートアップに参画しています。

ロゴデザインは弘前市に住む活版職人のデザイナーのこれまた友人にお願いしました。

http://sundayseaside.com/

「●」を印象的にあしらったこの波のロゴデザインは、とても親しみやすくチャーミングで、地元の人にも、観光でいらした方にも愛されるお店にしたいなという想いを存分に汲んでくれています。

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お店を始める具体的な経緯については、母からするとびっくりするような「ひょんなこと」が高速で繋がって、まさに点と点と天まで繋がっちゃったような展開だったんだろうと思います。

3月くらいまでは、私が事あるごとに「お店やりなよ」「ここの物件聞いてみなよ」とウザいぐらいに焚きつけるばかりで、母としてもSOMEDAY・・・という気構えでしたから。

ただそれもまた、この地これまで彼女がどう生きてきたかが、そのまま反映されたような顛末とスピード感で一気に進み、あれよあれよと開店の日を迎える事になります。

とにかく母の周りの皆さんがびっくりするくらい好意的で、協力的で、おじいさんからおばあさん、おじさん、おばさん、青年から小学生、地元の人気店まで、今回の出店を応援、協力してくれたんです。

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ちなみに、娘の私からこの一連の取り組みを眺めると、それは「ウェルビーイング」に関する一つの実験でもあります。

親の老後という課題、地域全体の少子高齢化という課題、とにかく年寄りが多い自然豊かなこの地域で、もう少し多様な生き方を軽やかに、そんなに意識高くなく(笑)提示していくことの意味って、結構大きいのではないかと、そんな企みも隠さず本人に伝えています。

人生100年時代と言われ、生涯いかに主体的で、心身ともに健やかに、そして何よりも幸福に人生を歩んでいけるかという事について、69歳の母の人生でさまざまな証明をしていきたいなと、そんな企みの場でもあるんです。


ちなみに、今回の出店に関しても、私はお金とロゴデザインのディレクション、あとはエアレジの設定、paypay導入くらいしか手伝ってません。

店内の改装から業者さんとの折衝、メニュー開発に採用まで、全て自分で何とかしてました。そう、やれば何とかなるし、小さな失敗を繰り返しながら、さまざまにアップデートしていけば良いという事を、早速体現していました。

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「何歳になっても、スタートできる」という言葉だけでなく、今回行動で示してくれているロックな母に、心からの敬意と共に、これからの彼女自身の人生が更に豊かなものになることを願う日々です。

そして彼女のように自分の夢や、ありたい自分の人生を、自分の意志と判断と、そしてこれまで培った本当の意味での人間関係を活かして、そのありがたみを心の糧にしながら生きていくという事は、それこそ幸せな人生そのものであり、ひとつのウェルビーイングの形の一つなんじゃないかなと、すでに大きな示唆をいただいています。

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という事で、色んなことが落ち着いたら(コロナとか)皆さんぜひ天草の橋を渡りに、そしてこの絶景をのんびり眺めにいらしてくださいね。

このお店の0番テーブルは、私の事務所も兼ねますので。



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