馬鹿な自分

何回も何回も同じ勉強をしているから、分かったような分からないような。
参考書のページを捲ると、はいはいこれね、みたいに脳が勝手に判別して記憶定着を邪魔してくる。
問題を解く度に、記憶の奥底を引っ掻きまわしているけれど、無駄なことばかり覚えていてげんなりしてしまう。
勉強はこの年になってやっと好きになったけれど、仕方をきちんと学ばないまま大人になったもんだから、好きなのに上手くいかないもどかしさに少し怒りさえ湧く。

要するに、
馬鹿だな、自分。ということだ。

最近改めて自分の人生のこれまでと、これからを考える機会があった。
それはそれはイライラしたり、浮わついたり、落ち込んだり、感情の海がおしよせては引いていくような感じだった。

多分、昔の私だったらその事から距離を置いて行ってしまったはず。
面倒くさいし、自分の浮き沈みの対処に追われるのが酷く疲れるから。

でも今回の私はそこから逃げなかった。
むしろ飛び込むことを選んだ。

だから今色々めんどくさい。
でも、前と違うのは、全部を受け入れていること。
決めたのも自分。
そうしたいのも自分。

それが軸にあると、不思議といつの間にか感情の風船にまち針を刺したみたいに徐々にしぼんで、おいしいものなんかを食べるとすっかり忘れてしまう。
以前は感情の風船をよく叩き割っていたというのに。

私にとって年齢を重ねるのは、法令線が濃くなったりと嫌な反面、自分の心が楽になっていくことなのかなと近頃感じている。

馬鹿だけど、馬鹿で良かったかも。

そんなことを思いながら、大好きな甘いカフェオレを飲んで、頭に入らない参考書を今日も開いていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?