メディアにおける「いい写真」って?

6月に就任したオンラインメディア「yoi」にも触れつつ、今日は写真のお話を。

「yoi」は「心・体・性のウエルネスメディア」を掲げて、現在リニューアル中です。コンテンツは9月公開分から反映され、サイトの見え方は早ければ秋深まるころにリニューアルが反映される…という希望を出しているところ(これが変わらないと変わった感が見えにくいのですが)。

「yoi」の読者は、主に20代後半から30歳前後の女性です(※と、いっても年齢性別問わず読める記事が多いです。メンタルヘルスの記事や新進気鋭の方々のインタビューなど)。

リニューアルに際して、私がもっとも「yoi」の特長になる、と思っているのはサイト内の写真やデザインの表現。

現在20代後半から30歳前後の世代は、ティーンのころからInstagramなどのSNS利用が日常です。

フォロワーの多寡、友人向けか広く一般向けか、肌の加工をしているかしていないかとかそのへんはどっちでもよくて、ポイントは、自分でクリエイティブを創って発信することが日常の世代、ということ。そしてほぼ毎日、大量の写真やデザインを目にしている世代、ということです。

読者インタビューも始めていますが、その上までの世代に比べて「視覚的共感」の感度が研ぎ澄まされていると感じます。写真やデザインが自分の心に響くかどうかを、瞬時に判断できるのです。

「視覚的共感」といえば、そもそも私が長く所属していたファッション誌の写真は、そういった要素をもっていました。モデルの表情、ポーズ、ロケ場所やスタジオの雰囲気、光の表現など、その媒体ならではの価値を持つ写真は、読者の皆さんに「いい写真」として伝わります。

理由を言語化できなくても、ページをめくっていてふと手がとまる素敵な写真やレイアウトデザインは、視覚的に読者の心をつかんで離さない。「これは私が好きな世界だ」と思ってくれます。紙媒体であれば、プリントの表現も「いい写真」の条件に含まれます。

ちなみに補足しますと、ファッション誌では、服の色や素材感がきちんと実物とあっているか、服のシルエットがよくわかるか、というのは、新人が教わる大前提です。

私が生涯の仕事軸にしている「いい写真」の定義があります。それはアメリカの写真家、アーヴィング・ペン(1917-2009)の言葉。

「ファッション写真はポートレートであり、ポートレートはファッション写真である」。

この言葉に出会ったのは、ちょうどノンノからバイラに異動したころ(自己紹介②ご覧ください)。ファッションに加えてインタビューを担当するようになった私は、「いい写真」で悩んでいました。

当時の私は、インタビューで撮影する「ポートレート」にファッション写真的な完成度を求めてしまっていました。それはそれで素敵かもしれないけれど、美しく完璧な構図とは、果たしてポートレートの必要条件なのか。いや十分条件でしかないだろう。自分が今の媒体にいて、担当するインタビューの撮影って、何を目指したらいいのか?

そんなときに出会ったのが、この言葉でした。

よく考えたら、優れたファッション写真は、モデルの新しい可能性が開花した瞬間をとらえた1枚だったりします。被写体であるモデル自身の魅力がキラキラと輝くポートレートと、瑞々しさが命の雑誌媒体のファッションの表現は、分けて考えられるものではないと思っています。

そして優れたポートレートは、表情、ポーズ、構図、撮影場所、光の表現など、すべてが美しく(美しい、とは容姿的なものではなく)、ファッション的な視点がすべて満たされ、さらなる価値のある素晴らしい写真であることが多いです。

つまり、いい写真とは、複数の価値を持っている。だからこそ、多くの人の心をとらえるのだと思います。

また、いい写真が複数の価値を持つからこそ、お気に入りの写真集など、折に触れ見返するたびに新しい発見があるように思います。どんな写真のジャンルであっても。

「ファッション写真はポートレートであり、ポートレートはファッション写真である」。
私は、この言葉を仕事軸にしています。

仕事軸、といいますのは、仕事全般に応用できるから。記事づくりに関しても、「いい記事」とは、必ず複数の価値を持っています。正確な知識の伝達、新鮮な視点、共感を持てる語り口、ずっと見ていたいと思わせる写真やデザインの美しさなどなど。

「yoi」のインタビュー企画は「心と体」にまるわるものが多く、心象風景をとらえるような、アーティな写真を撮っていきます。ファッション誌のスタンスとはまた違って、とても楽しみです。コンテンツやサイト内、徐々にリニューアルをしていきます!

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