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ストレンジテトラ ♭6.

♭.6 マズルカ 

※*⑴※※
 辻宮彩純 

産まれた時から耳がほとんど聴こえなかった。
"伝音性難聴"って言うらしい。
鼓膜に異常がある。と人には説明する。

電話などの音のするツールは基本使えないし
授業中や病院の待合室でも、自分が呼ばれていることに気づかない。

補聴器を付ければ少しは聴こえるものの
逆にそれが厄介だった。
音が大きければ完全に聞こえる、というわけではなく、眼鏡と同じで聞き取れる音には調節が要る。
中途半端に耳が音を拾うので、結局のところ他者との意思疎通はできない事が多かった。

言語を視覚からしか獲得できない、というのは
他者とのコミュニケーションに想像以上に支障を
きたす。

テレビの話題や学校の行事にも上手く馴染めず、
幼いながらも【おとなしい人・楽しくない人】
というレッテルをべったりと貼られた。

聴覚障害は、外見ではなかなか分かりづらい。
無視するなよ、と怒られたり
集合時間や場所が急遽変更したりすると
私だけが間違った行動を取り、同情された。

みんなと同じ″健常者″を装ってみたりもしたが
聴こえるフリは想像以上に疲れるものだった。
聴覚以外は何の異常も無いのも、厄介にすら感じた。

私はみんなと違うんだ。
私はみんなと同じじゃない。

そう自分に言い聞かせると、独りでも大丈夫な気がした。


そしていつからか私は補聴器の電源を頻繁に切った。聴こえないほうが心身共に楽だった。
役立たずのLEDのランプが赤く光りゆっくりと
消えた。


あの子は耳が聴こえない、というバリアに守られ、誰も私に話しかけて来なくなった。

哀れみも陰口も説教も悲しいニュースも
なにも聴こえない、というのは
慣れてしまえばそれはそれで快適だ。

そうして小学校6年間をやり過ごし、友達といえば図書室にあるたくさんの本と通学路にいる猫くらい。
字幕の無い無音の日々は、いつしか私の当たり前になっていった。

そんな私、辻宮彩純(つじみやあすみ)に
転機というか、とある出会いがあった。


中学校に入学して3週間が過ぎた頃。

入学直後のよそよそしい雰囲気から開放され
同じ小学校のグループはより一層団結し
他校グループとの交流・合併がある頃合い。

もしかしたら自分にも新しい友達が。
なんてことは微塵も期待していなかったと思う。
私の聴覚障害を知らずに話しかけてくれた子も、
会話ができないことを悟ると、関わらないでいてくれた。

ありがとう。話しかけてくれて。
寂しくないから大丈夫。
あなたに友だちがいるように
私には本と猫がいるから。


書道の時間、好きな漢字を書いて教室の後ろに1年間掲示する、という拷問のような授業があった。

周りを見ると『友情』『努力』『夢』などといった英雄のような熟語を、皆それぞれに書いていた。

歯の浮くような言葉。
口先だけの熟語だ。
私には聴こえない。


いっそのこと『難聴』とでも書いてやろうと思った矢先、隣を見て驚愕した。

同じ班の鮫川さん。

前々から不思議な子だな、と思っていた。

鮫川さんは、田んぼの『田』という字をでかでかと半紙に書いていた。

私の視線に気づくなり得意げな表情で

形が好きなんだ

とサラサラと半紙に筆で書いてこちらに見せた。


私はゆっくりと首を傾げた。
正直、怖かった。

私の困惑する表情に気づいた鮫川さんは

なんかいっぱい入りそうでしょ

と筆を走らせ、こちらに見せた。

いっぱい入りそう??
田の漢字の中に、という意味だろうか。
半紙を2枚も無駄にさせてしまったが、
その時の私にはあまり理解できなかった。


それから約1年、『努力』や『友情』に混じって、教室の後ろに田んぼの【田】の字が掲示されていた。

もちろん男子は鮫川さんの作品をこれでもかというほど馬鹿にした。

格好の的という言葉通り、田の字の中に数字を書いてダーツの的にして遊んでいた。

それはそうだ。もし私が健常な13歳の男の子に生まれていたら同じことをやるのかもしれない。

女子は女子でもちろん鮫川さんを変わり者扱いし、あまり近づこうとしなかった。
彼女らは思春期真っ只中なのだ。
これは鮫川さん側にも問題がある。
彼女たちこそが"普通の女の子"なのだ。


こうして私と鮫川さんの中学生デビューは華々しく豪快に出鼻を散らしたわけだが(ちなみに私は確か【健康】と書いたと思う。)、当の本人はあまり周りの言動が気にならない質らしく、何故かいつも漢字ノートを取り出してはサラサラと鉛筆を走らせて、耳の聴こえない私と筆談してくれた。


【山崎くんの″叶″も私の田んぼの″田″もさ、パーツも画数も一緒なのにね】


【わかんないんだよみんなには。良さが。一生お米食べるなって感じだよ】

【″夢″より″田″の方が形が綺麗だと思わない?】

【プラスのネジって、マイナスドライバーでも回せちゃうの、変じゃない?】

【辻宮さんはなにか好きなもの、ある?】


鮫川さんは卒業まで一貫して変わり者だった。
と同時に、違うクラスになってもずっと
私と筆談してくれた。

少しずつ彼女の"意味不明"な言動の意図がわかるようになっていった。
色に染められていくのが自分でもわかった。
みんなが近づくことを忌み嫌った鮫川さんの色。
漢字ノートに書いてくれる私だけのための言葉。
彼女のルール。法則。

生まれて初めて、親に欲しいものをねだった。

もっと聴こえる補聴器が欲しい。
話したい人がいる

私のお願いに、両親は涙を流して喜んでくれた。

私はひとりで本を読むのが好きだった。
あなたと一緒に読む本はもっと好きだった。

私は猫と話すのが好きだった。
あなたと猫と遊んだ時間が幸せで堪らなかった。

あなたと、
鮫川音季さんと話がしたかった。

補聴器のLEDはいつの間にか青色に戻っていた。


まさかあなたが1番最初に開けるなんて

ときちゃん。すぐ行くからね。
私の大好きな友達が、助けを求めている。




※ ※(2)*※
三宮和弘

飛行機が好きだ。
他のことはどうでも良くなるくらい、飛行機のことばかり考えていた。

人は空を飛ばない。飛べない。
だから飛行機が空を飛ぶのが不思議で、素敵でたまらなかった。
好きの理由はシンプルだ。


週末はいつも空港に行って日が暮れるまで飛行機の離着陸を見ていた。
おもちゃもゲームも友達もいらなかった。
本当は欲しかったのかもしれないけど。
ただ、空を飛んでる大きな機体を
飽きもせず見つめている、そんな子供だった。

ヒーローごっこもサッカーも僕には退屈だったからだろうか。
そっとしておいて欲しいのに。
周りの同級生はそんな僕を異端だと虐めた。


僕は何か間違ったことをしたのだろうか。
誰かに迷惑をかけただろうか。
みんなは飛行機が空を飛ぶことが不思議じゃないのだろうか。


"異端"なものを排除するのは人間の本能だ。
集団主義。同調圧力。なんて言葉があるが、
自分と周りが同じ考えだと落ち着くのだろう。
 
大切にしていた飛行機の写真を破かれたり
一緒に墜落して死ねばいい、
などとどこで覚えたのか、小学生とは思えない酷い言葉を学校では毎日の様に浴びせられた。


虐めや仲間はずれは行為じゃなくて概念だ。
暴力や言葉以外の形で″運命そのもの″がダイレクトに襲いかかってくる。
仲間はずれにされた人間は、
"仲間はずれにされた人間の生涯" を歩むのだ。


別に悲しくない。
あんな下等な奴らに、僕の好きなものが理解されてたまるか。

そんな僕、三宮和弘(さんのみやかずひろ)に
転機というか、とある出会いがあった。



「空ってすごいよねぇ。木とか生えないし。」


昼休み、少し雲のある空だった。
校舎の渡り廊下で一人。
大きな機体が西の空へ向かうのを眺めていた。

「ねぇ、三宮くん、空ってすごいと思わない?手入れとかさ、要らないんだよ。」

話しかけてきたのは、同じクラスの鮫川さんだった。
前々から不思議な人だな、と思っていた。
みんなが僕に近寄らないように、僕も彼女には極力関わらないようにしていた。


数学でも社会でも、どの授業のときも何故か漢字ノートに板書を書いている変な人だ。
(先生の毎度の注意も虚しく、本人は未だに全教科を漢字ノートに板書しているらしい)


極め付けは、教室の後ろに飾られている
田んぼの″田″の字の書道だ。
あの異質さにはさすがの僕でも引いた。

「ねぇ、あすみちゃんもそう思わない?空ってさ、すっごく広いくせに、権利とか、境界とか、何にもないから飛行機がまっすぐ飛べるんだよねぇ。誰のものでもないんだもんね。」

鮫川さんの隣にいるのは確か、同じクラスの辻宮さん。聴覚に障害がある子だ。

辻宮さんの補聴器のLEDが青く点滅する。


「私は、ときちゃんがすごいって思うのが、すごい。」

と半径15センチくらいしか聞こえないような声で言った。

辻宮さんが人と会話をするのを初めて見た。


「ねぇ、三宮くん、飛行機好きだったよね。あの飛んでるやつ、見てたんでしょ。飛行機ってすごいねぇ。大きいし。速いねぇ。いいなぁ、乗ってみたいなぁ。」


「あれはドリームリフター。元々はボーイング787型機のパーツを輸送するために製造された輸送機だよ。旅客機であるボーイング747-400型機をベースに輸送能力を拡張したもので、車なら80台くらい収容できる。本来、貨物便は夜に離着陸することが多いんだけど、ドリームリフターは例外で昼に飛ぶことが多いんだ。」


口が滑った。
今まで人と会話してなかった反動だろうか。
それはもう、めちゃくちゃ口が滑った。

恥ずかしい、と言う思いと同時に
柄にもなく、嬉しかった。
すごい。乗ってみたい。その言葉が自分のことのようにただただ嬉しかった。


久しぶりに人と、女の子と、それも飛行機の話ができて、完全にハイになっていた。
気づけばオタク特有の早口で、女の子を前に気持ち悪いことを喋ってしまったけど、
情けない。恥ずかしい。の感情よりももっと先端を 嬉しい。が身体中を飛び回った。

飛行機が飛ぶことが凄い、と当たり前のことを褒めてくれる人が、とにかく嬉しかった。


「ねぇ、空港に行ったらさ、あれ、もっと近くで見れるの?飛行機。」

僕の気持ちの悪い早口リプライを気にもかけず、鮫川さんは続けた。

機体は既に、飛行機雲になっていた。


「行こうよ。私、もっと近くで見てみたい。あすみちゃんも行こう?飛行機、もしかしたら乗れるかもよ。」


「チケットが無いと、乗れないと思う。」

小声でツッコむも、辻宮さんは満面の笑みで鮫川さんの手を握っていた。

「ドリームリフターかぁ。。乗りたいなぁ。」

「だからあれは旅客機じゃないから乗れないんだってば。」

中学2年生の夏。飛行機雲の下。
渡り廊下で3人で笑った。

夏休みに3人で空港に行った。
もちろん乗ることはできなかったけど、
目を丸くして、ぽかーんと口を開けて、大きな機体を見上げる彼女たちは、紛れもなく少年の頃の僕だった。



あれからもう10年が過ぎるのか。

まさか1番が鮫川氏だなんて。予想外の結果だ。


飛行機に乗るのはいつぶりだろう。
正直なところ、眺めるのは好きだが自分が搭乗するのは苦手だ。

今はそんなこと言ってられない。
速く。もっと速く。


僕の恩人が、助けを求めている。





(3)

ゴキブリが出た。

かつてこの一文で始まる小説が存在しただろうか。
でも、出てしまったものは仕方ないじゃないか。
わたしは被害者側だ。


前回(♭.5)の続きと行く前に、わたしの短い奮闘記を読んでほしい。

仕事終わり、いつものテトラポッドに寄ってから帰宅。
玄関のドアを開けると奴と目が合った。

まるで空き巣にに入ろうとした泥棒とうっかり遭遇してしまったような。
(よく考えたらその通りなんだけど)

冷静になるのよ。鮫川音季。
奴らは一撃で仕留めないと厄介だ。
追い詰めた!と思った隙間からいつの間にか姿を消したり、リラックスしているときを狙ってひょっこり顔を出したりする。

本来、高速で飛ぶことができるのにカサコソと這いずり回って我々を錯乱させる姿は、わたしから言わせてみれば人間に対する煽りだ。


先ほど郵便受けから取り出した大きめの封筒(多分、保険かなんかの勧誘だろう)を丸めて慎重に近づく。
息を止め、瞬きを止め、時間をも止めそうな集中力からフルスイング。一発で仕留めた。


奴らのことはもちろん好きではないが、不快なだけで別に殺すのに躊躇はない。
海にはあれに似たフナ虫というおぞましい姿の生物がうじゃうじゃいるし、ああいうコソコソ消極的な奴らに尻込みするのはシンプルに悔しいのだ。

その日はゴキブリを退治した爽快感からか、21時頃には布団に入った。
明日は久々の遠方の取材。早起きしなきゃ。


今朝、1通のメールがわたしのPCに届いていた。
送信元は

堀味牧場 食肉センター合同組合 畜産部

わたしが先週、取材のアポイントを取った牧場だ。


先日の新人の潮田の歓迎会で焼肉を食べている時
お肉の製造過程が気になった。
豚や牛の加工工場や卸売市場などの仕事は
何となくのイメージしか湧かないので、
まずはお肉のスタート地点、牧場に取材に行ってみたい、と思いこちらから連絡してみた次第だ。

普段は広告的なアピールの観点から、個人やお店側から取材のオファーが来るのが一般的だが、今回のようにわたしから取材をお願いするケースも多々ある。

早朝5時。県を2つほど跨いだ。
電車とバスに揺られて3時間。
牧場に着くと迎えてくれたのは、優しそうな麦わら帽子を被ったおじさん。

ではなく、190cmはありそうなガタイのいい大男だった。腕は丸太のように太く、ほっぺに刀傷のようなものがある。怖すぎる。
そして一番印象的なのは『目』だ。
鉄をも溶かすレーザービームが出そうなくらいの鋭い眼光。
俺はこの世のすべてが嫌いだ、と言わんばかりの不機嫌そうな目つきだ。


牧場中の動物たちをも戦慄させそうなその目でわたしを見下ろす。

胸ポケットについているネームプレートに
【責任者 村瀬】と書かれている。
雰囲気から只者では無いと思っていたが、どうやらやはり偉い人のようだ。


「初めまして。株式会社テトラジャーナルの鮫川です。本日はお忙しい中、取材へのご協力ありがとうございます。」

初対面の目上の人には自分から挨拶すること。
たとえそれが190センチの大男でも。

『村瀬だ。よろしく。』

わたしの名刺を受取り、村瀬さんはぶっきらぼうに会釈した。

『これからこの工場内を見学してもらう。おそらく、精神的にくるものがあるかと思うが、』

言葉を言い終わる前に村瀬さんはわたしに背中を向け、歩きだした。

『約束だ。後悔するなよ。』


人間には危機感知能力というものが備わっている。
とは言っても
豪雨が来たら「停電に備えよう」 とか
前の車がふらついていたら「車間距離を開けよう」とかそんな程度のことだ。

わたしが今感じているものは少し違う。
「嫌な予感」とか「第六感」とか「本能」とか
そういった類の【理屈で説明できないやつ】だ。

目の前の大きな背中を見つめながら、わたしは工場に入った。


扉を開けた途端、場内から血の匂いと何かが腐った強烈な匂いがわたしを包み込んだ。
大きな機械音に混じって動物の悲鳴が聞こえる。
一気に胃液が込み上げてくる。
吐きそうになるのを我慢した。

そしてガラス張りの向こう側。
わたしの瞳に大きな牛が映る。
これから何をされるかわかっているかのように泣き叫び、暴れている。

バチン!と大きな音がした。
電気を流された牛の巨体が、硬直した後ゆっくりと倒れた。
多分、いや、認めたくないけど。絶対そうだ。

死んだのだ。

倒れる瞬間、虚ろなその目がわたしを見たような気がした。
鳴り響く機械音の中、脈が早くなるのがわかる。
吐き気を我慢しながら、死にゆく獣の瞳から
急いで目をそらした。

目をそらした先には足を縛られたまま吊り下げられている牛の死体がスキー場のリフトのように次々と運ばれている。

アームのような機械が牛の周りでうごめき
そして、首をはねた。
大量の血と肉片が丁寧に仕分けされていく。

『何してる。こっちだ。』

村瀬さんは私を置いてスタスタと奥の方へ歩いていく。

目の前の光景に脳が追いつかない。
わたしは牧場に取材に来たはずだった。
牛や羊と戯れて、あわよくばお土産に新鮮なヨーグルトでも貰えるもんだと思っていた。

身体が、手足が、動いてくれない。
目の前の残虐な景色から目を逸らすこともできず
首を切られ、血を抜かれ、皮を剥がれる動物たちの中でわたしは立ちすくんだまま動けなかった。

機械の轟音と動物の悲鳴。獣の血の匂い。
気絶しそう。吐きそう。おかしくなりそうだ。

目は開いているが、脳が失神している。
立っているのがやっとだ。
走馬灯のようにいろんな記憶や思いが炭酸の泡のように込み上げて消えていく。

その中に1つ光る泡。
10歳のとき。お父さんとの記憶だ。

音季。サッカー選手にはスポットライトが当たるけど、ゴールネットを作ってる工場のことはみんな知らないだろ?
芝の整備をした人をカメラは映さないだろ?
あの選手の、専属の美容師の、ハサミを作りました、なんて職人さんもいる。

目に見えないところにいろんな仕事がある。
その人たちがいないと地球が回んないんだ。
明日が来ないんだよ。


わたしの大切な言葉だ。
お父さん。
助けに来てくれた。

お父さんは海岸にテトラポットを設置する仕事をしていた。
わたしが10歳のとき、作業中クレーンで海に沈めたテトラポッドの下敷きになり死亡した。

窒息死だったとか圧死だったとか
そんなこと知りたくもなかったけど
いずれにせよ即死だったことだけ聞かされた。


小学校で訃報を聞いたとき、わたしは1人で泥をこねて遊んでいた。


「おとうさんがじこでしんじゃったの。」

学校に迎えに来た母の言葉の意味はもちろんわかったけど、その時はどうしていいかわからず、お父さんのことを考えながら泥をこね続けて静かに泣いた。

目に見えないところにいろんな仕事がある。
その人たちがいないと明日が来ない。

お父さんがわたしにくれた言葉。
呪文のように呟くと、不思議といつもあたたかい気持ちになれた。
この仕事をするようになってから、何度もこの言葉を思い出す。

 
目の前では休むことなく、動物の首が切断されている。
その様子を無の境地で村瀬さんが見つめながら歩いていく。

手足も動かず、戦慄するわたしの全身。
荒く口で息をする。
喉を酸素がなんとか通過しようとする。

歩け。動け。わかってる。負けるな。鮫川音季。

轟音と悲鳴の中
残虐な既成事実のど真ん中
ゆっくりと、倒れそうになりながらも
わたしは歩き出す。
両足に絡みつく先程の氷のような言葉を、
必死に振りほどく。

【約束だ。後悔するなよ。】

するもんか。後悔なんか。
わたしは、あなたのこの仕事を、
誰かに伝えるんだ。




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