24/6/4 はまっている言葉

たったの2日間だが、はまっている言葉がある。

「罪を憎んで人を憎まず」

これは、犯した罪のことは憎んでも、その人自身のことを憎んではならない、という意味の故事成語。古代中国の書物である『孔叢子(くぞうし)』の「その意を悪みてその人を悪まず」という言葉からきているとのこと。

私は今話題の、広島県安芸高田市の石丸市長の本を読みながら、この言葉に触れた。石丸市長はネットのコメントで、「罪を憎んで人を憎まない人」と評されることが多いという。ご本人も、感情に操られず、常に冷静で、理性的でいることを心掛けているとのこと。この言葉が、なぜかすごく自分の中で腑に落ちた。

最近仕事をしていると、他人、もしくは自分にイライラすることがとても多かった。イライラすることで、改善のヒントを得られたり、自分の本当の気持ちや長所に気が付けたりするので、イライラすることは悪くない、むしろ自分のエネルギーとして必要だと思っている。
しかし、それをプラスの方向に上手く引っ張れず、悶々とマイナスの感情に流されて行ってしまうことが多々あった。

今日、またイライラすることがあった。ちょっとしたトラブルが発覚したのだが、先輩にも確認したことにも関わらず、私だけが悪いようにおさめられた。別に新人一人の名誉なんてどうでもいいか、と思う一方、いやこれ私だけが悪いのか?なんでこんな言われ方されなきゃいけないんだ、ともやっとした。そこで、朝に本で触れた「罪を憎んで人を憎まず」を思い出した。そうだ、人を憎んでも何もプラスにならない。憎んではいけない。

そう考えると、だんだんと、この先輩も確認したつもりになっていたのだろう、最近忙しそうだし。私は確認してもらったつもりだったけれど、確認のお願いが粗くなっていたのかもしれない。時には自分に責任がないです、という顔をしていないとやっていられないときもあるんだろう。
相手、自分をおもんばかる余裕が出てきた。

この言葉のいいところは、「罪を憎む」ことは否定していないところだと思う。イライラすること自体、大丈夫だと思えるから、変な焦りが出ない。

帰り道、相手のことも自分のことも、人のことをほとんど責めなかった(心の中で数秒間は責めていたが)おかげで、それ以外の問題がクリアに見えてきた。「そういえば感情は収まったけど、やっぱり確認をした、していないのすれ違いがまた起こったらいやだな。明日相談してみよう」このように前向きに考えることができた。

心に残った言葉は、ふとした時に自分を救ってくれたりする。これからも色々な言葉に触れて、ストックしていきたい。

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