2024.6月① 宿題無くなれと頭悩ませている事自体が稚拙だったかもしれない
娘の学年がかわり、担任の先生もかわった。
以前より、なんとなく前向きに学校に行ってる気がする。
後輩が増えたという、先輩としての自覚なのか。
学校という社会に慣れはじめたからなのか。(こわい)
宿題に関しても、未だ頭を悩ませているところではあるが、(もはやデフォ)先日、ママ友たちとの飲み会で、「あーー宿題なくなってくれんかなー」と私がこぼしたところ。苦笑いされてしまったので、((やはり宿題なくなって欲しい派はまだまだ少数なのか…))と残念に感じていたら、
「宿題ねー。そんな負担になるような量じゃないよね。もう、やりたくないならやらなければ良いんじゃない?出来るときだけやれば。」
と言われた。
いやはや、ママ友たちの達観した姿勢に感服です。
私は、『宿題が嫌』という事象に対して、システムそのものや大枠が変化して欲しいという思考だったのに対し、ママ友たちは、与えられた枠の中でどういう選択(ここでは[宿題をするorしない])をしていくかは子どもたち次第だという思考だったのだ。
そもそも、人生ってその連続なのかもしれない、とさえ思えてきた。
与えられている環境の中で、自分で選択をし、自分でその結果を引き受けていく。
まだまだ自分は子供について手綱をにぎっているような気になっているのかもしれない。もっと手放していけるのかもしれないと思わされた。
宿題自体に意味があるのかないのか、それはまた別の問題。
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