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一発書きチャレンジ_10 「自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ。」

茨木のり子さんのとても有名な詩がある。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子 詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収

この詩に出会うまでは、そもそも私は「詩」というものを信用していなかった。

ポエティックな情緒は、似合わない服を着せられているような違和感があったし、そもそも多くの場合、詩を取り巻く空気はどこか陶酔をはらんでいて、居心地が悪かった。(その後素晴らしい詩に出会い、むしろ詩こそアートだと思うようになったのだが)

そんな時、偶然書店で出会ったのが、冒頭の詩である。

言葉が放つ、まっすぐなストローク。そして最期は「ばかものよ」と結ぶ。

自らを奮い立たせるためなのか、清々しいほど自責の詩にも見える。
この詩が発表されたのは1977年だが、茨木はこのように言っている。

それに、一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしい んじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじ ゃないかという疑問は子供心にあったんです。

 ただ、それを押し込めてたわけですよね。こんなこと考えるのは非国民だからって 。そうして戦争が終わって初めて、あのときの疑問は正しかったんだなってわかったわけなんです。 だから、今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうし たときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、 人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをする っていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」 なんですけどね。一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。

茨木のり子さん談 より抜粋

ばかものよ、と叱咤されているようで、大いに励まされていた。
もっと自分の感受性を信じないで、どうすると、だれよりも自分を肯定してくれた。

社会に出て、いや、社会に出る前だって、沢山の疑問にまみれて生きていた私に、力を授けてくれたのは、間違いなくこの詩であり、その存在に何度も何度も背中を押された。

東京時代のテーブルにはいつもざくっと花があった。

茨木さんは、夫を亡くしてから約30年一人で暮らした。

そして2006年に自宅で一人急逝。訪ねてきた親戚に発見されるのだが、しっかりと遺書と友人たちへの手紙が残されていたそうだ。

「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます」

私のように独り身の人も、子供がいない夫婦も、子供がいたって、自分の人生がどんな最期迎えるのかを、普段考えることは少ないし、考えようとしてもどこか靄がかかっていて、ただ漠然とした不安が覆い尽くしている気がしている。

茨木さんの人生の仕舞い方は、そういう私達にとってお手本のような態度で、大したことなのに、大したことでは無いような気がするから不思議だ。

生活と死を分断せず、ひと続きと捉えた生を全うすると、見送る人々をこんなにも勇気づけ、雲間から差し込む陽光のような、一筋の希望にさえなりえるのだと、その人生から教わった。

※「一発書きチャレンジ」は、
私個人の文章を書くリハビリで、何の準備も、構想も、下書きも無く
文字通り「一発書き」で書きなぐったテキストです。


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