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第3話前編 知らないことに気づかない

セクション1 ソクラテスと科学者

「無知の知」とは哲学者ソクラテスの代名詞です。ソクラテスは人間にとって大切な事柄を求めて聞いて回ったが、『世の知識人たち』は答えられなかった。自分が知らないことを自覚した上で、謙虚に求め続けるのが知恵のある人間だと気づいた。そういうことらしいです。

学者や科学者という人種には口ぐせがあります。「今の科学は解明できないことだらけだよ。自分も何も分かっていない。」

最近『1+1=2の証明』がプチブームを起こしています。皆さん小学校で算数を習い、中学と高校では数学という教科があり、得意な人は大学では数学を専攻します。小学校で1+1の計算からから始まり、中学で1次・2次方程式、高校で三角関数や微積分が登場します。では大学の数学科では何をするかというと、例えば『1+1₌2』みたいなことをするわけです。攻めた言い方をしますが、高校までは「計算」で、大学からが「数学」という学問になります。

<セクション2>で無力感というモノに更なるイメージ付けをします。


セクション2 無力感が頭をもたげる


高校まではどんどん複雑な計算ができるようになって、日常の色んな問題が解けるようになっていきます。けれど大学で学問を始めると、更地に戻して最初から積み上げ行くときに、「自分は何もかも分かっていなかったんだ」という無力感にも似た感覚が大きくなっていくのです。

本当にしたいのは数学に限った話ではないのですが、『1+1=2』っていう式がキャッチーなので使ってみました。

学問知識というのは、積めば積むほど出来ることは増えているはずです。でもそれにつれて、自分の「まだこんなことも知らないんだ」という気づきも増えていきます。解明されていることと未解明のことがあることを、はっきりと突き付けられるという具合です。

#003-1-01 未知領域の比較

お仕事でも考えてみましょう。医療に進むひとは、人を助けたいと志を持っていました。現場に出てからは検査をして、処置をして薬を出すことで多くの治療ができるようになります。もちろん職業人としてのスキルの幅は広がるんですが、それでも出来ないことはできない。特効薬などは滅多になく、症状を和らげる薬というのがほとんどです。難病の数々は診断こそできても、治療法がないことはザラです。「力が及ぶこと」とは医療の進歩の範囲内でできることです。働いているとそんな状況を楽観的に捉えつづけるのは無理です。

抽象的で分かりにくかったかもしれませんね。では、こういう言い方はどうでしょうか?「大人になったら何でもできるようになってるんだ!」と無邪気だった子どもの20年後をイメージして下さい。

<セクション3>では人それぞれの知っている限界についてみましょう。

セクション3 知識の格差

人間は自分が分かっていること、つまり既に理解していることのちょっとだけ外側は見えているような気がします。レベル1の人は、次のレベル2は見えている。レベル7の人は、レベル8が見えている。しかしあまりに外側のことは見えない。レベル1のひとにはレベル3が存在することが気づかないし、レベル7のひとでも、きっとレベル9は認識できていない。

#003-1-02 2レベル乖離

たとえば各分野の専門家は学会で知見を共有します。同業者の間では言葉も話も通じるわけです。でも専門外の一般のひとにとってはどうでしょう。一変して何を言っているのか意味不明でしょう。でも理解してもらえないからといって、その価値が少しでも揺るぐものではないですね。なにせ学者の間であったとしても、世紀の大発見はすぐには受け入れられない宿命なんですから。

ところで世の中には説明するのが上手いと言われるひとがいます。専門的な分野のほんのちょっとだけ難しい内容を、普通のひとにでも分かる言葉や日常的なイメージを使って説明できる人達です。

疲れてきたので<セクション4>はティーブレイクにしましょう。心理学の小ばなしをします。

セクション4 心理学の例

心理学の知見を3つ紹介します。

(1.)線の長さを比べる課題です。間違えようがない程に簡単なタスクで、左の例と同じ長さの線を右側のa, b, cの中から選ぶだけです。参加者の集団に対して順番に聞いていきますが、実はあなた以外はサクラです。皆んながそろって同じ間違いを口にしますが、次はいよいよあなたの番です。この状況ではあなたも同じ間違いの回答をすることになります。(アッシュの同調実験)

#003-1-03 引き離すアッシュの同調実験

(2.)あなたは犯罪を目の当たりにします。他にも大勢のひとが観ているにもかかわらず、誰一人として助けに入ったり通報しに行くひとはいません。被害者が殺められるのをただただ傍観する結果になりました。(傍観者心理)

(3.)意思決定をしないといけない場面です。あなた一人で決めるのに比べて、集団で話し合って意思決定をしたときは、より極端な決定をしてしまいました。リスキーな方向に話し合いが盛り上がったり、慎重になりすぎるかのどちらかです。(集団極性化)

(1.)~(3.)で何が示唆されるのか<セクション5>でコメントを加えます。

セクション5 心理学で得られる気づき

<セクション4>では集団の心理学の話をしました。大勢が集まれば同調もするし、1人ひとりの責任が分散されるように思います。当然のことですね。これは普通のひとが当たり前に思っていることを、言葉として書き起こしただけです。

しかし3つの実験は意外な指摘をしてくれました。私たちが常識に思っていた感覚があります:

「(¬1.)あまりにも自明なタスクはさすがに正解するだろう。」
「(¬2.)人の目が多いからココは安全だろう。」
「(¬3.)複数人で意見を交わせばバランスのとれた結果になるだろう。」

これらの『当たり前』をすべて裏切る結果となりました。同調圧力や責任分散はそれほどまでに絶大なものだったということです。

普通のひとにとって、自分の分かっていることと知らなかったことの、ちょうど境界にある話だったと思います。両者を橋渡しして教えてくれました。だからこそ目から鱗が落ちた人も少なくないはずです。

#003-1-04 心理学のイメージ

心理学の扱う対象は人間ですし、それも日常に関わる題材がほとんどです。誰にでも思い当たる内容ばかりだと言ってしまえば、学問としてはつまらなく聞こえます。ところが逆に言えば皆が興味を持てるということでもあります。心理学を勉強してみると、実例や実験を交えて説明をするのに慣れます。修了すれば話がおもしろい人だと思われることができそうです。

ティーブレイクはお開きにして<セクション6>で本論に戻ります。

セクション6 内省

学問であれ職業であれその道に通じていくことで、知らなかったことを知っていくという段階を経ます。その過程で、ものの見方がこれほどまでに変わるのかという体験をします。なにかしらの例では1人1人が思い当たるはずです。

さて一番最初の数学の例えに帰郷します。

小学生…1+1の計算
中学生…1次・2次方程式
高校生…三角関数、微分積分
大学生…『1+1=2』の証明

中学生にとっては高校で突如現れる微分積分の計算なんて、出逢うより遥か前なので気づく由もないです。ましてや大学で『1+1=2』と向き合うことになるなんて夢にも見ていません。


タイトルはダブルミーニングで付けました。
「知らないことに気づかない」とはつまり、

…未知に気づかない
…無知に気づかない

知識格差シリーズ第1部
第3話前編 知らないことに気づかない

おわり//


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