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スペイン旅の記 2017年5月〜6月 ①

5月は岩手が一年でもっとも美しい月ではないかと思う。長い冬が終わりを告げ、陽の光がまぶしく輝き、草木がいっせいに芽吹き萌え出す。雪どけで沢の水音も大きくなる。繁殖のために南から渡ってきた鳥たちがさえずり始める。

そんな季節に岩手を後にして、2017年5月、私はスペインを訪れていた。毎年この季節にスペインはアンダルシア地方の一隅、アルメリア州の田舎町で開かれる絵画の講習会に参加するためである。講習会の指導者はアントニオ・ロペス・ガルシア氏。日本でも知られたリアリズム絵画の巨匠である。私は2017年の5月に初めて氏の講習会に参加し、その後2019年までに計3回参加した。
そして2020年に世界はコロナ禍に突入し、ロペス氏の講習会も2019年を最後に開かれていない。いつかまたスペインを訪れる日が来るように願いながら、ここに旅の思い出を綴っておこうと思う。

2017年5月18日 出発の日
私はその日一日中、岩手県内でアルバイトをした後、自宅には戻らず知人の家に車を置かせてもらい、盛岡駅から新幹線に乗り東京へ向かった。飛行機が羽田発でなかったらこんな芸当はできなかった。盛岡から東京まで新幹線で2時間半、飛行機が成田発だとさらに2時間の移動に出発前の2時間で計6時間以上の移動を見込まなければならない。絵の道具一式が入った大型バックパックを背負い、ノートパソコンやカメラなどが入った日常使いのバックパックを前に抱え、さらに何だかが入ったトートバッグを肩にかけて長い移動が始まった。

5月19日
未明に羽田を発つドバイ乗り継ぎのエミレーツ航空で地球を半周、マドリードを目指す。初めてヨーロッパを旅した20年前は航空券は旅行会社へ出かけて手配し、『地球の歩き方』を片手に旅に出たが、今は航空券から宿から列車からすべてスマホ一つで済んでしまう。航空会社を中東系にしたのは、料金の安さだけではなく、当時各地で ISによるテロが起きていて中東系なら狙われにくいのではないかと考えたのを覚えている。ドバイでは乗り継ぎ時間が7時間余り。日帰りで砂漠に行くツアーがあるということも調べていたが、中途半端な時間だったのでひたすら空港のベンチに留まりスペイン語のテキストを眺めたりして過ごした。

ドバイからマドリード・バラハス空港へ。到着は夜になり、マドリード市内のMad hostelというホステルに投宿。そこから歩いて数分のSala García Lorcaというホールで、22時半からアントニオ・レジェスという歌い手のカンテ・フラメンコ(フラメンコの歌)を聴く。スペインではこの手のコンサートの多くが夜遅く始まる。長旅の後ではあったが、当時ハマっていた本場のカンテを聴ける機会は私の生活に全くなかったので予約しておいた。歌自体は声が高く細く、あまり好みではなかった。
帰り道に夜遅くまでやっている食料品店(だいたいアラブ系かギリシア系?のような人がやっている)でパンとハムか何か買いホステルに戻りラウンジで遅い夕飯。シャワーそして就寝。ドミトリー形式の安宿は若者が多く、シャワー室は散らかり夜も騒がしい。

Sala García Lorcaの壁。Manolo Caracol やManuel Torres の写真が。


5月20日
朝早くに同室の客を起こさないよう静かにロッカーから荷物を取り出し、ホステルの受付の兄ちゃんに別れを告げ、徒歩でアトーチャ駅へ向かう。アトーチャからアルメリア行きの長距離列車がある。アルメリアに午後に着いて泊まる。翌日、アルメリアからさらにバスで講習会の開かれるオルラ・デル・リオという町の隣町マカエルへ移動する。オルラ・デル・リオには宿が取れず、もっとも近いマカエルに泊まることになったのだ。マカエルから講習会に通うのに、宿で自転車が借りられないだろうかなどと考えていた。グーグル航空写真でみたところ一帯はアンダルシアの砂漠のような土地だったが道路は舗装されていた。

さて、7時半頃アトーチャに着いたが列車が出るまでにはまだ時間があった。駅構内のカフェテリアでサンドイッチの朝食をとることにした。スペインではサンドイッチはボカディージョといって、フランスパンのような長細いパンにはさまっている。オープンカフェの片隅の壁際にでかいバックパックを下ろし、カウンターでサラダと卵焼きのはさまったボカディージョ、生搾りオレンジジュースを頼む。少し高いが他にないので仕方ない。駅構内と出口の境にあるオープンカフェの、壁に向かった席に戻り背負っていたサブザックを大ザックの上に置いて、いざサラダのフタを開けようとしたところで、左隣から声をかけられた。振り向くと頭にテンガロンハットみたいな帽子をかぶった、エアロスミスのスティーブン・タイラーに似た色の浅黒い中年女が何か言っている。どうやらそこにあった椅子を使ってもいいかと聞いている。いいよ、と答えながら「おれは見ての通り一人なのに何でそんなこと聞くんだろう?」と思った。そしてあらためて朝食セットに向き直り、ごはんを食べようとして、

わ た し は お お き な に も つ の う え に お い た 
わ た し の ち い さ な に も つ が き え て い る こ と に き が つ い た ・ ・ ・

5年たった今でも、この瞬間のことを思い出すと時間が止まったような、全てがスローモーションのような感覚をまざまざと思い出す。文字通り、頭の中が真っ白になった。

・ ・ ・ ? ・ ・ ・ ? ? ? ・ ・ ・  

こんな感じ。そして ゆ っ く り と、いや大急ぎで? あ た り を 見 回 す 。
わたしのにもつをもったものはだれもいない。そして、さっきわたしにいすをつかわせてほしいといったあのおんなのすがたもどこにもない。ほかのきゃくは、なにごともなかったかのようにこーひーをのんだりものをたべたりしている。てんいんは、かうんたーのなかではたらいている。
にもつ、ない、おんな、いない、ちかくにも、とおくにも。
ああ。

そこで私のとった行動は、おかしなことだが、叫んで人の助けを借りることでも、とりあえず消え失せた荷物を探しに走り出す(どっちへ?)でもなく、あらためてカフェの椅子に座り、何ごともなかったかのように朝飯を食べることだった。そんな場合か。しかしまったくおかしなことだが、そういうことなのだ。
味はまったく覚えていない。

朝食。この写真を撮るところも、奴らに見られていたのか。


(つづく)



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