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書評「世界を敵に回しても、命のために闘う」②

前回の続きです。重要である記述を引用しながら論評します。0か1思考では進められない、時には思い切った措置が必要な事を教えてくれます。

堀岡氏(厚生労働省医政局保険医療技術調整官)は横浜港で制度をねじ曲げることをやったという。日赤救護班の医師が船内に入れない。法律上検疫の現場には厚労省職員の検疫官しか入れないが、日赤の医師らがいなければ話にならない。そこで臨時検疫官という制度を利用して入船。(p.60~62)

危機的状況を乗り切るため、自分の判断で立ち向かったお話は意外と知られていないと思います。堀岡氏は近藤氏と阿南氏に現場の指揮を任せた記述のあと、野党やマスコミが見たら騒ぎそうなコメントが続いた。

「現場に入って、『感染対策なんかどうでもいい』とまず思いました。もちろん、どうでもいいなんてことはないんですが、重症者の搬送こそ喫緊の課題で、感染症対策はあとでいいんだと理解しました。国と現場の認識の間に乖離があったことに気づいたのです。霞が関にいると現場感覚がないから、『検査して陽性者を早く船外に出せ』と言いたくなる。ところが現場に来て見ると、陽性者といっても元気な乗員がたくさんいる。高熱を出して咳が止まらない高齢者の手当のほうが先だということが分かった。このままでは人が死ぬ。コロナでなく、普通の病気でたくさん死んでしまう、って(p.67)」

切り取りでやると物騒なコメントです。現場で命を救うために最優先になることと本部とでは違う事が判ります。

「防衛省で言えば、僕(堀岡氏)は背広組、文官、シビリアンです、一方、阿南先生や近藤先生は制服組、自衛官にあたります。文官は位が上だから気を遣ってもらえますが、現場を分かっているのは制服組なんです。阿南先生、近藤先生の指揮は完璧だった。それが1日でわかっちゃったんです。だから、指揮、調整は一切しなかった(p.68)」

結局堀岡氏は搬送先の手配に尽力することになります。そして阿南氏は医療崩壊についてしっかりコメントしています。

「コロナでやられるんじゃなくて、コロナのために他の医療ができなくなる。それが医療崩壊なんです(p.73)」

コロナに目を奪われすぎず、通常の医療をどうやって守り抜くのか。そこに総力を挙げるべきだ、という事です。なおDP号の時は自衛隊中央病院と藤田医科大学岡崎医療センターがまとまった患者を受け入れる事でかなり助かりました。しかも自衛隊中央病院が「DP号患者の大量受け入れ」を行ったことで、現場の医師がコロナによる医療崩壊を阻止するヒントをつかみます。

核となる考えが「中等症」。「無症状・軽症」ではないが、かといって重症でもない。その中間の症状の人達を分類した言葉です。災害医療では基本的な考えだったが、それをコロナ対策で応用しました。陽性者のうち、「無症状・軽症」の人たちを選び出し、病院外の宿泊施設や自宅で健康管理しながら療養してもらう。中等症を専門に診る病院を重点医療機関に指定する。この考え方が「神奈川モデル」でした。(p85~86)

この神奈川モデルが国のコロナ対策全体の下敷きになる話が後の章で出てきます。神奈川モデルの誕生の後はあの岩田健太郎氏の話なのですが、これも長くなるので次回にします。

ここまでご覧下さり、ありがとうございました。


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