ストレンジテトラ ♭3.
♭⒊ 一文菓子
⑴
趣味はなんですか?
と聞かれるのがどうにも苦手だ。
うんうん、と共感した人にはわかると思うが
理由は一つ。
特に思いつかないからだ。
わたしの休日は八時くらいにゆっくり起きて、とにかくダラダラ過ごす。
その姿は〈ダラダラ過ごす〉以外に表現する言葉をわたしは知らない。
語彙力の欠落。記者失格だ。
へへへっ、と力無く笑う。
ダラダラするのに飽きたら、特に用事も無いが外に出る。
そして私の一番落ち着く場所、海岸のテトラポッドの上に座って海を眺める。
四年前、この街に引っ越してきた私は、その日の夕方からほとんど毎日、この海岸のテトラポッドに通っている。
ポイントカードがあるわけでも無いのに。
仕事の終わりでも寒い冬の日でも。
台風の日とかは別だけど。
昔からテトラポッドが好きだった。
愛らしい形状、コンクリートの質感、わかってもらえるだろうか。わからない、と思う人は別にそれでいいのだけど。
外見や質感だけでなく、波から海岸の侵食を防いだり、魚の住処になったりとテトラポッドも仕事をしている、とお父さんが教えてくれた。
私にとってはこの場所自体が大きな犬を飼っているような、そんな気持ちでいる。
よしよし、とテトラポッドの頭を撫でる。
実家のある九州の港町でもお父さんが私を連れてよく海を見に行っては、ふたりで過ごした。
青の絵の具で描いたような真っ青な海も
炎が揺れるような水面に映る夕日も
嵐の前の怪物のような波のうめき声も
まるで自分も海の生き物になったような。
テトラポットの上、のお父さんの膝の上。
毎日私はこの景色を目に焼き付ける。
この景色が私は好き。
いや、正確には好きになった、だろうか。
海を眺めてボーッと物思いに耽る時間も
忙しい大人たちには必要なんだ。きっと。
どこまでも伸びる水平線は、疲れた心を癒すには充分過ぎる謎の力を持っている。
とは言ったものの、テトラポッドに長時間座ると
流石にお尻が痛くなってくる。
腕時計の長い針が半分くらい回っただろうか。
よっこら、と声に出して私は立ち上がると、
家に戻って再び飽きるまでダラダラする。
趣味が無い、とは恐ろしいことだ。
最悪の場合、命に関わる。
休日わたしがダラダラと過ごしている間にも、世の男たちはバイクで峠を攻め、女たちはカチューシャをつけて遊園地ではしゃいでいるのだろう。
部屋で1人、テトラポッドの形のクッションを転がす。
「まぁた こんなもの買ってさ…」
と自分で自分に説教する。急に虚しさが、湧く。
『人生に勝ち負けがあるとしたら、わたしは、』
そこまで考えて、わたしは転がしたクッションを今度はベッドに放り投げた。
時計の針は11時を指す。
食う寝る遊ぶができない奴はもちろん仕事もダメ野郎だ。このままでは流石に。と思い立ち、パーカーを羽織り、スニーカーを履いた。
楽しいことを見つけるのだ。
高価なカメラを買わずとも、静かな湖畔にテントを立てずとも、楽しいことは身の回りに溢れているはず。
ふんす!と鼻息荒く、わたしは玄関のドアを開けた。
⑵
少し歩くと、沢山の船が見えた。
船着場から伸びた木製の桟橋の先に、網で囲われた釣り堀がある。
入り口に小さな小屋がある。
釣り道具をレンタルすれば90分2000円だよ、
と窓口のおじさんが教えてくれた。
少し高めだが、2000円で趣味が見つかるかもしれないのだから、無趣味のわたしにとっては妥当な額だ。
ここで一つ問題がある。海には毎日行っているくせに、実は釣りはしたことがないのだ。
釣竿にエサをつけてぽーんと水辺に向かって釣り糸を垂らす。魚が食いつくのでそれをリールで巻き上げればゲット。
という具合に簡単なものだと思っていた。
実際は、初めて手にした釣竿をまじまじと眺めて
パチパチと瞬きを繰り返していた。
原始人にドライヤーとか掃除機とかを
はいどうぞ、って渡したらきっとこんな感じなんだろう。
エサの付け方は?このレバーはなんだろう。
釣糸の長さはどれくらいがいいのか、
あ〜あまた絡まっちゃった。終わった…。
と私が一人であたふたしていると、
「オモリとウキは」
と声をかけられた。
隣を見ると八十代くらいのおばあさんがこっちを見ている。
「え あ、コこんちわ、私コレハジメテ、、」
とカタコトで返すと貸してごらん、と言って
慣れた手つきで竿をいじり始めた。
「すぐには魚もかからないから辛抱強く待つこと。わからないことがあれば声かけな。」
おばあさんはそう言うと、また自分の竿に戻り水面を眺める。
ありがとうございます。と早口で礼を言って、
私も釣り糸を垂らしてみた。
楽しい人生を釣るのだ。
瞑想に耽るように神経を研ぎ澄ませた。
「あんた名前は?」
びっくりして顔をあげた。
あたしゃこの沈黙、もう耐えられないよ、
と言う顔でおばあさんが先に口を開いたのだった。
「え。えぇ?名前、あ、サメ子。鮫川です…」
「サメコ・サメカワ、外国の人かい?」
「違います。鮫川です。愛称がサメ子」
「初対面で他人に愛称を言うのは珍しいね。」
おばあさんが笑う。
「あたしは岬。ミサばあって呼びな。」
「岬、さんは、ええっと、名前ですか?」
「いや、岬は名字。」
今思えば、岬ばあとの出逢いはこんなグダグダで
拙いものだった。
お互い初対面で愛称を言うのは珍しい。おかしい。
「見かけない顔だと思ってね。なんでまた釣り堀になんか来たんだい」
道場破りを挑発するかのような口調で岬ばあが私に尋ねる。
「家から近かったんです」
「あんためちゃくちゃだね。おっとっと。」
慣れた手つきでリールを回すと、岬ばあの釣竿の先に魚が顔を出す。
どうだい、というように今度は顔をしわくちゃにして微笑んだ。
お年寄りの顔がしわしわになるのって、きっとお顔に染み付いた、喜怒哀楽の長い長い積み重ねなんだろうな。
そう思うと、目の前の老婆が急に愛おしく思えた。
「ここにくる連中は悩みがあったり、忘れたいことがあったり、心に何か引っかかりがある人たちさ。言わば人生の避難所みたいなもんさね。あんたも何かあったんだろ。」
辺りの人を見渡すと、確かに冴えない中年のおじさんや、派手なヒョウ柄の服を着た″ヤクザの女″のみたいな女性など、クセのありそうな面々がそれぞれに自分の浮きを見つめている。
出会ってまだ数行しか立っていないのに、このおばあさん、随分とデリケートな話に持ち込んだな。
きっと、人と話すのが好きなんだ。
「岬ばあはいっつもここにきてるの?」
私は尋ねる。
「天気のいい日は、たまにね。いつもはこの近くで駄菓子屋をしてるんだ。」
駄菓子屋!!その懐かしい響きに心が躍る。
今や絶滅危惧種となった幻の職業。
釣りなんかしてる場合じゃない。
思わぬ大物がヒットしたぞこれは。
私の脳内で、巨大な魚を担いだ海の男たちが、波飛沫をバックにガッツポーズした。
私は釣竿を静かに置いて岬ばあに微笑みかけた。
「あのぉ、そろそろおなか空きませんか」
⑶
「ババアは足が悪くてね。我慢しな。」
そう言って、岬ばあと二人ゆっくりと釣り堀を後にした。
結局私は一匹も釣れなかったが、初めはそんなもんだよ、と岬ばあは笑ってくれた。
釣果ゼロのこと、なんて言ってたかな。
お年寄りという生き物は、足腰が弱いはずなのに意味不明なくらい長い道のりを歩きたがる。三十分ほど歩き、住宅街の隅っこの古い建屋に着いた。
「さぁ着いたよ。いらっしゃい。」
看板には『もみじや』と錆びたペンキで書かれている。
意外にも、外装はまだ綺麗にしていて、『昭和にタイムスリップ!』のような、想像していた駄菓子屋とは少し違った。
店に入ると、八畳程の土間のスペースに駄菓子やおもちゃがズラリと並んでいる。
見たことのないカラフルなお菓子もあれば、グミやチョコなど馴染みの深い思い出の味もいくつか目に止まる。
なんだか懐かしさで意味もなく走り出したくなる。
「あ、これは!」
わたしはレジの横に並んでいるラムネを手に取った。
「懐かしい!これ、買ってもいいですか!」
「あんた、あたしに何か聞きたくて来たんじゃないのかい。」
懐かしさに我を忘れてはしゃぐわたしに、岬ばあは少し呆れたような顔で訊ねた。
そうだった。取材取材。
しかしまぁ、こんなに煌びやかな駄菓子を前にすれば、所詮ハリボテのジャーナリズムなど麩菓子のようなものだ。
プリペイドや電子マネーでは決済できそうにないレジの風貌だったので、わたしはポーチから百円玉を取り出して、ラムネと交換してもらった。
お座敷の岬ばあの隣、いわば駄菓子屋の特等席にわたしは座る。
まるで自分が駄菓子屋のオババになったような。
最高の気分だ。
「そもそも駄菓子屋さんって、経営の仕組みってどうなってるんですか」
二、三十円のガムや飴で、生活できるだけの利益が出ているとは到底思えない。昔からの密かな疑問をわたしはストレートにぶつけた。
ぽんっと威勢のいい音と共にラムネの泡が溢れる。
慌てるわたしを岬ばあは笑って見ている。
「利益云々はあんまり気にしてないんだよあたしは。というか、駄菓子屋なんて。多分みんなそうなんだろうねえ。」
割烹着の紐を後ろで結び、岬ばあはそろばん片手に老眼鏡をかける。
これぞまさしく″駄菓子屋ババアの究極形態″…。
わたしの脳内の、”駄菓子屋戦闘力メーター”はMAXを振り切り、爆発した。
「十円の駄菓子が売れたら二円の利益。三十円の駄菓子が売れたら四円の利益。駄菓子なんて単品で買う人も少ないから、大体一人三百円分くらい買って利益は三十円くらい。一日の売り上げもいい日で千円くらいかね。」
具体的な数字が出てきたのは意外だったが、ほぼ図星に近い売上だったので少し心配になる。
「まぁお客さんはほとんど学校帰りの子供たちさ。小遣い握りしめてはしゃいでいるのが可愛くてね。」
ぽんっと威勢のいい音が再び鳴る。
岬ばあのラムネは一滴も溢れない。
熟年の技だ。
わたしも目の前の老婆の歳になればできるようになるだろうか。
というか、その頃果たして炭酸が飲めるのだろうか。
久々に飲んだラムネの泡が、大人になったわたしの喉を優しく刺した。
「岬ばあちゃん、見て!」
声がした方を振り向くと、入り口に小学一年生くらいの子どもが四人、大きくはなまるの書かれたテスト用紙を得意げにこちらに向けていた。
学校帰りだろう。
岬ばあのラムネのビー玉がカラン、と音を立てる。
「おや、おかえり。どうしたんだい、それ。」
自分の孫に語りかけるように、わざとらしく驚いてみせる。
「おれたち、今日テストでみんな百点取ったんだ!だからね、もみじやのばあちゃんにも見せにきた!」
「すごいじゃないか。どれどれ、見せてごらん。」
なんだ、これ…。
あまりにも平穏な会話に呆気に取られる。
急に目の前の景色がモノクロに見える。
昭和を感じる。
古き良き、なんて手垢まみれの言葉を
わたしは初めて自分の脳内で使った。
まさしく古き良き、だ。
子どもたちが気ままにおしゃべりしたり、今日あった出来事を口々に話す。
それをにこにこしながら聞く″駄菓子屋″という職業は、幸せそうだった。
情報に振り回される現代社会の片隅に。
赤子の寝顔のような、永遠の楽園のような、
こんな幸せの風景はまだあったんだ。
「母ちゃんに小遣い貰ったら、明日もまたおいで。」
レジの下から、マシュマロやグミが幾つか入った小さなビニール袋を四つ取り出して
はい、これは岬ばあからのごほうび。
と言って子供たちに渡した。
やったぁ!と全力疾走で子供たちは店を飛び出して行った。
急に静かになった店内。コントかと思った。
まだ世の中には毎日こんなことが起きてるのか。
笑い声の残響を感じながら
わたしが先に、乾いた口を開く。
「あの、駄菓子屋さんのやりがいって何ですか」
野暮な質問だ。
ほんとは聞かなくてもわかる。
今、まさに。目の前で。 見た。
「やりがい、ねぇ。」
さっきまで子供たちがいた店内を見渡して、
岬ばあは深く深呼吸した。
「今のあの子らを見てさ、金儲けしてやろうなんて思わないだろ。あの子らにとっちゃビー玉もグミも宝物なんだ。大人の知らない秘密の場所が、今もあるんだよ。みんなで食べるんだろうね。あたしもそうだったから。」
ラムネのビー玉を取り出して、丁寧に拭いた後、わたしに手渡す。
わたしは意味もなくビー玉を覗きこみ、パーカーのポケットに転がした。
「嬉しいよ。毎日この店で起きる全てが。こんな儲からない商売、【仕事】なんてたいそうな肩書きじゃないけどね、嬉しいんだ。年金暮らしのババアの終末の楽しみさ。」
売り場のお菓子たちに語りかけるように、岬ばあは顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「仕事」という言葉の定義が「お金を稼ぐこと」だとしたら。
確かに岬ばあの駄菓子屋さんは、仕事とは呼べないのかもしれない。
でも、このもみじやという駄菓子屋さんが、数えきれない程の誰かの歯車を今までも、これからも、回しているような気がした。
これは「仕事」という形のない概念の、最終形態なんだろう。
誰も到達できない、”伝説の働き方”なんだろう。
今となっては全然覚えてないけど
その後も岬ばあとわたしは、ずっと話をした。
あっという間に時計は15時。
五百円分ほど駄菓子を購入し、パーカーのポケットに突っ込んだ。
「必ずまた、遊びに来ます。ありがとうございました」
と頭を下げる。
「いつでもおいで。」
岬ばあは皺々の手の平をわたしに向けて笑った。
店を出ようとして、わたしは立ち止まった。
「どうして、岬ばあさんは駄菓子屋になろうと思ったんですか?」
口から勝手に溢れた。
これはジャーナリズムなんかじゃない。
胸の内。本心だ。
今思えば、心のどこかでまだここに、この幸せなお婆ちゃんの側に、居たかったのかもしれない。
でもよく考えて見てほしい。
駄菓子屋を開こう、なんて、わたしからしてみれば言い方は悪いが無鉄砲だ。
岬ばあはわたしを見ずに答える。
「逆に聞くけど、どうしてあんたはその仕事をしてるんだい?」
逆に聞かれてしまった。
呆気に取られるわたしに構わず、岬ばあは続ける。
「自慢じゃないけどさ、あたしがあんたくらいの歳の頃は携帯やパソコンなんてなかったんだ。たまーに食べられるキャラメルとかに喜んで、鳥みたいに飛んでる飛行機、スゴイなぁって見上げてたんだ。
それがあれよあれよと便利になってさ。今はみんな手元の画面しか見てないじゃないか。」
自分の左の手のひらを右手の人差し指でなぞって、岬ばあが首をかしげる。
彼女なりの″スマホを使う現代人″の真似なのだろう。
「あたしはネットとかそういうのはあんまりわかんないんだけどさ、あんたたちは今の世の中、楽しいのかい。情報がいっぱい溢れて、画面の中で生きてるみたいな今の子たちはさ、幸せなのかね。」
まさか駄菓子屋で『今の世の中は幸せなのか』と問われるとは思わなかった。
わたしにはすぐ答えられない。
少なくとも"楽しい"じゃなくて"楽"なんだとは思う。
「昔はさ、テレビもゲームセンターもなかったから、楽しいことなんて学校の近くの駄菓子屋くらいしかなかったんだ。お菓子食べたり、爪楊枝で型をくりぬいたりしてさ。さっきみたいに、店のおばばとおしゃべりもたくさんしたよ。」
岬ばあの話を、わたしと、店の駄菓子たちも、黙って聞いている。
「幸せだったんだ。ずっとあるもんだと思ってたよ。そのまま、その時間が。その時代が。」
のんびりとした、力強い声で、岬ばあはゆっくりと自分の言葉に頷いて、わたしを見た。
「この店は、初孫が産まれた時、あたしが定年する少し前に開いたんだ。孫ができるって聞いて、なんだか、一気に歳を取った気がしてね。駄菓子屋のババアになろう。ってふと思って、それまでしてた百貨店の店員さんは辞めてさ。」
「今の便利な世の中と昔は どっちが幸せですかね?」
「別に今の時代を憂いてるわけじゃないんだよ。若い子たちが一生懸命がんばってる世の中、大好きさ。あくまでも、あたしはあたしの生きる時代に、駄菓子屋をしてて幸せだと思ってるんだ。それだけ。」
『孫には昔、おばあちゃんたぴおかを始めて、とか言われたけどね。』と付け足してダハハと戯けた。
つられてわたしもふふっと笑う。
「サメ子ちゃんはさ、何が幸せで生きてるか考えたこと、あるかい。」
え。
今度はいきなり人生の極論を問われた。
わたしの苦手な、哲学的な観点の
なんかそんな感じの話だ。
老人は不意をつくのが上手い。
「誰のために、何が幸せで今の仕事してるか
考えたことあるかい。」
わたしの気持ちを置き去りに、岬ばあは半ば無邪気に聞いてくる。
柔らかいものでほっぺたをビンタされたような感覚。
何が幸せで、誰のために、何のために?
いきなりの質問ラッシュにわたしは目を見開く。
そんなに急に、たくさん、答えられないよ。
口を真一文字に結び、首を横に振る。
今まで、何十人と仕事のやりがいだきっかけだ
聞いてきたくせに。
自分では考えたこと、無いんだ。わたし。
肩をすぼませ、目くばせで許しを請う。
弱弱しく直立するわたしに、ごめんごめん、と岬ばあは笑う。
「答えに急がないこったね。生き急がないこと。
人生は飴玉みたいにゆっくり、時間をかけて味わっていくいくもんさ。」
⑷
『茜』『夕景』『黄昏』『夕映え』
お日様が橙色になると名前がたくさん増えるなぁ。
足をプラプラさせる。
テトラポッドから見る四月の夕日は、ワインのように真っ赤だった。
(あんまり飲んだことないけど)
私はどうしてこの仕事をしてるんだろう。
自分の足元を見つめる。
何を生き甲斐に、
誰のために、
何のために。
ふと、16歳の誕生日の日のことを思い出す。
あの日も一人で海に来てたっけ。
大好きだった人のことを思い出す。
「そんなこと、考えたことないです」
さっき、もみじやで言えなかった台詞が、
今更になって目の前の海に落っこちた。
テトラジャーナルに就職を決めた動機は
今思えば、ほんとに″風まかせ″だった。
卒業してからは、東京の小さな広告代理店に就職した。
社会性も常識も無かったわたしに都会のオフィスビルでOLなんて続くわけもなく、何の役にも立たないまま、1年足らずで逃げるように辞めてしまった。
地元に帰ることにも踏ん切りがつかず、「何かを追うにも逃げるにもアクセスがいいから」という理由で愛知県のこの街に引っ越してきた。
仕事もせず、ただ海を眺めるだけの日々が少しの間だがあった。
そろそろ働かなくちゃ、とぼちぼち求人を探していたら、テトラジャーナルのことを知った。
私の好きなテトラポッドと同じ『テトラ』と付くし、職務の内容も前職と似つかわしく思えたので(実際は全然違ったが)面接を受けてたみた。
それから早4年。今に至る音速の日々。
今の仕事は、楽しい。
やりがいも感じてるし
会社の人たちも好きだ。
ポケットから飴玉を取り出して口に入れた。
シュワシュワと甘いコーラの味。
夕日を舐めているような気分になる。
きっとこれからわかっていくんだ。
明日、釣具屋に行ってみよう。
性格も見た目も地味だけど、根がポジティブなのが私の強みだ。
テトラポッドに別れを告げ、立ち上がる。
今夜は魚を食べるんだ。
今朝、釣竿を握った時から決めてたんだ。
夕日のような飴玉を、コロコロと舌で転がす。
ゆっくりと溶けていくコーラの味。
陽が沈み、大きな小さな星たちが、
一日の終わりを告げる。
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