読まれないことよりも、言葉さえ紡げないことが虚しい

読まれる文章を書くとか、そもそも読まれる人間になるとかを一切無視して書かれた文章は、概ね読まれない。

つまり、私の文章も読まれない。
1人か2人が最後までちゃんと読んでくれれば良いほうだろう。

そのような文章に一体何の価値があるのか。

この文章が存在する世界と存在しない世界を考えてみる。おそらく、1ミリも変わらないだろう。世界はおろか、半径5メートルの日常さえ動かせそうにない。

何も動かせない文章に何の価値があるのか。

「価値を計ることはナンセンスだ。」

そんなことを思っている。

大多数の人が価値の世界で生きている。であれば、価値から目を背けることは、逃げているように見えるだろう。戦うつもりがないといえば聞こえはいいが、きっと逃げて見えるのだ。

実際、どちらでもよい。

逃げているとも逃げていないとも言いきれないし、開き直るつもりもない。

ただ1つ確かなのは、私自身が価値を基準にして文章を書いていないということ。

読まれない文章の意味よりも、言葉さえ紡げないことの意味のほうが大きい。

何者でもない人間が、なぜ文章を書き残すのか。


それは何者でもないからだ。


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