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【エッセイ】Fの箱部屋

 ひな人形が廊下の突き当たりに置かれていて、怖かった記憶があります。




 置き場所がなく、私の部屋の近くでもある廊下の突き当たりにひな人形を飾ったのは父でした。別に女の子の成長を祝う日だから私の部屋の近くに置いたわけでは全くなく、ただ、ひな人形を飾ることが出来るのが偶然廊下の突き当たりだっただけにすぎません。

 部屋に向かおうと階段を上がって目を向けた瞬間、五体の人形がこちらを見ているというのは、まだ一人で寝るのも怖かった私には刺激が強いものでした。

 ひな祭りの意味を知らなかった私は、人形を片付けてもらうようお願いをしました。怖くて部屋に行くのが嫌だ、びっくりしてしまう、と。
 女兄弟はいないので女の子である私を祝っているものではあるのですが、そんなこと知る由もなく、ひな人形は押入れの中に仕舞われました。今も残っているかは分かりません。


 兄弟の多い私は、当時、年の近い兄弟と同じ部屋で眠っていました。
 その日は、眠ることが出来ませんでした。先に眠ってしまった弟たちを起こすことは出来ず、しかし、豆電球だけの部屋で眠ることも出来ず、扉を開けて眠ろうと思いました。廊下の明かりをつけて、明かりが入り込むように。

 廊下を通りかかった父親が、近くに来てくれたことを覚えています。
 眠れないことを告げるとベッドの縁に腰掛けてくれて、私が眠るまで近くにいてくれました。ただ隣にいてくれただけでした。廊下の明かりで暗い影の落ちた父の表情を、もう覚えていません。でも、おかげでいつの間にか眠りに落ちていました。

 

 幼い頃、音楽番組で流れる歌を口ずさんでいた時、
「歌がうまいな」
と、父に言われたことがありました。初めて言われた言葉を素直に受け止めた私は、将来は歌手になろうと思った時期がありました。

 当時、周りの子が上手な絵を描いているところを、見ているばかりでした。私も描ければと思い鉛筆を持ちましたが、同じようには描けませんでした。悔しかった私が目に付けたのは、〝文字〟でした。文字なら私にも書けると思い、小説を書き始めたのが私の原点です。

 優れた何かを持っているわけではなかった私にとって、歌を褒めてくれたことは、私の中では衝撃的なことでした。純粋だった私は素直にそれを受け止めましたが、歌手の夢はすぐにお花屋さんに変わりました。子供の夢ってそんなもの。


 こういう、ひとつひとつのできごとを思い出すたびに、当時の父は何を思っていたのか、と本人でさえももう忘れてしまっているかもしれないことに思考を奪われてしまいます。
 大人になってからようやく、相手の気持ちを想像できるようになって、当時は知らなかった感情を抱きだして。大人たちはいろんなことを経験してきたのだと、心の底から深く感じるようになるのです。これまでの私の脳が死んでいたのではないかと思うほど、深く、深く。

 スキマスイッチの奏を聞いて泣いてしまうようになったのは、いつのころだったでしょうか。



 私があなたの目の前に現れた時、見えるものは何か変わっていましたか?

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