過去を捨てたいわけじゃないけれど、疎遠の先に永久不滅ポイントはない。

かれこれ10年ほど前までは個人で詩のサイトを熱心にやっていた。
サービス終了によって消えた。
Twitterで創作アカウントをつくったときにはその名前を捨てた。
心機一転みたいな気持ちだ。
仲良くしてもらったひともいるし、仲良くしたいと思ってくれた人もいたかもしれない。でも、ちょっと乗り気じゃなかった。

いまでも仲良くしている相手も少ないけど存在する。ぼくよりもずっと積極的に創作活動をしていて、こっそり尊敬している。

これまでの人生、疎遠を選択される相手になることが多かった。しかし、ここ数年のあいだに疎遠になってもいいかなって思う繋がりも出てきた。
正直、付き合う人間が変わっていくのは仕方のないことだと思う。
関係を疎遠にされてしまう側を経験していると「悲しい」とか「嫌だな」という感情になるし、そういうことはするまいと思うのだが、永久不滅ポイントは存在しない。ということを残念ながら理解していく。
それがぼくの30代からの履修科目なのだろう。
される側からする側になる経験がやってきているのだと思う。

たいていの相手は両思いのように離れていく。

追いかけてきてくれる人もいる。

追いかけてきてくれと頼んだ相手もいた。

疎遠だったのがふらっとやってきて「当時」の感じで距離をつめてこようとされて戸惑うこともある。

こちらの戸惑いを知ってか知らずか、ぐいぐいこられるときの、あの「嫌いじゃないけどもうあの、その、友情不滅ポイントは失効しておりまして。新規発行の手続きをしていただけましたらと…」と思う感じのソレである。

友情銀行に口座は残っているのだが、なにぶん利用していない期間が長すぎたので残高は残ってないです。という具合のやつである。

ユーザーからしてみれば、こっちはこんなにも熱があるのに! と思って伝えて頂いたりするのだけれど、なんかこう、その、えっと、ごめんなさい。はじめましてからお願いできますか? あの、えっと、あ、はい。

みたいになるやつである。同じ内容を手を変え品を変え三度言いたくなるくらいの気持ち。そういう気持ちを経験したくなくって、できれば、もう何年も密にお話していない相手とは、新規の方くらいの感覚できてもらえたほうがこちらとしては気を悪くさせないで済むのになぁと思ったりする。

思っている側の「思い」とは裏腹なものなので、「あ、好感度のポイント消えてる。てかマイナスなってるやん」みたいな気持ちになるのは悲しいのでわかるのだけれど、逆に立場を考えると、思いに答えられないもどかしさも理解できる。関わっていない間の人生経験で、ただもう価値観があわなくなってしまっているだろうなという予測がたってしまって、苦手意識になっているパターンもある。

こればっかりは、される側はどうにもできないし、する側もどうにもできない。不幸なすれちがいだと思うけれど、仕方のないすれ違いだよなと思う。

昔の作品を載せるようになって、不意に考えてみたことなのだが、妙に深刻な感じになってしまった。心当たりはないはずなのだが。

なんだろう。過去の常連さんという関係ほどギクシャク事故という誰も悪くない不幸な事故が起きてしまうと思ってしまった。

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