自己紹介③新雑誌創刊~30代編集者の苦悩【2004年~2016年】
バイラが好きだった私は、31歳にして突然「50代向けの雑誌準備室に異動」と言われて目が点に。当時は40歳以上がターゲットのいわゆるファッション誌は、メジャーではありませんでした。
今となってはすてきな大人の女性の存在は顕在化していますが、当時は「50代」といわゆる「女性誌」の世界の接点が、まだ存在していなかった。
忘れられないのが、とある社外スタッフのかたに異動を伝えたときに、「50代向けの雑誌って、オムツの広告とか入れるの?」と聞かれたことです。いま49歳の私は「そんな、失礼な!」と思いますが、当時は「50代女性」の解像度って「おばさん」しかなかった。しかも私は、そのままその言葉を「あれ?そうか。そうなのかな? なんかショック・・」とそのまま受け止めてしまったという。
さて、「新雑誌準備室」で雑誌の名称を決定するところから関わった体験は、大変に貴重でした。しかし、苦労もたくさんありました。
まず、それまでファッションを担当していた人間が私しかいなかったこと。なんとか雑誌の名前を覚えてもらおうと、とあるブランドの展示会で名刺を見せて媒体の説明をはじめると、「うちで扱ってるブランドにそういうのないですけど…」と迷惑そうなお顔。「鼻で笑われる」とはこういうことか、と感じたこともあります。
入社して、よく「看板で仕事をするな」とは言われましたが、ああ、自分は、看板とイコールの人間であり、なんの価値もないのだな、と思いました。
新しい媒体に異動すると、仕事をするスタッフがガラリと変わります。若い雑誌しかやっていなかった自分には、人脈も信頼もない。媒体ごとバカにされる。このころは、かなり落ち込むことが多かったです。若かったこともあって、周囲に迷惑をかけていた自覚もあります。
ただ、創刊に携わるという貴重な体験とともに、このときから美容担当も兼任することになったのは今も人生の財産です。
2000年代半ばは、まだまだ「ファッション」が好きか「美容」が好きか、嗜好が分かれていた時代。おしゃれな人はすっぴん風、美容が好きな人はしっかりメイク、というのが大多数だったと思います。けれどもこの時代、今も尊敬する美容編集者のかたに初めてお会いしたら、ものすごく肌がキレイで、メイクがおしゃれで・・・!
2023年の今、そのようなかたはたくさん見かけますが、当時の私には衝撃でした。「美容に疎いって、ぜんぜんすてきじゃない」「美容って面白い!」と思ったのがそのときです。大人の媒体なので、「美と健康は常にセット」という認識から入ったのもよかったです。
このころの私を支えたのは「取材」でした。当時の私は31歳、読者は40代後半~50歳。でも私には、取材という武器がある。実年齢に関係なく、取材ができれば、仕事ができる。
ちなみに、「その年齢にならないとわからないのよ」と言われたこともありますが(こういうのは忘れられないものですね…笑)、それだったら、セブンティーンの編集部は全員JKでなければいけません。
また、ジュエリーの担当になって、アートピースのような(手のひらに乗る家1軒の価格とか)ジュエリーを実際に見たり、撮影して記事にしたりすることは、素晴らしい体験でした。
約2年後に、私は創刊2年目の「マリソル」に異動しました。「マリソル」は現在ECブランドとなっていますが、40歳前後の女性がターゲット。また、この時期に産休育休をとり、子どもが2ヶ月のときに、東日本大震災がありました。
これも、忘れられない経験です。今まで自分が誇りをもってやってきた仕事が、何の役にもたたない。そもそも、自分と家族を守るので精一杯。自分の目の前には何万人もの読者がいらっしゃり、幸せのお手伝いをしていると思っていた。でもそれは幻だった。10年以上も、何をしていたんだろう?今私は、ただの無力な人間だ、と自分を責めました。
でも、そんな私を救ってくれたのは、ボランティアの美容師の方々の活躍や、避難所で回し読みしていただいて、ボロボロになったジャンプのニュースでした。悲しくつらくなることも多かったのですが、美容の力やマンガの力のニュースに触れ、少し前向きになれたことを思い出します。
この頃、雑誌ではなく本を作りたい、と思いました。叶わなかったのですが…。
そして育休から仕事にも復帰した後の2016年、副編になって再びノンノへ異動。人生最大のパラダイムシフトが私を待ち受けていました。
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