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Fate/ stay night 劇場版Heaven's Feel第3章シーン別解説と感想

劇場版HF第3章のネタバレ有感想です

※2020年9月26日 追記・修正致しました

・はじめに

 劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅲ.spring songが公開されてから早一か月。私は公開後すぐに劇場へ足を運んだのですがいやぁもう大大大ショック。Fateってこんなに面白かったんだと感銘を受け、これまではTVアニメ版Fate/Zeroから見始めてアニメくらいしか追ってこなかったライト層でしたが「もっとFateの世界に浸りたい」という激情に駆られ、この一か月をほぼFateに費やしました。原作ゲーム「Fate/stay night」のスマホアプリ版を約2週間で全ルート全EDクリア(滅茶苦茶面白かった。PC版とホロウもいずれやる予定!)、TVアニメシリーズのうちDEEN版・zero・UBWを全て見て、劇場版HFも一章から改めて見直し、SN15周年記念のTYPE-MOON展を見に六本木にも行きました。寝ても覚めても頭の先からつま先までFate尽くし。まぁ夏休みだし別にいいよネ! ってことで前置きはこの辺にしてHF第三章の感想を原作との違いとかも交えつつ、シーンごとに分けて述べていきます。まだ4回しか見ていないので多少漏れがあるのと、もしかしたら説明が誤っている事があるかもしれませんが大目に見ていただけると幸いです。映画やゲームの他ルートについてもガッツリネタバレするので注意!あと無駄に長いので注意!!

■冒頭・間桐邸~イリヤとの別れ

 第2章のラストで妹に殺されてしまったワカメこと間桐慎二。あれだけ狼藉を働いておきながら安らかな顔で逝っています。まぁ慎二は性格の曲がったクズ野郎ではありますが、聖杯戦争に巻き込まれてしまった哀れな小物でもあります。後のシーンで桜が「可哀そうな兄さん」と言っていますが、確かに慎二は自分こそが間桐家の長男であり正統な後継者であると信じプライドを持っていましたが、正統後継は桜であり慎二は初めから除け者だった訳です。臓硯からも保険呼ばわりされ、「初めて役に立った」と言われる始末。そう考えると根っからの悪人という訳でないので、せめて死に顔くらいは安らかにというスタッフの配慮でしょうかね。ちなみに4DXで鑑賞した時、このシーンの蟲のザワザワ感が表現されてて物凄く気持ち悪かったです(笑)。
 場面が変わって衛宮邸。凛とイリヤで宝石剣投影の準備をしています。ここでイリヤの「お姉ちゃんってどんな感じ?」という凛への問いかけ、原作には無いセリフです。凛が桜の姉であることは前章で判明しましたが、実はイリヤが士郎の姉であることの伏線になっています。このへんはzero見てればわかるかな?それにしてもこのシーンの寝転ぶイリヤ可愛すぎませんかね。個人的にHF映画はイリヤの可愛さも見どころの一つだと思ってます。まぁHFには幻のイリヤルートが統合されているというのは有名な話ですが。イリヤの問いかけに対し凛はちょっと手を止めますが無言。実の妹でありながら遠坂の魔術師として倒すべき敵でもあるので心中複雑なのでしょう…。
 そこに黒桜が襲来。今までとは比べ物にならないパワーで凛を圧倒します。この辺のシーンは桜が今まで劣等感や嫉妬の対象であって凛に対し優位に立っているためとても嬉しそうです。姉さん大ピンチなところにライダーと士郎くん到着。凛に駆け寄る士郎を見つめる桜の表情がどんどん暗くなっていくの、マジで怖すぎ。ライダーが桜を説得しようと試みますがセイバーオルタに背中と手を刺されます。痛そう。基本的に無表情のライダーですがこのシーンでは珍しく柔らかな表情をしています。このへんからも桜に対する親愛が伺えますね。士郎達を守るために桜についていくイリヤ、この時の哀し気なイリヤの表情がもうね…。そりゃ士郎も命がけで助けたくなります。普段はバーサーカーに突っ込んでいく命知らずの士郎くんですが、黒桜には流石に足をガクガクを震わせてしまいます。桜がいかにヤバイ怪物になってしまったかが伝わってきます。

■言峰教会~言峰・アサシン戦

 場面は変わって言峰のいる教会。例の如く士郎と凛の治療をしてくれます。HFでの言峰の万能お助けキャラ感はすごい(笑)。凛は遠坂の魔術刻印のおかげで遠坂邸にいると自然治癒が働きます。しかし埋めたって本当に地面に埋めたんじゃないだろうな、首だけ出して(笑)。まぁ言峰ならやりかねませんが。ここで言峰から共闘の提案。ゲームだと選択肢が出る部分ですが映画だと割とあっさり承諾。士郎が言峰に理解を示し始めたファーストステップなのかもしれません。ここで臓硯の目的についてさらっと説明がありますがちょっと補足。臓硯は精神が崩壊して空っぽになった桜の肉体に乗り移り、桜と契約関係にあるアンリマユを支配することが目的です。そのため門である大聖杯の「鍵」としての役割はもう一つの小聖杯であるイリヤスフィールで行う必要があるのでイリヤを攫ったんですね。対して言峰の目的はアンリマユをこの世に誕生させ、アンリマユ自身の意思によって活動させる事。臓硯の手に渡る事は言峰としても看過できない訳です。
 そして士郎に黒鍵の入ったアタッシュケースを持たせ車庫に移動。つーか自分の武器くらい自分で持て(笑)。ゲームだと言峰がドライバー付きの車を手配しますが(多分協会側の人?)映画だと自分で運転します。ちなみに車庫にバイクがありますが、初期構想では言峰がバイクに乗るシーンもあったそうです。士郎と言峰のドライブデート(違)では切嗣について語られます。言峰は切嗣を同類だと思っていましたが、初めから何も持たなかった言峰と大切なものを持ち続けた切嗣とでは生き方が全然違かったんですね。
 ようやくアインツベルン城に到着。何とか3階までほぼ平面の壁を登る言峰と士郎、お前らすげえな。場面変わって城内。切嗣の帰りを待っていたかつての自分を幻視するイリヤの下に窓をぶち破って士郎参上。結局イリヤを連れ出すことが出来なかった切嗣との対比になってますね。聖杯としての役割を果たそうとするイリヤに「馬鹿イリヤ!他人の為に自分を犠牲にするな!」と言う士郎。イリヤにも言われていますが、完全に自分のことを棚に上げています(笑)。しかし以前のような見知らぬ誰かではなく桜の為だけに戦うと決意した士郎が言うと少し説得力がありますね。この辺のちょっと照れてるイリヤが猛烈に可愛い。あと言峰に抱えられてじたばたするイリヤも可愛い。
 無事にイリヤを救出し、3階から飛び降りるふたり。森での逃走シーンでイリヤを抱えながら時速50㎞近い速さで走る超人の言峰ならいざ知らず、さすがに士郎には飛び降りはきつい。まぁ3階からの飛び降りとか普通に考えて人間やめてますが、この時の士郎はアーチャーの腕のおかげで身体能力が向上してるらしいのでなんとか大丈夫。アーチャーの腕すげぇ。黒化したバーサーカーからの逃走中、アサシンの追撃を受ける二人。何気に貴重なイリヤの戦闘シーンもあります。Fateのヒロインは守られるだけじゃなく戦えるのが良い!
 イリヤを士郎に託しアサシンとタイマンで戦う言峰。このシーンの言峰がものすごくかっこいい。聖杯の泥で汚染され偽りの心臓しか持たない言峰はわざとアサシンの宝具を受けます。笑顔(?)で無い心臓をニギニギするアサシンの不意をつき八極拳をぶち当てる言峰。強い。屋上で臓硯を捕まえ洗礼詠唱でフィニッシュです。十字架を中心に光が立ち昇る演出がとても良かったです。またこの辺で言峰の奥さん・クラウディアの回想が入ります。クラウディアさんは言峰の目の前で自害してしまいますが、「どうせなら自分で殺したかった」と独白する言峰。ゲームでは、これが快楽を求めてか愛したからこその悲哀であるか、という考えに蓋をしたとありますが、士郎と別れる前の「目の前で女が死ぬのは中々に応えるぞ」という台詞からすると後者かなーと個人的には思います。

■バーサーカー戦~桜と言峰

 場面は変わり士郎とイリヤ。黒化したバーサーカーは目が見えていませんが、イリヤだけは判別できるらしく士郎達を追い詰めます。兄貴だから妹を守る(本当は逆だけど)と言い左腕の聖骸布に手を掛ける士郎。ちなみに映画だとカットされていますが言峰曰く左腕の使用は「時限爆弾のスイッチを入れる」ことに等しく使ったら最後、死あるのみというとんでもない代物。それでも「必要だから俺に託したんだ」と封印を解く士郎。ここでアニメ版UBW一期ED「Believe」のアレンジが流れるのが激アツ。反動に耐え切れず意識がぶっ飛ぶ士郎ですが、アーチャーの背中を見つけて全力疾走。「ついて来れるか?」「ついて来れるか…じゃねえ、てめぇの方こそついて来やがれ!」のシーンでは思わず涙。神BGMのEMIYAアレンジや風の吹き荒れる荒野が一気に青空に変わるシーンも胸熱ですが、個人的にはアーチャーの微笑みがぐっときました。アーチャーはかつての士郎の理想、切嗣から引き継いだ正義の味方の理想の体現者でした。しかし士郎はその理想を捨てて「自分の大事な人を守る」道を選んだ。この、切嗣とアーチャーが成し得なかった理想に突き進んだことで、士郎がアーチャーを超えた訳です。この笑顔にはそんなアーチャーの「よくやった」的な意味が含まれているのかなぁと思いました。
 何とか意識を取り戻しバーサーカーと対峙する士郎。アーチャーの腕は状況に最も適した武器を投影できる優れモノなので、バーサーカーの持つ斧剣を投影します。ここで漫画版zero作者の真じろう氏デザインによる十二の試練のカットが入ります。バーサーカー・ヘラクレスは生前ヘラに狂わされて我が子を殺めてしまい、その贖罪として十二の試練に挑みこれを乗り越えました。狂化されてもなおイリヤを守る姿勢はこのエピソードに基づいています。アーチャーの投影(正確には「無限の剣製」)は「使い手の経験・記憶」ごと解析・複製している為、士郎がナインライブスブレイドワークスを発動する為には十二の試練を十二個目から遡り、更には原因となった我が子殺しの記憶まで解析する必要がある…と確か舞台挨拶か何かで須藤監督が仰っていた気がします、ソースが曖昧ですみません!その影響か発動時に士郎は血の涙を流します。ちなみに一瞬士郎の顔がバーサーカーになるらしいのですが早すぎて視認できませんでした(笑)。BDが出たらコマ送りで確認します。
 あれだけ苦しめられたバーサーカーを一瞬で切り裂く士郎。まぁこの時のバーサーカーは前章でセイバーオルタに敗れた時のままなのでボロボロです。消えゆく最後、かつての主であり「守るべきもの」であったイリヤを見つけ、一瞬正気を取り戻します。そして「お前が守れ」と士郎に言い遺し消滅。ヘラクレスさんマジかっけぇ。また原作CGを再現した士郎の後ろ姿が滅茶苦茶かっこいい。映画だと大丈夫そうに見えますがこの時の士郎は反動で記憶がぶっ飛んだりやばい事になってます。
 場面は変わり桜と言峰。桜は余裕そうに振舞っていますが「力に溺れるお前も間桐桜だろ」と言峰に指摘され、ぶちギレて言峰の偽りの心臓を潰しちゃいます。個人的には、黒桜は強大な力を手にしたことでこれまで抑圧されてきた感情に歯止めが利かなくなっており、「自分は何でもできる」というある種幼児的万能感に近い状態になっていると考えています。我慢強く内罰的な桜と幼児的万能感に支配された黒桜という二つの側面が不安定にせめぎあっているのが見ていて何とも痛々しいです。ちなみに映画ではカットされていますが桜がバーサーカーを取り込んでいる隙に言峰は逃げます。ほんま生命力すごいなこの神父。

(追記:7週目来場者特典の桜パンフレットで「桜は幼いまま成長した」「桜の使役する影のうち小さな個体は『幼い心』を表現している」というコメントがありました。やはり「幼児性」は桜のパーソナリティーを考察する要素として重要なのですね。)

イリヤによる聖杯戦争の解説~宝石剣の投影

 何とか家に帰れた士郎ですがアーチャーの腕の反動で悶え苦しみます。必死に小物入れから凛のペンダントを探し強く握りしめることで何とか正気を保ちます。この時左腕を使っている事に注目。UBWを見ていれば分かりますが、このペンダントはアーチャーが生涯持ち続けたものであり、凛に召喚された際の触媒でもあります。つまりこの時はアーチャーの記憶に引っ張られているのですね。凛にペンダントを指摘された際の「大事なものだから最後まで持たなくちゃ」と言う時の顔もどことなくアーチャーっぽい気がします。ちなみにこの時の凛の反応を見るに、アーチャーの正体に確信を持った感じですね。つれぇわ…。
 宝石剣投影の為に遠坂邸へ向かう道すがらイリヤから聖杯戦争の真実が告げられます。ゲームだとアンリマユについて士郎が急に詳しくなるので説明を全部イリヤに任せたのは良い判断だと思います(笑)。アンリマユについての説明中に街並みとかが映されますが、何気に劇場版HFのポイントだと思ってます。1章や2章でも冬木の人々の暮らしを映すカットが多く見られますが、こうした穏やかな光景と桜が行ってきたことを考えると、桜の罪の重さがより浮き彫りになる気がします。同時にもしアンリマユが誕生してしまったら更に大変なことになる、という予感もします。ちなみに桜とアンリマユがマスターとサーヴァントの関係にある事を説明するシーンで士郎が意味深に反応しますが、ここ地味にルールブレイカーの伏線になってますね。
 そんなこんなで遠坂邸に到着。ゲームでは宝石剣の投影は衛宮邸の土蔵で行いますが映画だと遠坂の地脈を利用する形に。この時投影のサポートとして凛がアゾット剣を渡します。結局アゾット剣はセイバー戦で使用されますが、これだと士郎が借りパクしたみたいなのでちょっと補足を。一般的な投影魔術は外見だけのレンタルなので、凛の考えはアゾット剣を土台に投影のイメージを重ねて宝石剣を作る方法であり、バーサーカー戦で士郎がアーチャーの腕を使用したことは知りません。しかし士郎の投影は一般的な投影とは異なり、『無限の剣製』の副産物です。つまり「イメージによってイチから作るもの」なので凛の方法では出来ず、またその事はアーチャーを取り込んだイリヤしか知りません。その為士郎はアーチャーの腕を使ってイチから投影するしかないのですが、それを告げればアーチャーの腕を使ったことが凛にバレてしまうので(前章で凛から腕を使わないように忠告されている)、アゾット剣は士郎が持ったままなのですね。ちなみにゲームではちゃんと凛に貰っていいか許可を取ってます。
 イリヤの技術でアインツベルンの記憶を遡る士郎。船頭さんのふんどし姿が時代を感じさせます。ここでまさかの始まりの御三家登場。何気に映像化は初なのでは?黒髪ロングでエルメロイ2世っぽいのが遠坂永人、慎二風のイケメンがマキリ・ゾォルケン(臓硯の若い頃)、アイリスフィールっぽいのが「冬の聖女」ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。まぁアイリはユスティーツァの後継機なのでクリソツなのは当然ですが。余談ですが漫画版だと永人があんま遠坂っぽくねぇなーと思ってましたが映画だと顔が時臣に似てますね。眉毛とかそっくり。そして儀式のシーンでついに宝石翁ゼルレッチ登場。FGOやってる人にはカレイドスコープでお馴染みの爺さんですね。というか儀式の方法がグロ過ぎる。他に方法なかったんか。まぁ大聖杯はユスティーツァの魔術回路で覆われているので、こうやって押しつぶして魔術回路を広げているんでしょうか…。ちなみにゾォルケンはユスティーツァに密かに憧れているのでかなり動揺しています。このころはまだ人間的な感情があったんやな…。満を持して宝石剣登場。この時出てくる赤い模様?みたいなものがユスティーツァの体っぽく見えます。そして士郎は元弓道部の視力を遺憾なく発揮し見事投影に成功します(笑)。

■大空洞へ出発~セイバーオルタ戦前

 場面は衛宮邸に移り、宝石剣の投影でズタボロの士郎の元にライダーがやってきます。「どんな事になっても桜を選ぶ」と前章でのライダーの問(最後まで桜の味方かどうか)に答える士郎。HFの士郎は迷いが無くてほんとかっこいいです。共闘の申し出を受けるシーンでライダーさんはちょっと口角が上がってます。ようやくお互いを理解し合えた何気に重要なシーンです。
 凛に影を飛ばした後に場面は桜側に。アサシンを瞬殺し自身の心臓に潜む臓硯の本体であるなんかウナギみたいな虫もプチっと潰しちゃいます。ここで桜の「どうすればいいんだろう」という呟きが印象的。万能感に身を任せて臓硯を殺してしまったが自分が何をすべきかわからない、桜が未だに迷っていることが伺えると同時に、まだ救えるのでは?という期待も持てるような気がします。
 場面は再び衛宮邸。出発前に衛宮邸の風景と昔の桜を回想するシーンがとても良い。ここの士郎はアーチャーの腕の反動で記憶が飛び飛びなんですが、桜の事だけは思い出せるんですよね。だからこそ「呆れた、こんなにも俺は…」のセリフがグッと来る。そしていよいよという所でイリヤの見送り。ここのイリヤの一挙手一投足全てが可愛すぎる。特に士郎の頭をなでるシーンのお姉ちゃん感。実年齢だとイリヤは18歳(!?)なので立派なお姉ちゃんです。イリヤの見送り後柳洞寺地下の大空洞に到着。ここで士郎が見つけた血はおそらく言峰のもの。そしてついにセイバーオルタと対峙。凛が背中から宝石剣をチラ見せしますがそれどうやって仕舞ってるんですか(笑)。

■セイバーオルタ戦

 ここはセイバーオルタ戦と遠坂姉妹対戦が交互に出ますが、面倒なのでまとめて書きます。まぁ正直セイバーオルタ戦に関しては書くことが無い(笑)、ここは考えるより感じた方が良い気がします。あえて書くなら、ひたすらアホ火力で直線的に殴り続けるセイバーオルタとスピードと技術を駆使し立体的に戦うライダーの対比は見ていて面白かったです。また映画オリジナルでライダーの「士郎が気になりますか?動きませんよ、私は信頼されていますから。あぁ、貴方は確か…」という煽りが入ります。ライダーさんのこういう反英雄らしい所、すごくシビれます。殆ど感情らしい感情を見せないオルタが珍しくキレてるので、士郎に対しては多少思うところがあるようです。余談ですが個人的に剣主従が大好きなので、こういうシーンはかなりグッときます。
 そしてベルレフォーンVSエクスカリバーの宝具対決、力と力の純粋なぶつかり合い!Fateルートでは負けてしまいましたが、士郎のロー・アイアスのおかげで何とかセイバーオルタに勝利。セイバーオルタにとどめを刺す直前のセイバーのセリフと士郎の表情、そして最後の「ありがとう、お前には何度も助けられた」。もうね、涙が止まりませんでしたよ。この短い演出で、セイバーにとどめを刺すかどうか一瞬の葛藤を表現出来ているのはお見事。ここでとどめをさせなかったのは私だけじゃないはず。ちなみに須藤監督もセイバーを助けてきっちりBAD ENDしたそうです(笑)。

■遠坂姉妹対戦

 セイバーオルタ戦と同時に進行する凛VS桜の姉妹対戦。凛役の植田さんが「HFは姉妹の物語」と仰る通り、この姉妹対決はHFでの最重要シーンと言っても過言では無いと思います。劇中で桜も言っていますが、桜が狂ってしまった原因の一つは凛に対する桜の黒い感情にあります。血を分けた同じ姉妹なのに、由緒ある遠坂の魔術師として順調に歩み何でも手に入れる凛と零落した間桐の魔術師として日々責め苦にあい抑圧され続ける桜とではその境遇から生き方まで対極に位置する訳です。これだけ悲惨な境遇を下屋さんの鬼気迫る演技で告白されては、否が応でも桜に感情移入してしまうものです。個人的には、この姉妹対戦は途中まで桜視点で描かれているように感じました。例えば凛が宝石剣で影をばっさばっさ斬り伏せるシーン。大空洞が暗いだけにキラキラした演出が余計に映え、誰もが「凛チート過ぎる」と思ったのではないでしょうか。実は宝石剣を一振りする度に筋繊維が千切れるくらいの代償はあるのですが、映画の凛は汗1つかきません。ゲームでは額に汗を浮かべている描写があるのですが、動揺している桜はそれに気づきません。このへんを桜の視点で描写することで凛の超人ぶりに圧倒され動揺する桜により感情移入させられてしまいます。余談ですが、影が破裂してうさぎやねずみ?などのファンシーな小動物に変化するシーンがありますが、このへんも黒桜の幼児性の表れを演出しているのかなーと感じました。
 しかしここまで桜視点で描かれていたものが一変します。そう、映画オリジナルである幼い頃の姉妹の回想ですね。このシーンの素晴らしい点は①「頑張ったやつには報酬がないといけない」という凛の信条、②桜にとどめを刺せない凛の姉妹愛を上手く表現している点だと思います。前者については、たくさん付箋のついたトランプの教本。おそらく桜が頑張って勉強したのでしょう。おそらくポーカーの賭け対象であるおはじきも映っていますが桜が残り一枚で絶体絶命です。後者については、ワンペアで勝負する笑顔の桜と、手持ちのフルハウスをなかなか出せない凛という対比。桜にとどめを刺そうとして出来なかった現在の状況ともリンクしているので、とてもニクい演出です。桜は今まで気づきませんでしたが凛は滅茶苦茶シスコンです。頻繁に弓道場に足を運ぶのも、ランサーに殺された士郎を助けたのも、全て桜への愛ゆえの行動だった訳です。魔術師然とした冷酷な態度から一転して妹を想う姉の本当の気持ちを吐露する凛の視点に切り替わる事で、今まで桜に感情移入していた我々視聴者もガーンとショックを受けてしまいます。本当にここの演出がすごい。須藤監督流石です。特に、リボンのくだりが、もうね、、涙が止まりませんよ、、、。

■士郎と桜

 ついにクライマックス、士郎と桜の最終局面。凛のおかげで目にハイライトが戻った桜を見て「勝ったんだな」と士郎。ここのセリフすごい好きです。桜の触手に腹パンされますがここの桜は正気を取り戻しつつあるので無傷です。また、触手から凛を守るシーンで左腕が使われているのもアーチャーの意思に引っ張られているからですかね。続いて桜の元に行く為アクロバティックな動きを見せる士郎。このへんもアーチャーの腕のおかげで身体能力が向上してるからですかね?腕すげぇ。何とかたどり着き桜と対峙する士郎。ここの桜に歩み寄るカメラワーク、2章の「レイン」と同じように感じました。桜の「これだけ人を殺して生きろというんですか」に対し「そうだ!」と力強く返答する士郎。士郎のズタボロ具合が涙を誘います。桜も自分からルールブレイカーを受け入れ、ようやっと桜の救出に成功しますHFの士郎は本当にかっこよくて大好きです。

■臓硯の最期

 ここ、地味に好きなシーンでもあります。しぶとく生き延びていた臓硯虫ですが、天の衣を身に付けたイリヤスフィールを見て(映画でも一瞬ですが映ってます)「どうして死にたくないと思ったのか」というユスティーツァの問いに対し最後の最後でかつての使命を思い出し、「あと一歩だったな」と満ち足りたように言い遺しマグマに落ちます。私が臓硯を嫌いになれない理由は、もしかしたら士郎もこうなっていたかもしれないと思うからです。臓硯が不老不死を求め続けたのは、「全ての悪の根絶」という理想が根底にあったから。しかし500年という時間はその理想を忘れさせ腐らせ、本編のようなド外道になってしまった訳です。この境遇はアーチャーにも当てはまります。「正義の味方」という理想を求め続けた結果現実とのギャップに打ちひしがれ、更に守護者として使役される途方もない時間経過により、かつての切嗣のように誰かを助けたいと思う願いの美しさという根底の感情を忘れてしまった。アーチャーはUBWルートで理想を求め続ける士郎を美しいと感じ、根底の願いを思い出した訳ですが、臓硯は最期の瞬間まで思い出すことが出来なかったんですね。つまり、もし士郎が最後まで根底の願いを思い出せなかった場合は臓硯のようになってしまうのかもしれないと思うと、臓硯も士郎と似た不器用な人間だったんだなぁと思う訳です。余談ですが、いわゆる鉄心エンド(桜を殺し聖杯戦争を勝ち抜くエンド)の士郎がこれに当たるんじゃないかと思います。

■士郎VS言峰

 桜をライダーに預け大聖杯との決着をつけに行く士郎。ここのライダーの名前が出てこない士郎の演技がすごく生々しい。さてこれで終わりかと思ったらところがどっこい生きてた言峰。といってもお互い数分も持たない満身創痍の死に体です。ここの士郎VS言峰の拳闘戦が激アツ。これまではサーヴァント同士や魔術師同士の怪物大決戦でしたが、男の勝負に小細工は要らぬとでも言わんばかりの生身の勝負。またこの勝負はお互いの価値観のぶつけ合いでもあります。劇中でも語られていますが、士郎と言峰は自身に還る望みを持たない、生まれながらの欠陥者であり罪人という似た者同士です。故に士郎は言峰の唯一の理解者でもあります(ギルはあくまで傍観者なので理解者ではありません)。「HFは言峰ルート」と言われるのも頷けます(笑)。しかし、二人が決定的に違うのはその「在り方」。他人の幸福を至福とする士郎と他人の絶望を至福とする言峰ではどうやっても相容れないのです。この価値観のぶつかり合いの幕引きが「時間」というのも良いですね。どっちの価値観が正しいとは決められない、人間とは善悪両方を孕む存在であるというメッセージのようにも感じました。余談ですが、HFでは原作CG再現の為に士郎も凛も言峰も上着を脱ぎまくります。ちょっとシュールで笑える。

■終幕、イリヤの最期

 はい、もう説明不要ですね(笑)。ここは終始泣きっぱなしでした。全部泣けますが、個人的な最感動ポイントは①士郎の「生きていたい」、②イリヤの「お姉ちゃんは弟を守るもの」、③アーチャーに引き上げられる士郎です。
 ①他ルートでの士郎は正義の味方という理想を貫くという結末でしたが、HFでは「生きていたい」と、生きて桜を守る為に、はじめて自身に還る望みを口にした瞬間です!杉山さんの演技力と相まって、もう最高でしたね。また、イリヤの名前を思い出すシーンも最高でした。涙が止まりませんよこれ。
 ②前述の通り実年齢ではイリヤは士郎のお姉ちゃんです。最後の最後で、お姉ちゃんとして弟を守る事が出来た訳です。また、ただ犠牲になっただけでなく、最期にはアイリスフィールらしき人物と再会を果たします。アイリに抱き着くイリヤが昔のイリヤに戻っているのにも注目。ゲームではイリヤの喪失感に打ちひしがれましたが、ちゃんと救いのある補完がされて大満足です。
 ③イリヤの第三魔法によって魂を物質化される士郎。ゲームでは凛のペンダントに残った魔力を使って、海(おそらく士郎の肉体)から浮上するという描写でしたが映画ではアーチャーの腕が引っ張り上げてくれます。HFの士郎は最後までアーチャーに助けられていますね。個人的な解釈ですが、UBWでも最後にアーチャーに助けられる(ギルの頭をぶち抜くシーン)所と重なりました。やっぱりアーチャーは腐っても士郎で、「大切な人(=かつての自分)を守る」という生前果たせなかった望みを最後に果たせたのかなぁと思います。

■エピローグ

 尺の都合上か、説明不足なエピローグ(笑)。私も初見ではちんぷんかんぷんでした。簡潔に解説すると、イリヤの第三魔法によって士郎の魂が物質化され(桜が持っていた鳥かごに入ってます)、別の肉体に移したことでほぼ完全復活した訳です。この肉体は路地ですれ違った赤髪の女性・封印指定を受けた人形師である蒼崎橙子さんが作ったものです。私は『空の境界』と『魔法使いの夜』をまだ見ていないので型月wikiとにらめっこしながら書いていますが、橙子さんの人形は現代で最高レベルなので生身の人間とほとんど同じ機能を得られます。加えて型月の設定では、記憶や魔術回路など人間としての記録は肉体ではなく魂の方にあります。肉体は魂の入れ物でしかなく、ちゃんとした器があれば後は魂に合わせて肉体が形成されていくので、復活した士郎はちゃんと人間として機能していますし、年も取るし魔術の行使だって出来ます。このへんの説明、初見の方は絶対わからないですよね(笑)。
 士郎周りの説明不足感は否めませんが、エピローグ全体はとても良かったです。やっぱりトゥルーエンドは最高ですね。特に凛と桜の旅のシーンが原作補完としてパーフェクトでした。遠坂姉妹には幸せになってほしい。また個人的に気になったポイントですが、桜の瞳の色がちょっと遠坂っぽい色に変わってません?蟲爺の調教により細胞レベルまで間桐のものになっている桜ですが、おそらく体内の刻印虫が居なくなったから遠坂のものに戻りつつあるのでしょうか。あと桜の墓参りのシーン、最初は士郎のかな?と思っていましたが結局士郎生きてたんでミスリード。劇中で死亡している桜関連のキャラクターを考えると慎二か臓硯ですかね?
 そして、ラストのお花見シーン。2章での桜との約束をしっかり果たしていきます。ここで一成や陸上部三人娘など、「日常」を担当するキャラが出てくるのがいいですね。戦いが終わってやっと日常に戻ったんだなと実感できます。最後に士郎と桜が一歩を踏み出すシーン、原作再現を丁寧に行ってきた本作ですがここでまさかの原作CG不再現(ゲームではライダーと凛もいる)。ご不満な方もいるでしょうが(私もそうでした)、ここにはちゃんと意味があると思います。それは、バックで流れているメインテーマの「春はゆく」の歌詞にあります。二人が足を踏み出したシーンの直後に流れる歌詞は以下の通りです。

しんしんと降り積もる時の中
よろこびもくるしみもひとしく
二人の手のひらで溶けていく
微笑みも贖いも あなたの側で

 あくまでも私の解釈ですが、これから先長い長い時間をかけて、多くの人を殺めてしまった罪に向き合い、二人で支え合いながらその贖いをしていく、桜と士郎が自身の罪に対しどう向き合っていくのかという問いの答えが示されていると思います。この問いは作中でもアインツベルンの森で言峰から士郎に問いかけられます。「例え桜を救ったとしても罪の意識に苛まれて生きるだけなら、殺してしまった方がいいのではないか」と。これに士郎は「それは償いではない」と答えました。エピローグで桜が「罪の意識に押しつぶされるのは逃げなんだ」とも言っていました。ちなみに、HFのノーマルエンドでは士郎は助からず、桜は最期まで衛宮邸で士郎の帰りを待ち続けるという終わり方になっています。こっちのほうが罪に対する贖いになっているというご指摘を拝見した事があります。確かに一理ありますが、個人的には、懺悔のために一生を使うことは贖罪というよりも罪人である自身を許してほしいというある種の「逃げ」であると思います。上記の通り桜もそう言っていましたね。それよりも、罪を背負って苦しみながらも前を向き、自身の生に新たな価値を見出す努力をする事は、奪ってしまった命の重みに向き合い、帰らぬ人の死を無価値なままで終わらせないという形での贖罪になるのではないかと思います。まぁ、要はあれです。桜が笑顔で「幸せです」と言っているからいいんです!!(暴論)


・結びに代えて

 はい、ということで一万字超えです(笑)。長々とすみません…。自分の感じたことを思うままに書きなぐったらこうなってしまいました。ここまで根気強くお付き合い頂きありがとうございます!本当はもっと書きたい事がありますが、それはまた別の機会にします(笑)。最後にまとめ的なことを書こうと思いましたが、HFが「正義とは何か」「姉妹」「罪と贖い」「善と悪」という多様なテーマで構成されているので、一言ではまとめられませんでした。ただ、やはりFateは衛宮士郎の物語だなと、本作を鑑賞して改めて感じました。他2ルートでは「正義の味方」という社会的な善を目指していましたが、HFでは「桜の味方」という一人の少女のための善を目指しました。HFが好みの分かれるルートであると言われる点のひとつが恐らくこれで、確かに罪のない人々を殺した少女を幸せにする為に戦う、という姿勢は独善的であるとも言えます。しかし、独善的でも偽善でも構わない、ただ好きな女の子を守りたいという士郎の決意は単純であるからこそ大いに共感できると思います。正義の味方を目指した少年の物語がこうした形で終わりを迎えるのは、人間臭くてとても大好きです。すみません、これ以上無理に言語化すると何だか陳腐な表現になりそうなので、とりあえず「HF最高!」という最高に頭の悪い言葉で締めさせて頂きます。

最後に、本作に携わった製作者の皆様、キャストの皆様、須藤監督に最大限の感謝を!素晴らしい作品をありがとうございました。
是非、ホロウの制作もお待ちしております…(笑)

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