仕方なかったんだと思いたいという話
生きる上で目標としていることがある。
それは後悔をなるべくしないように生きるということだ。
死ぬときがいつか来るのならそのときになるべく後悔をしたくない。
そう思っている。
だから僕は思い立ったことはわりとすぐにやってしまう。
すぐではなくても、時期を見ながら結局はやる。
今までの生活を一変させるようなことも、わりと簡単にやってしまう。
それは他人が見たら、あの人は気分屋なんだろうねと思うだろう。
それは否定しない。たぶんそんなものだろうから。
そしてそんな意見も含めて、他人の視線や意見はそこまで気にしない。
それを気にして自分の意思に従わなかった人生には悔いが残りそうだからだ。
自分で決めたことならばうまくいかなくても、全て自分の責任と割り切れる。
だからそうやって、いつも自分の意思と直感に従って判断して、決断して、生活を変えて、人生の方向性を決めてきた。
が、例えば努力不足とか、選択ミスとか、そういう理由“じゃない”理由で達成できなさそうなことに直面することがある。
やりたいと思っていたけど、どうしてもやりきれないこと。
才能や天性の能力の問題で、実現できる可能性が著しく低いことだ。
その場合はもう仕方がないと思うしかない。
才能や生まれついての能力の問題は、大半が変えられないものになるからだ。
そして僕は、そんな仕方がなかったを求めているのかもしれない。
思い立ってやってみて、(才能や能力的な問題で)結局自分という人間には成しえないことだった。
それを理解し、仕方がないと思いたい。
つまり充分なあきらめられる理由を、僕は探しているのだろう。
悔いを残さないために。
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