見出し画像

色気についての考察

 「大豆田とわ子と三人の元夫」を観ている。私はもともと坂本裕二さんが脚本を担当された作品が好きで、「大豆田とわ子と三人の元夫」もいずれは観たいと思っていたのだけれど、私にとっての最高傑作が何時までも「カルテット」であってほしいという強火なオタク精神が顔を出してそれを邪魔していた。
 実際に観てみると、当然のように面白くて 全身が画面に吸い寄せられるような感覚に少々の恐怖を覚える。音楽、間、セリフ、表情、言葉、全てが至高。あんな桃源郷みたいな、地下道みたいな、全てをどうやって想起するのだろう、脳みそを繋げてすべてを知りたくなる。やっぱり知りたくないかもしれない。

 坂本裕二さんの作品に出演される俳優の皆さんは皆色っぽい。というか坂本裕二さんご自身がめちゃくちゃ色っぽい。「色っぽい」という言葉が何を定義するのかわからないのだけれど、私は松たか子さんや松田龍平さんにそこはかとない色気を感じるし、その終わりのない感覚にぞっとする。多分、俳優の皆さんだけじゃなくて 坂本裕二さんの関った作品は色気というさくらがみで包まれているのだろうと思う。


 そもそも「色気」ってなんだろう…  グーグル先生に訊いてみた。

いろ‐け【色気】〘名〙
① 色のぐあい。色加減色合い。また、色がついていること。
※落語・素人茶番(1896)〈四代目橘家円喬〉「御召の御色気にも流行り廃りのありまするもので」

② 性的な雰囲気や感情。
(イ) 性的魅力。また、異性を意識する感情。
※狂歌・狂歌続ますかがみ(1740)「しげらする色気がおむすにつくば山はやまどはして人をのぼらす」
塩原多助一代記(1885)〈三遊亭円朝〉六「未だ三十七といふ年で〈略〉色気(イロケ)沢山(たっぷり)でございます」
(ロ) 特に、女性の存在。女っ気。
浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)二「色けにかつゑし此嶋なれば」

③ おもしろみ。趣。風情
滑稽本浮世風呂(1809‐13)四「最う直に小さ大屋をいふから色気がねへぜ」

④ あるものに対して持つ欲求興味
吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉四「博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでも矢っ張り色気があるから可笑(をか)しいぢゃないか」

精選版 日本国語大辞典 / コトバンク

 今回私が議論したい内容に最も近いのは ②の「性的な雰囲気や感情」、続いて③の「おもしろみ 趣 風情」といったところだろうか。よく言われる「お色気作戦(ハニートラップ)」は②を想定されたものだろうけれど、実際に調べてみると様々な意味合いがグラデーションみたいに存在することが見えてきて面白い。歌詞とかに使えたら美しくて良いかも、私は作詞をしないけれど…

 なるほど、「色気」は 性的欲求に依拠するものと思われているらしい。確かに、坂本裕二さんの作品の中では 登場する皆々が「人と人」である瞬間と「男と女」である瞬間を行き来する。その反復横跳びがとても魅力的で、「人」であるときの理知的な整合性と「男」「女」であるときの本能的な不整合性がどちらも際立つ。彼らが性別に支配されている時は、確かに色気があるかも……。
 でも、もっと なんだろう…作品全体に艶めかしい昏さがあるのに、この定義に当てはめられては瞬間的な色気しか説明されない。どこかでずっと不協和音が奏でられているような、描き始める前にキャンバスにグレーを仕込んでおいたような、そんな不安定さが説明されない。これは困った。


 私が暫定的に「色気」だと思っているのは、『豊富なバックグラウンド』…のような気がする。(急に自信が無くなった)
 人間は知りもしないうちに「時間」に囚われて、身体というハードディスクはたかが80年あたりでガタが来始める。たかが80年といっても、私のノートPCは5年でゾンビみたいになっているから 十分長いのかもしれないけれど…
 限られた時間の中で濃度や密度、そして満足度の高い生活を行って、インプットとアウトプットを繰り返して、新陳代謝によりソフトウェア(内面)のバージョンをコロコロと変化させる。今の私の言葉では、この「バージョン」における数値の区切りが多いほど ソフトウェアに色気が付与される…ようである。
 バージョンチェンジの方法は人によって様々で、別にその速度が速いことが正義だとも思わない。ただ、"iOS 16.6.1" みたいに、ドットの数がもっともっと増えて そのバージョンを常に少しずつマイナーチェンジする、そしてより左側の数値、メインシステムの変化にも柔軟であれば、それは「色気」を含むに十分な器になりうるように感じる。


 色気が垣間見える人は、状況やコミュニケーションの相手によって自身を自在に変化させ 彩る余裕がある。柔軟で活発な最適化に必要なのは、常にソフトウェアを更新する余裕、そしてそれに足るインプットとアウトプット、かもしれない。俳優の方々には、もしかしたらその機会が豊富にあるのかも… そして勿論、脚本家の方にも………
 人間が、文化資本 及び芸術に対し主体的に関わる魅力が、その点に凝縮されるという可能性に気付いた。素敵かも、私も色気のある人間になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?