一発書きチャレンジ_10 「自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ。」
茨木のり子さんのとても有名な詩がある。
この詩に出会うまでは、そもそも私は「詩」というものを信用していなかった。
ポエティックな情緒は、似合わない服を着せられているような違和感があったし、そもそも多くの場合、詩を取り巻く空気はどこか陶酔をはらんでいて、居心地が悪かった。(その後素晴らしい詩に出会い、むしろ詩こそアートだと思うようになったのだが)
そんな時、偶然書店で出会ったのが、冒頭の詩である。
言葉が放つ、まっすぐなストローク。そして最期は「ばかものよ」と結ぶ。
自らを奮い立たせるためなのか、清々しいほど自責の詩にも見える。
この詩が発表されたのは1977年だが、茨木はこのように言っている。
ばかものよ、と叱咤されているようで、大いに励まされていた。
もっと自分の感受性を信じないで、どうすると、だれよりも自分を肯定してくれた。
社会に出て、いや、社会に出る前だって、沢山の疑問にまみれて生きていた私に、力を授けてくれたのは、間違いなくこの詩であり、その存在に何度も何度も背中を押された。
茨木さんは、夫を亡くしてから約30年一人で暮らした。
そして2006年に自宅で一人急逝。訪ねてきた親戚に発見されるのだが、しっかりと遺書と友人たちへの手紙が残されていたそうだ。
私のように独り身の人も、子供がいない夫婦も、子供がいたって、自分の人生がどんな最期迎えるのかを、普段考えることは少ないし、考えようとしてもどこか靄がかかっていて、ただ漠然とした不安が覆い尽くしている気がしている。
茨木さんの人生の仕舞い方は、そういう私達にとってお手本のような態度で、大したことなのに、大したことでは無いような気がするから不思議だ。
生活と死を分断せず、ひと続きと捉えた生を全うすると、見送る人々をこんなにも勇気づけ、雲間から差し込む陽光のような、一筋の希望にさえなりえるのだと、その人生から教わった。
※「一発書きチャレンジ」は、
私個人の文章を書くリハビリで、何の準備も、構想も、下書きも無く
文字通り「一発書き」で書きなぐったテキストです。
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