電脳断捨離実行録 幕間

僕はつくづく弱い生き物だ。
電脳断捨離の記事を書き始めてしばらくはずっと続けて書いていたけれど、こうして時間があくと何をどこまで行っていたのかを忘れてしまうぐらい自分の記憶が保てない大人になってしまった。若干怖く思うくらい、真っ白になっている。

前回別のnoteのアカウントを作って、そこで出す記事の下書きをいくつか作るのに注力していた。こちらの記事も定期的にやる気だったのに、明日が来週、とかになってしまった。

キーワードとなる「怠惰」というものが顔を覗かせている。電脳断捨離という行為と記事の作成をもって、自己の人生に改変の圧をかけていくことが大きな目的でもあるのに、顔を出してくる。

最近、真面目に筋トレを毎日続けていることは誇らしいけれど、このマガジンだって、続いてたのに時間があいているわけだから、安堵していい数字ではない。

いつだったか、テレビで見たロザンの宇治原さんの言っていたことをふと思い出した。

「モチベーションの良し悪しに左右されず、毎日1ページと決めたら継続することが大事だ」

現時点では、人生に数多ある項目のうち、筋トレしか同一速度で継続できていない。他の項目も増やしたい。wantであるうちは事後になってないので、筋トレみたいに目標を掲げずに継続しようとするだけなのに、腰が重い。

アドラー心理学みたいな考え方をすると、本当はやりたくないのだろう? とか言われてしまいそうだ。

やりたくないけど、やってみようかなとは思うので、また三日坊主になってもいいやの精神でこうして記事を書いてみた。一応は書けたのだから、やりたくない訳じゃなかったようだ。よかった。まだ炎は消えちゃいない。

電脳断捨離を続けよう。
最後に、これは自分自身に向けて釘を差しておこうと思う。

電脳断捨離をしなくなってから自分の中にまたじれったい、でも何も変えることのできない焦燥感や諦観に負ける時間が増えている。僕自身がその状態から抜け出そうと、がむしゃらにではなく、計画性をもって対応していこうとした行為だ。それをやめるってことは、禁煙を決意して喫煙するとか、ダイエットをしようとしてやめるとか、そういった繰り返しと同一の行為だ。

何度も気づいてきたと思うけれど僕は怠惰な人間だ。怠惰は心がけでは治らない。夏休みの宿題を、日頃の宿題を、あとまわしにしてきた小学生時代からの訓練づけの結果のようなものだ。心癖をなおすのはたやすくない。罰を避けるために動こうとするのも違うし、これができなかったら、これができたらという、報酬と罰則の存在で行動変容させようとすることは、僕には合わない。行動原理にそぐわない。そこまで自分に向き合えていたらこんなことにはなっていない。だから、報酬や罰で自己を縛らない方法を選ぼう。

世間の正解が自分の正解になるとは限らない。
無理や無茶の発生のない「習慣」を身につけることが重要だ。
体重がMAX94キロだったものが90になりつつある。
前回が92と書いてたので2キロ減った。
頻繁に泡立っていた尿が「たまに」になりつつある。これは評価したい。

記事はサボっているが、運動は継続している。大丈夫だ。器用にこなせていないだけで、何かしらには取り組めている。

次の記事でも、嘘をつかずに、正直に右往左往する自分を残そう。
記憶違いはあるかもしれないが、これは実行録なのだから、実験の数値を偽ってはならないように、虚飾はしない。

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