見出し画像

自己とはなんぞや、仕事とはなんぞや。[読書感想文]京都「私設圖書館」というライフスタイル

久しぶりの読書感想文。

と、その前に。私の仕事を紹介しつつ、整理してみる。

我が家は、二つの自営業を夫と二人で営んでいる。

一つ目はお寺。
これは家業であり、地域にとってもなくてはならない仕事である。
絶対に辞められない、皆にとって必要な仕事と思って取り組んでいる。
仏教の勉強も楽しい。

ただ、田舎で檀家数が少なく、これだけで生計が立てられるわけではないため、生活のために別の仕事をしないといけない。
近隣のお寺の方々もどこかにお勤めの兼業坊主が多い。

だけど私たちは、わざわざ自営業を選んでいる。

収入面だけでいえば、いわゆるサラリーマンになる方が、よほど安定する。

それなのに、なぜ(儲からない!!←小声)自営業を選んでいるか。

そこにはやっぱり、「自分が自分として満足できる仕事がしたい」という思いがあるのだろう。


この、私が思っている「自分が自分として満足できる仕事」というのは、この本で著者が「型にはまらない生き方」として著されている事と同義なのだと思う。

本の帯にも書かれている「型にはまらない生き方」とは。
一般的なイメージとして、”破天荒な”とか”自由気まま”とか?度が過ぎると”勝手でわがまま”とか。よくも悪くも他人に左右されない生き方の事を指すのではないだろうか。

だけど、著者が言わんとするところは、世間一般のイメージとは少し違うらしい。


「型にはまらない生き方」の前に、著者は「個人主義」について触れている。

  • 「個人主義」とは

私の考える個人主義は、自己犠牲や得にならないこともする。社会へも働きかける。(中略)アイデンティティを確認できるかどうかを重要視する。(p142)

個人主義というと、個人の自由とか、自分勝手な行動とかいうことを想像しがちだが、そういった利己主義的な個人ではなく、自分をとりまく環境の中の自分という意味の”個人”らしい。
視点を『自分中心』ではなく、もっと広い『周囲の環境』から見た自分に移した時、身の振り方が自然と決まるということではないか。
(一種のメタ認知なのかな?)

いわば、この社会の中で自分をどう”役立たせるか” 。
どう役立ったときに、自分が自分としていられるか。

それは他を蹴落としてどんどんお金を稼ぐことだろうか。
自分だけのものとしてお金を貯め、増やすことだろうか。

作者が言う意味での「個人主義」の視点が、これから生きていく上で大切になるはず。

  • 「型にはまらない生き方」とは

自分の人生を他人に預けない。人まかせにしない生き方。(p144)

繰り返しになるが、人任せにしない生き方というのは、自分勝手に生きて良いということではない。

先の「個人主義」の感覚をベースにしてはじめて、自己を認識し、自分の人生のイニシアチブをとっていくことができるのだと思う。

だから、著者は「型にはまらない生き方」といって、自由に生きられそうな自営業を選んでいるのではない。

実際、周囲に必要とされる「私設圖書館」と、家庭の両方を守っていくために40代で就職するという経緯があったと書かれていた。

つまり、「自由な自営業」が目的ではなく、周囲との繋がりの中で自分の役割を果たすことが目的なのだ。

自分にはそういう視座があるだろうか。
そこまでのしなやかさがあるだろうか。


「平凡な人間が平凡に生きては、自己を見失ってしまう」(p144)

自分のことを「平凡」と言い切っているところがすごい。
やっぱり、自分のことを「平凡」とは思いたくない。
どこか特別だと信じたい。
だけどそれは、今この時点での等身大の自分を見失っている。
特別でありたいという、願望を追いかけているだけなのだ。


多様な生き方が当たり前になっている現代において、もはや平凡な生き方など無いのかもしれない。

そんな中にあっても、「自分が自分として満足できる仕事」をするためには、まず自分というものがなんなのか、その本質を見失わないように、常に問い続けていく必要がありそうだ。



今回は、硬い文章になってしまった。
更新が遅くなったのは、東京リベンジャーズに熱中しているせいで。
みんな自分を貫いていてかっけーよ!!
と、勝手に記事内容と繋げてみたりしたら、言い訳が言い訳でなくなるかな。


この記事が参加している募集

#読書感想文

191,896件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?